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ブログ試験的に移行。。。

諸事情でブログを引っ越ししておきます。まだ試行錯誤なのですが、MTも検討して、結局TPで試してみることにしました。ごらんくださいませ。

http://georgebest1969.typepad.jp/blog/

予防接種の新書を読んで欲しい理由

今これを書いている時点で、「予防接種は「効く」のか?」はアマゾンで1061位、同時期に出た「ほにゃららワクチンはいらない」が2806位である。

この順位は率直に言ってとても気になっている。

印税の問題ではない。新書は単価が安く、そのプロポーションでしかない印税なんてぱっとしない。バカの壁みたいにバカ売れしなければ、収入源として大きく期待できるわけではない(バカ売れしてくれても全然迷惑しませんが)。だいいち、本の部数は絶対評価であり、「他の本と比べて」どうこういうことはない。他の本がいくら売れても、それが原因で僕の懐が痛むわけではない。基本、僕は他者との比較に極めて興味がない生き方をしてきており、いまもそうだ。

問題は、知識のラテラリティー、バランスの問題だ。

いま、ワクチンとかインフルエンザとか予防接種でアマゾンで引くと、専門書以外はほとんどすべて「インフルエンザワクチンなんて意味がない」みたいな否定的な煽り本だけである。ホメオパシーもそうだけど、否定的なトンデモ本のほうが圧倒的にマーケット的優位を占めているのである。

そのことを、専門家たちは嘆いている。間違った情報が流布している。トンデモ本が多い。予防接種に対する誤解が消えない。テレビでへんてこな情報が蔓延している、、、うんぬん。

しかし、それに対して専門家たちがどこまでその誤解をとく努力をしてきただろう。

少なからぬプライマリケア医は僕の本を読んで、クールに肩をすくめてこう言った。「なんだ、このくらい俺はもう知ってたよ。この本を読んでも特に新しい知見は得られなかったね、ふん」

もちろんそうである。僕はワクチンの開発者ではないし、ワクチン行政にどっぷりつかっている当事者でもない。「だれもが知っているようなこと」しか知らないしがない感染症屋である。たとえば、なぜ、ポリオのワクチンを輸入できないのか、そのブラックボックス的知見があるわけでもない。だから、「だれもが知っているようなこと」を書いた。

問題は、その「誰もが知っているようなこと」を一般市民はほとんど知らないということである。そして、大多数のプライマリケア医は「一般市民は予防接種について正しい知識を持たず、デマやガセネタばかり信じている。マスメディアは誤解を与えるような情報を流してあおり、その上、、うんぬん」という怨嗟の声を上げるのである。

だから、僕はなんとかがんばって工夫して、僕の本のほうが「なんたらワクチンはいらない」よりも人口に膾炙するよう、しがない努力をしているのである。

それをドンキホーテ的だと嗤うのは簡単だ。自分でもまあ、ラスコーリニコフというより、ジャン・クリストフというより、ムルソーというより、ドン・キホーテであろうと思う。僕はそのことをよしとしているし。しかし、本来ならば愚かなドン・キホーテが孤軍奮闘しなくても良いように、「このくらい俺は知ってたよ」とのたまう方々、僕以上の英知をもった人たちは、そうおっしゃるのなら、パブリックに対してワクチンについて、何か口にしたって良いのではないか、、、なんて僕は思うのである。

その時代のおかしみ(天皇杯サッカーを観て)

新年明けましておめでとうございます。今年も大事なこととくだらないことを織り交ぜてお送りいたします(どちらが大事でどちらがくだらないかは、読者の度量次第です)。

さて、雪のために大幅に変更になった新年のスケジュール。まずは朝7時からBSで昔の天皇杯サッカーを観ました。読売ベルディ対日産マリノスですよ。参りました。この頃僕は日産ファンで、一番熱心にサッカーを観ていたときです。この頃のプレイを今の視点で見ると、「下手だなあ」で終わってしまうのですが、当時の時代を斟酌しながら観るととても興味深い観戦になります。カズは当時25歳です。全盛期のキレキレです。髪形は当然カリアゲしてます。観客の女性は皆まゆ太いです。彼のプレイを今観ると、(レベルはともかく)プレイスタイルはクリスティアーノ・ロナウドそっくりなのを発見します。派手に左右に揺れるフェイント、またぎ、右と左の鋭いシュート、フォワードにしては上手なヘディング。カズはCロナウドという時代を予見していたかのように見えます(こじつけです)。そして、彼が当時日本のエースであったことはプレーから用意に察します。井原はどうでもいいところでぼーんとクリアしてタッチを割ってしまいます。これが当時の日本サッカーです。でも、1対1の強さやするどさ、シュートシーンで必ず出てくる勘所の良さは、彼が当時アジアナンバーワンのディフェンダーであったことを容易に思い出させます。ときおりでてくるパワフルな加藤久も、彼が「それ以前」にアジアナンバーワンの、、、以下同文。武田、ラモス、水沼、ツナミ(変換できません)、石川、小村さん(高校の先輩なのでここだけ敬称です)、松永、山田(は俺より年下)、、、ブブゼラならぬサッカーフォン、読売のサンバ、何もかも皆懐かしい、、、と突然沖田艦長です。

その後、本番の清水エスパルス対鹿島アントラーズの試合。東京の元旦は西日本と違いいつものように晴天で美しいです。はあ、2011年のJクラブチームのレベルは、日本リーグのそれを圧倒的に凌駕しています。プレーの一つ一つが正確で、運動量も多くて、メンタル的にも落ち着いていて、何もかもがレベルアップしています。90年代の「必死さ」は選手にありませんが、逆にあわててシュートをぼーんと外すようなアマチュアなミスはしません。クールに淡々とプロとしてプレーしていきます。ワールドカップベスト16の時代と、ワールドカップが夢であった時代の違いです。その差はあまりにも明確すぎて、いちいち各論で議論するのがばからしいほどです。野地アナウンサーも10年以上の年月を経てずっとずっと上手になっています(当時はひどかった、、、涙)。

さて、簡単にサッカーの試合を2試合観ただけで、「昔は良かった」的な定型的な前提に疑義を唱えたい気分になるのは当然です。今は当時の映像とかよく残っているので、それがよく分かる。バブルの時代の大人がどれだけ今の若者の尊敬を勝ち得るような偉業をなしえていたか、我々はすぐにプレイバックすることができます。野球ファンが「王、長嶋」やその周辺を頂点と考える人が多いのですが、僕らサッカーフリークはまだ頂点を見ていないのです。釜本もカズも中田も中村も本田も好きですが、まだここがてっぺん、を観てないはずだという確信があります。

お楽しみはこれからだ、、、なのです。2011年がよい年でありますように。

ホメオパシー論争に関するRonzaの記事(推奨)

久保田裕さんの記事である。とてもよくできている。なぜ、よくできていると思うかというと、

1.署名記事である。
2.始めに結論ありきではなく、両論併記している。レメディーが危険、みたいな安易な(そして間違った)ホメオパシー「たたき」になっていない。
3.データの信頼度について価値判断をしている(ここにこんなデータがあると吟味もせずに投げ込んでいない)。
4.成功体験は当てにならないことを看破している。
5.情報が「言っていること」ではなく、情報が「示唆していること」をきちんと分析している。
6.断定口調ではなく、長い考察となっている(これは紙ベースの新聞では困難な方法)。
7.謝罪している(すばらしい!)。

是非読んでみてください。
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2010122800018.html

日本のジャーナリズムもまだ捨てたもんじゃないですね。朝日新聞社も立派な記者さんはたくさんいます。なのにーなーぜー(古い)。

HPVワクチン接種によりSLEになるか?因果関係と前後関係

Jeanさんよりコメントをいただきました。通常、僕は個人的な医療問題についてブログでお話することはありません(うまくいかないことが多いからです)。しかし、このお話は一般的な問題を含んでいるので、あえてここでお話します。

いただいたご質問は、

「子宮頸癌ワクチン摂取を契機にSLEを発症した女の子がいました。まれなケースでしょうけど。アジュバントとかが影響するのでしょうか」

でした。結論から申し上げると、

そのワクチン(アジュバント含む)がSLEの原因ではないと思います。少なくともその可能性は低いです。

では、その理由を説明します。

ワクチンを打った後、いろいろな病気にかかる人がいます。SLEのような自己免疫疾患というグループの病気になる人も知られています。いわゆる子宮頸癌ワクチンを打った後で、スティル病とか、ITPと呼ばれる自己免疫疾患になったという報告も出ています。

ワクチンを打った後病気になったりすることを「有害事象」と呼んでいます。問題は「有害事象」と「副作用」は同じではないということです。有害事象はワクチンを打った「後で」起きた病気(など)、副作用はワクチンを打った「から」起きた病気(など)を意味します。難しい言葉を使うと、前者は前後関係、後者は因果関係を表しています。

前後関係と、因果関係は違うものです。ここは大切な点です。

おもちを焼く。おもちがぷくーっと膨れる。これは因果関係です。おもちを焼いた「から」おもちはふくれたのです。そして、おもちを焼かなければおもちはふくれません。

おもちを焼く。郵便配達さんが年賀状を届けてくれる。これは前後関係です。おもちを焼いた「後で」年賀状が届いたのであって、おもちを焼いた「から」年賀状が届いたのではありません。仮におもちを焼かずにあんパンを食べていても年賀状は届いたのです。

前後関係と因果関係の違い、おわかりいただけたでしょうか。

さて、「子宮頸癌」ワクチンを打ったあとでSLEになった人のことは報告されています。が、おそらくそれはワクチンを打ったあとにSLEを発症した、つまり「前後関係」であり「因果関係」ではなさそうだと考えられています。どうしてそういうことが言えるのかというと、このワクチンを打った後でSLEになった人と、プラセボ(ワクチンに見せかけた偽ワクチン)を打った後でSLEになった人の数を比べてみたら、違いがなかったからです。英語ですけど、そういう論文が出ています。この論文でHPVと書いてあるのが「子宮頸癌ワクチン」のことです。

http://qbit.cc/blog/wp-content/uploads/2009/09/oil-adjuvant-safety-GSK.pdf

因果関係と前後関係はとても間違えやすいのです。僕たちはしばしば起こったことに「因果」を見つけようとします。ワクチンを打った後こんな病気になった、、、、という事例はたくさんありますが、その多くは「前後関係」でした。でも、親御さんにとって(あるいは本人にとって)はとてもショックな出来事なので、「これはワクチンのせい」とどうしても考えたくなってしまうのです。

さて、僕は先に

そのワクチン(アジュバント含む)がSLEの原因ではないと思います。少なくともその可能性は低いです。

と書きました。なんか歯に物のはさまったようなあいまいな言い方ですね。

というのは、副作用って難しいんです。今は分からなかったことが科学が進歩すると分かることがあります。今現在の科学では「子宮頸癌ワクチン」が原因でSLEになったりしないと僕は思いますが、「絶対に」ならないとは限りません。将来科学が進歩したら、そういう発見が起きるかもしれません。だから、僕は「可能性は低い」という腰がひけたような言い方しか出来ないんです。

さて、できるだけ簡単にご説明したつもりでしたが、ずいぶんとくどくどした、うっとうしい、回りくどい説明になりましたね。申し訳ありません。でも、医学について語るとき、僕らはこのような形でしか語ることが出来ないんです。

医学とか教育学とか、こうした複雑な人についての学問は、数学とか物理学みたいにクリアカットでないことが多いのです。分かりづらいのです。説明しづらいのです。どうがんばっても、そうなってしまいます。正しく伝えようとすればするほど、回りくどい言い方になってしまいます。

逆に言うと、新聞とかテレビで流されている医学の情報はとても分かりやすいですよね。「○○を飲むと健康になれる」とか「こうすれば癌にならない」とか、「このワクチンで副作用が多発した」みたいな断言的な口調です。

断言的な口調には要注意です。断言できっこないことを断言しているからです。残念ながら、テレビ番組の医学情報はほとんどでたらめか、おおげさか、まぎらわしい情報で、正確なところが伝わる番組はごくわずかです。医学における新聞記事もほとんどがでたらめか、おおげさか、まぎらわしいです。本屋さんに行って「健康、医療」のコーナーに行くとき、「癌にならないためのなんとか」みたいな本も、ほとんどでたらめか、、、、以下同文です。信じがたい話かもしれませんが、そうなのです。

テレビや新聞の人たちが、自分たちの語り口を変えようと自ら変わろうとしない限り(僕はそれ以外にテレビや新聞が生き残る道はないと思っていますが)、少なくとも医学に関する限り、もしJeanさんが正しい情報を得たいと思うのなら、テレビでみのもんたさんたちがしゃべっていることも、新聞の社説や記事で書かれていることも、いっさい当てにしないほうが、うまくいく可能性は高いです。

いずれにしても、SLEを発症したその方の治療がうまくいくことをお祈り申し上げます。

大学病院における初期研修医のダウンサイジングを

注・以下に述べる「大学病院」はある特定の大学病院のことで、必ずしも全ての大学病院に当てはまるわけではありません。「うちはそんなことないよ」という方は、さらっとスルーしてください。あと、ここに出てくる「50代、60代」も全ての50代、60代に当てはまると主張しているわけではありません。「俺は違うよ」とおっしゃる方は、やはりさらっとスルーをどうぞ。

研修医のマッチングが終わったとき、必ず話題になるのが、「民間病院」と「大学病院」どっちにたくさん研修医がマッチしたかという話題である。

まったく意味のない比較である。

そもそも両者は病院数が圧倒的に違うのである。比較母体が全く違う中で、両者を比較し、その数の多寡を競う理論的な根拠を教えて欲しい。あれは、民間病院側と、(むしろこちらの方が強いであろう)大学病院側のヘゲモニー争い、「俺の方が勝った」「おまえが負けた」という世界観の表層でしかなく、実質的にはなんの意味もない。

あの「俺が勝っておまえが負けて」という発想は実に昭和的だ。今の50代、60代を支配している(そろそろその世界観から抜けちゃっている賢明な諸氏もおいでですが)メンタリティーである。右肩上がりのメンタリティーである。白髪の小児のメンタリティーである。他者に対する優位という形でしか自己の向上をメジャーできないメンタリティーである。いい加減、研修関係緒会で今年は大学病院と民間病院どっちが勝った、というグラフを示すのはやめませんか、皆さん。

そもそも、数をそろえていればそれでよい、ということにはならない。むしろ大事なのは研修医の質であり、研修の質である。

データを見れば容易に理解できることであるが、質の高い研修を提供していると目される病院はその臨床規模が大学病院クラス(あるいはそれ以上)であっても、採用する研修医数は圧倒的に大学病院より少ないことがほとんどである。

では、大学病院はそのような病院をはるかに上回るような卒後教育上のリソースを持っているか。もちろん、答えはノーだ。質的にも量的にも、大学病院が初期研修医に提供できる教育リソースは、少なくとも良質な民間病院よりも圧倒的に劣る。

大学病院はダウンサイジングをしなければならない。初期研修医の採用数を減らさねばならない。そのリソースに見合っただけの研修医を採用し、彼らにもっと質の高い教育を提供しなければならない。数を稼ぐという「昭和的な」発想はそろそろ捨てるべきだ。

大学病院では指導医が足りないから、医局にスタッフを引き上げる。これが地域医療を荒廃させていると指摘させて久しい。研修医の採用数を減らせば、身の丈にあった教育が提供でき、その分、「引き上げねばならない」スタッフも減る。

もともと、大学病院における研修医は体のいい「雑用係」であった。雑用に教育的な意味があるかという問いはここでは議論しない(何をもって雑用とするかもここでは議論しない)。「教育をさせる」という意図ではなく、「雑用をさせるための人足」として研修医を見なしていたことそのものが問題なのだ。

ダウンサイズした研修医がもたらす「必要なマンパワーの枯渇」は他の医療職(クラークやナースエイドのような)を充填させれば良い。足りない分だけ補うのだから、「研修医がどこまで雑用をするか」という観念的な議論は消失する。指導医の消耗も減る。地域からの引き上げも減る。大学病院が小さなプライドを捨てて、ダウンサイジングという「非昭和的」価値観を受け入れれればよいだけの話だ。そもそも、雑用そのものも減らしていかねばならない。「コンプライアンス」「コンプライアンス」と手続きばかり気にしているとどんどん手続き的負担,burdenが増えていく。しかし、よくよく注意していくと、減らせるもの、減らすべきものはたくさんある。

初期研修医を後期研修医(ニアリーイコール医局員)への予備軍と見なしており、彼らの供給を減らしてはならぬ、という意見もある。しかしこれも物量的、右肩上がり的な昭和の発想である。疲弊し、消耗し、絶望した指導医を目の当たりに見て研修医がその医局の門をたたきたいと思うだろうか(そういうMな人ももちろんいますが)。そして、そのようなクールでニヒルな初期研修医の立ち居振る舞いを見ていて、学生は「ここに残りたい」と希求するだろうか。「数」はすでにチャーム(魅力)ではないのである。

初期研修医に提供すべきは優れた指導医である。活き活きとしたロールモデル、「俺もいつかはこんなになりたい」というロールモデルである。そのモデルを目指してがんばる研修医に学生はあこがれる。屋根瓦とは下方的な教育システムとして認識されがちだが、この「あんなふうになりたい」というあこがれの情は、一種の上方的な屋根瓦である。

「こんなところにはさすがに入りたくない」と学生や研修医に思わせてはだめなのである。

「こんなところ」かどうかは、医療機能評価も、そのエピゴーネンたる臨床研修何たらも教えてはくれない。そこにはメジャラブルな要素は全くなく、そして彼らはメジャラブルなものしか目に留めない。

優れた研修病院は、一歩足を踏み入れただけで、「ああ、ここは研修医にとって幸せな病院だな」と分かる。もちろん、分かる。そのくらいの感性がなくて指導医やってられるか。メジャラブルなものに拘泥するということは、要するに「おれはよい研修も良い研修医も察知する身体能力を持っていません」とカミングアウトするようなものである。異性に惚れるときにスコアリングシステムを使って相手を選ぶバカがどこにいる。

そのような「一歩足を踏み入れただけで分かるよい研修病院」を目指して、毎日どろどろぐずぐず現実のヌカルミをもがくのである。脚は泥水に突っ込んでいるが、決してまなざしを下げてはならないのである。見つめるのは常に夜空の星だからである。

こんなことを「沈む日本を愛せますか?」のダウンサイジングの議論を読んでいて思ったのだった。ああ、そうか。高橋源一郎さんとか内田樹さんとか、60年代のエートスを正当に継承している人たちもいるのだから、テレビの政局や新聞の社説を見て、50代、60代に絶望するのはまだ早いのですね。

多いとはどういうことか(子宮頸癌ワクチン副作用多発?)

よく誤解されるが、大小とか多少という数値評価の概念は主観的なものである。客観的な基準は存在しない。血圧が高いというのも、給料が安いというのも、内閣支持率が低いというのも(ときには下がったというのも)すべて主観的な判断である。だから、僕は新聞記者さんたちに「多いというなら、何をもって多いのか根拠を示してください」とお願いする。この問いに答えられるマスメディアのジャーナリストは、僕の知る限り希有である。そもそも、「根拠を示してください」という問いそのものに慣れていないように見受けられる。

我々は数字を使うと客観的で主観の入っていない言説をしているような錯覚に襲われる。

12月28日、読売新聞の記事、見出しは「子宮頸癌ワクチンで副作用、多発」である。

(引用)
 子宮頸(けい)がんワクチンの副作用として、気を失う例の多いことが、厚生労働省の調査でわかった。

(中略)昨年12月以降、推計40万人が接種を受けた が、10月末現在の副作用の報告は81人。最も多いのが失神・意識消失の21件で、失神寸前の状態になった例も2件あった。その他は発熱(11件)、注射 した部分の痛み(9件)、頭痛(7件)などだった。(引用終わり)

さて、「多発」、つまり発生が多いというからには、「多い」とはどのくらいのことか、と定義しなければならない。40万中の81は「多い」のか?多いというからには、何を根拠にそういうのか?「他のワクチンと比べて」そうなのか?その利益を凌駕するくらい多いのか?と考えるのが普通である。

もちろん、言い訳はできる。「頭痛や発熱よりは多かったじゃないですか」というのである。その小学生的な屁理屈を百マンボ譲って認めたとしても、「多発」というのは絶対的な言説であるから、どちらにしても見出しの正当性は担保されない。例えば、「読売新聞で「誤植」が多発」と言ったとして、「いやいや、捏造やデマや誤情報よりは多いでしょう」と言い訳したら、とてもいやな顔をするに決まっている(もちろん、僕はそんなイヤラシイことは言いません)。

もちろん、これは定型的な新聞記事である。このように書きなさいと先輩に教えられたプロトコル通りの記事であり、「コンプライアンス上は」なんの問題もない。手続き的には「正しい」記事である。これは新聞記事だけでなく、医療でも教育でも何にでも応用できるけど、「手続き的には間違ったことをしていません」という言説が、いかに人の知性を劣化させるかの証左なのである。

集中治療室における尿量 ケース・コントロール・スタディー(笑)

CHRISTMAS 2010: THE LIVES OF DOCTORS
Urine output on an intensive care unit: case-control study
BMJ 2010;341:c6761

P 集中治療室で働く研修医
E 研修医であること?
C 集中治療室の患者
O 尿量

医師の方が乏尿になりやすい(OR 1.99 CI 1.08-3.68, p=0.03)
死亡率は驚くほど低い(0%、0-18%)
委員会は安全性の観点からこの試験を途中で中断することを決定。

limitations: インを見ていない。カフェイン摂取も不明。

ポイント
1.研修医の尿量を計測したのはナース
2.一人の研修医は試験参加を拒否した

議論
なぜ、乏尿の研修医の死亡率が驚くほど少なかったかについて大まじめな議論が展開されている。

結論。患者の尿量をマネジするより自分の尿量をマネジするほうが大変。

ほんと、馬鹿馬鹿しいスタディーのほうが臨床試験のデザインの本質が分かる。

日本の医療者も顔しかめてばかりいないで、たまにはこのくらい楽しいことをしましょう。

低容量アスピリンが便潜血(免疫化学法)にもたらす影響

Low-Dose Aspirin Use and Performance of Immunochemical Fecal Occult Blood Tests
JAMA. 2010;304(22):2513-2520

低容量アスピリン使用者か否かで大腸内視鏡で癌を見つけて、便潜血の感度、特異度。アスピリン飲んでいると感度は上がり、特異度は変わらず。NPVは96%。PPVも変わらず(!)。とても興味深い。内視鏡前にアスピリンを止めなくてもよい、、、か(消化器内科医の間でも異論ありらしい)?

CDI(CDAD)のリスクと死亡の関係

The Effect of Hospital-Acquired Clostridium difficile Infection on In-Hospital Mortality
Arch Intern Med. 2010;170(20):1804-1810

統計・疫学の専門家がやるととても手の込んだデータになりますねえ。層別して、絶対リスク差はリスクが増すと増し、相対リスクはリスクが増すと減る(が確度が上がる)というのは面白い。同じ論文でCDIとCDAD(図のとこだけ)の用語が混在しているのも、作成過程が想像できて面白い。

«他者の言葉を受け止める その2

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