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2009年8月

誰が、負けたのか

選挙が終わりました。

さて、この結果は今の日本の政治に国民が完全な、ノーを突きつけたということを意味しています。しかし、これは自民党(だけ)に対するノーでしょうか。そういう部分もあるでしょう。でも、僕たちは日本の政治を回しているのは実際には霞ヶ関の官僚であることを知っています。だから、これは間接的には霞ヶ関に対する国民のノーなのだと解釈すべきなのでしょう。文科省、外務省、農水省、国交省、そして厚労省、、、こうした官僚たちに国民がノーと言ったのです。選挙でvetoを出せるのは政治家と最高裁判官だけだから、そのように直裁に言えなかっただけの話なのです。実際に審判を受けたのは霞ヶ関なのです。

このことに、霞ヶ関の官僚たちは自覚的であるべきです。

何度もいろいろなところで書いていますが、日本の官僚は決して無能ではありません。外国に暮らせば分かりますが、諸外国の役人は本当に困る。能力が低く、ミスが多く、仕事が遅く、ふまじめでやる気がなく、そして金に汚い。相対的には日本の役人ほど有能で正確で真摯でそして清潔な官僚を外国に見ることはほとんどないのです。

では、何が問題なのか。霞ヶ関には二つの「死に至る病」が流行しているのです。これは、罹患率が極めて高い恐ろしい病です。最初はこんなでなかった彼らも霞ヶ関に行って数年経つと、ほぼ必発でこの病に罹患してしまうのです。

ひとつは、抱え込みの病。「おれがやらなきゃ、誰がやる」と妙に自意識過剰になって、他人に委託、任せることができません。例えば、今回の新型インフルエンザでも学会や民間に委託すればよいプランがたくさんあったのです。しかし、「おれがやらなきゃ」の意識が強すぎて他人の力を借りることができないために、徹夜の連続で無理をする。パブコメも募集するけど、「いろいろな人の意見を聞きましたよ」というアリバイ作りのためで、実際には活かされない。現場のことが分からないのに現場のあり方を無理矢理に規定するから、無茶なプランができる。「こんなことできるか」と現場から怨嗟の声が起きる。そして、「俺たちの苦労を何も分かっちゃくれない」と引きこもる。このような誤謬を繰り返してきました。まるで能力は高いんだけど持ちすぎてしまう、パスのできないサッカー選手みたいに。デビューしたてのCロナウド。彼が、当時その能力の高さにもかかわらず評価が低かったのは、やたら意味のないフェイントやドリブルを繰り返して、結局チームのために役立っていなかったからなのでした。

もう一つの病は、無謬性依存症です。自分たちは絶対に、絶対に、絶対に間違っていない。間違っているのは、俺以外の誰か、という論法です。これも霞ヶ関固有の慢性疾患。今回の新型インフルエンザについても、5月、6月までの行動で個人レベル、病院レベル、市や県のレベルでたくさんの反省や改善点がまとめられつつあります。でも、僕はいままで、「○年の行政はこことこことここがよくなく、実際にはこうするべきであった。ごめんなさい。反省してこう直します」と謝罪、反省、改善を明言した厚労官僚を一人も知りません。新型インフル対策でも、局長、課長クラス以下、反省の弁を聞いたことがない。そして、「あれは政治家のだれそれがバカだから、財務省が金をくれないから、地方行政がだめだから、医者がだめだから、国民がアホだから」と「私以外の誰か」のせいにし、自分たちの絶対無謬を主張するのです。

絶対無謬を主張した瞬間、その人の没落が始まります。そのことを看破したのが、フロイトの理論を批判したカール・ポパーであり、マルクス主義やフェミニズムを批判した内田樹でありました。「勝ち誇った瞬間、そいつは敗北している」といったのはジョセフ・ジョースター。絶対無謬に依存した精神からは、敗北しか生まれないのです。

それが、今回の選挙だったと僕は思います。麻生首相たちだけをスケープゴートにしてしまうと、今回の選挙の意味は分からないんじゃないでしょうか。実際にはこのメッセージは前の選挙、自民党が圧勝したときの選挙でも出されていたのではないでしょうか。だから、表現形は逆になりましたが、前の選挙も今回の選挙も、国民は同じことを言っていたのではないかと思います。それは、「今の政治はだめだ、変えてくれ」というメッセージです。

料理をしていて

料理をしていて、考えました。

もちろん、自分の作った料理を家人は褒めてくれるでしょう。「美味しい」と。でも、冷静な目で自分で食べてみると、そこは味付けはいろいろ不十分なところが見つかります。でも、よいのです。どうせアマチュア料理なのですから。僕が一所懸命に作り、それを皆で美味しく食べる。これで目的は合致するのです。「いやいや、こんな味では満足できん。山にこもって修行じゃ」なんて言い出したらやってられません。

しかしながら、プロの料理人はそうはいかないでしょう。「こんな味ではお客様に出せん」ときっぱり冷たく申し渡さねばならないでしょう。もし、それをしなければ、お客や評論家が代わりに自分の弟子をボコボコにするでしょう。それがプロの世界。褒めて育てにゃ萎縮する、と言っても、師匠以外にボコボコにされるのを看過するのが、果たして師の愛と言えるかどうか。これがプロとアマの世界の違いです。どのみち、理不尽な非難や誹謗中傷にもビクともしない強靱な精神力を養わねば、プロの世界では生きてはいけないのですから。

もちろん、単にボコボコにするだけではだめです。僕たちの師匠はその厳しいしつけで有名でしたが、実はその後とても落ち込んで、必死で研修医をフォローしていました。それを僕らは目の当たりにしている。患者さんの容態が心配で心配でしようがない、それでつい研修医を厳しく指導する、と言う部分もよく分かっている。研修医にはソフトに当たるが、患者さんも適当に見ている、という指導医よりも全然よいわけです。10年経っても20年経ってもこの指導医に対する悪口雑言が出ないのは、単に厳しい、叱るという単語が、その文脈次第で意味が全然異なっていることを意味しています。そこを無視して、単に「厳しい教育が正しいなんて時代遅れ」と断罪するのは、文脈を無視してダイコトマスにものごとを評価する態度がもたらす誤謬なのでしょう。

料理も美味しい、まずい、辛い、甘いだけでは切れない。そこに込められた心や愛情、含羞、様々なものが料理を作る。一人で食べる美食が美味しくないのも、そういうことなのでしょう。

本日のJクラブ

Timing of perioperative antibiotics for cesarean delivery: a metaanalysis
Am J Obstet Gynecol
2008 vol. 199 (3) pp. 301.e1-6

CセクのときにSSI予防をするか、それをすると臍帯から抗菌薬が入って胎児に悪影響があるか?結果は術前投与の勝ち、というメタアナ。発想が面白いですね。

新型インフルワクチンについて

 KURIVOWS II (Kobe University RIsk communication
on Influenza Virus Outbreak Work Shop Act. II)、リスクコミュニケーションWSは無事終了しました。参加者の皆様、ご苦労様でした。関係者の皆様、ありがとうございます。

 さて、終わったその足で飛行機で東京に向かい、桝添大臣の会議に出てきました。メディアも入っていたので、発言は公のものです。申し上げた内容の「草稿」は以下の通り。実際にはもっとやんわりした内容でしたが、まあこれで呼ばれるのも最後(かもしれない)かと思い、言うべきことは全部申し上げておきました。会場には、「難病のこども支援全国ネットワーク」の小林理事、北大産婦人科の水上教授、小児科学会の横田会長、薬害関連の方からネットワーク「医療と人権」の花井理事がおいでになっており、あとはいつもの畠山先生、森兼先生でした(森澤先生は本日欠席)。ご発言はいずれも興味深いものばかりで、他領域のmultidisciplinary meetingの重要性があらためて認識できました。

 桝添大臣からは感染症法、予防接種法の改正を含んだ根本的な感染症行政のみなおし、という力強いお言葉をいただきました。うまくいくといいですが。でも、従来型の空理空論の委員会に比べると、ずいぶん現場の声は届けられたと思います。

 今は新幹線で帰途についています。原稿仕事や明日以降のプレゼン準備と平行して内田樹さんの「女は何を欲望するか」(これはタイトルからは想像もできない重厚な名著)と、浜松町で衝動買いしたヘミングウェイの「日はまた昇る」を同時読みしています。ヘミングウェイは久しぶり。翻訳もよいです。

 電話がかかってきて、明日はまた別の緊急の会議。その後西宮医師会に新型インフルの講演。平日は講演しないのですが、「あの」伊賀先生のご依頼なので、二つ返事で行くことにしました。医師会とのセッションはできるだけ大事にしたいですし。土曜日は広島(これも溝岡先生のご依頼)、日曜日は化療学会のセミナーで東京です。化療学会の催しで岩田がしゃべるんですから、世の中どんどん動いているんでしょう。


新型インフルエンザワクチンのありかたについて

 ワクチンの効果、副作用、もたらすアウトカムについては不明確なことが多いので、この部分で何百万遍議論しても仕方がないでしょう。例えば、厚労省は必要なワクチン数を5300万としていますが、何を根拠に5300万かもよく分かりません。英国では、全国民にワクチンを提供することを目標にしているのです。このような議論がかたまらないまま、どうして必要数が決められるというのでしょう。

 小児、妊婦、透析患者、医療従事者、高齢者、だれにプライオリティーを置くかどうかは、不明確な部分が多いです。科学的なデータを欠いている以上、明確な科学的な正解を模索するより、より納得しやすいコンセンサスを得ていく他はないと思います。集団感染を防ぐのか、個々を守るのか、この両者はオーバーラップしますから完全に分断できるものではありません。いずれにしても、副作用やコストのリスクを凌駕するものかどうかは、分からないと言うより他はないのです。

 いずれにしても予防接種の対象になった方はリスクを背負うわけですから、これを任意接種にすべきでしょう。ただし、ワクチンは無料にすべきで、そうでなければ接種が普及しません。任意接種が自費、定期接種が無料というのは日本だけのローカルルールです。我々の常識が未来永劫の真理、としばしば厚労省は決めつけたがりますが、もっと自分の常識には疑いを持つべきです。10年くらい前、「日本の医者は足りない」とある厚労官僚に申し上げたのですが、「おまえは非常識だ、医者は余っているに決まっている」と俺だけが真理を分かっていると言わんばかりにあざ笑われたことがあります。その言葉が何をもたらしたかは、皆さんご存じの通りです。ワクチン行政については、まだまだ日本だけでしか通用しない常識が我々を縛っています。その点に自覚的であるべきです。

 ワクチンの運用には広報が必要です。厚労省は新型インフル対策に広報のお金を全然使っていません。ワクチンをたくさん買うのも大事ですが、その情報を積極的に提供するのはもっと大事です。どのくらい効き、どのくらい効かないのか、どこが分かっていて何が分かっていないのか、副作用の懸念はどのくらいで、それはどう凌駕されるのか、国民は何も知らないままに誰が接種するかを議論されているのです。我々の多くは何年に地デジになるのか知っていますが、新型インフルワクチンがどのくらい効いて何ほどのものなのか、だれもメディアから情報提供を受けていません。情報提供は自己決定、自己責任の大前提だというのに、です。

 ワクチン運用の縛りはまだあります。ひとつは同時接種の問題です。季節性インフルエンザなど他のワクチンとの同時接種ができなければ、医療現場はさらに枯渇し、また接種者は何度も病院に行かねばならない不都合を被らねばなりません。ここを明言する必要があります。

 新型インフルエンザワクチンだけを議論して、このワクチンの運用は遂行できません。例えば、肺炎球菌ワクチンをもっと普及しなければなりません。私は新型インフルワクチンについては高齢者はプライオリティー的には低めになると思います。しかし、高齢者は無視してよいわけではありません。国の温かいまなざしで、高齢者に意味のある医療をしっかり提供してあげる、肺炎入院を減らし、新型インフル治療のためのベッドを確保する。こうした、よい意味でのトレードオフを提供すればよいでしょう。先日、結核感染症課の課長が日本の肺炎球菌ワクチンは副作用が多く、と不適切な発言をしたそうです。日本のワクチンは外国のものと変わりなく、また、現場では安全に運用されていますのにです。不勉強なままでこのような適当な発言をされては困ります。

 新型インフルエンザの問題は我々にとって厄災ですが、遅れている我が国の感染症事情をつまびらかにする点では意味のあることでした。日本のワクチン行政の質は低いです。でも、今だめなことが愚かなのではありません。今だめなことを認識できず、自己正当化、無謬性の主張に終始してしまう態度こそが、本当に愚かなのです。私は日本の行政がそこまで愚かでないことを信じたいと思います。

2009年8月26日 岩田健太郎 神戸大学

ことば、時間、空気

以下は、南江堂の「内科」に連載している「コンサルテーション・スキル」に掲載されたもの(の初稿)です。出版社の好意でブログ掲載許可をいただいたので、ここに紹介します。以下は、2009年8月号掲載のもの。

ことば、時間、そして空気

 前回、研修医のパフォーマンスが悪いのは知識の欠如ではなく(それは前提で、織り込み済み)、知らないことを知らないからだ、と言う話をしました。このことをもう少し説明して、そしてなぜ、そういうことが起きているのかを掘り下げてみたいと思います。それは、おそらくは研修医の中にある「ことば、時間、そして空間」の感覚が希薄であり、それをきちんと学んでいないからなのだと思います。
 最近、この3つのキーワードが診療においてもっとも大事な要素なのではないかとつくづく思っています。正直言うと、まだ、自分自身でもこのキーワード達を咀嚼しきれていないのですが、みなさんと一緒に考えてみることにしたいと思います。

なぜ、知らないことに気がつかないのか

「先生、感染性心内膜炎の患者さんですけど、今週退院したいっておっしゃっているんですよ。あと2週間点滴治療の予定でしたが、経口抗菌薬に変えて帰してもいいですか」
「感染性心内膜炎だと、経口抗菌薬はまずいな。点滴で治療を完遂した方がいいんだけど」
「でも、患者さんが帰りたいって、、、」
「で、どうして患者さんは帰りたいって言っているの?」
「それは、、、」

 このような問答は研修医との間でしばしば交わされます。彼は、表面的な「患者が帰りたい」という事実を知ってはいますが、「なぜそうなのか」というところに思いが至りません。だから、「患者が帰りたいといっているんだから、標準治療ができなくったってしょうがないじゃないか」とあきらめてしまうのです。患者の希望というのは、医療の世界における錦の御旗みたいなものです。これはオールマイティーのジョーカーのような切り札で、これさえ出してしまえば、どんな偏屈な指導医だって文句は言えまい、とすらずる賢く考えることすら可能です。
 患者さんが希望している、という表面的な「反駁しようもない事実」を突き詰めてしまえば、それ以上考えなくても済みます。楽になります。人間、考えることはつらいことなのです。患者さんについて考えることすら、苦痛なのです。だから、何も考えなくても話がさらっと通ってしまう状態に人は満足します。問題そのものが本質的に解決できなくても、世の中がまたいつものように流れだし、「私」に苦痛が被られなければ、そして「私」に文句が来なければ、それはそれでオッケーサインがでてしまうのです。
 メリル・ストリープが主演した、重厚な映画に「ダウト」というものがあります。ケネディ大統領が暗殺された1960年代のアメリカ。カトリック学校において、ある司祭が子どもに性的な誘惑を施したのではないか、という疑いがシスターである校長(これをメリル・ストリープ演じる)にわき起こります。司祭は、問い詰めるメリル・ストリープにそんなことはしていない、と疑惑を否定します。無垢で人を信じやすい若いシスターはこれをみて「よかった、司祭は無実だった」と喜びます。しかし、メリル・ストリープは、そのような態度を取れば自分が楽になるから、真実にフタをしてしまうのだ、と若いシスターをたしなめるのでした。
 この若いシスターを含め、私たちは安易に「納得しようと」します。それは、誰もがもっている甘美な誘惑なのですが、たとえ先にしんどい道が待っていたとしても、表面的な説明や「事実」と呼ばれるものに満足してはいけないのです。

ことばへの感受性を高める

 「患者さんが帰りたい」
 この言葉はなにも説明していません。私たちは、まだ患者さんを全然理解できていません。この時点では。
 よく、患者さんに共感的な態度を取りなさい、と言われます。あれは、ウソです。共感できない患者さんは、必ずいますし、すくなくとも、唐突に「帰りたい」と言う患者さんに共感なんてできるわけがないのです。できるのは、「共感するふり」をするだけ。でも、そういうのは、本当は共感的な態度とは呼ばないのでした。

「先生、本当につらいんです」
「そうでしょうね、分かりますよ」

 なんて言えば、「この先生、ほんまにわかってんのかな」と思われてしまうかもしれません。
 「分かったふり」であることに自ら自覚的であればよいのですが、それがいつしか「分かったつもり」になってはいけません。病気のことが、患者のことが、医療のことが、「分かったつもり」になったとたんに、その医師の成長は止まります。「家に帰りたい」患者のことを、くだんの研修医は全然「分かっていません」。そのとき、「患者さんが希望しているから」なんてしれっと分かったつもりになってはいけないのです。
 これが、ことばの感受性です。言葉の感受性を高く保たなければいけません。分からなければ、訊けばいい。「どうして唐突に帰りたい、なんて言うんですか」と理由を聞けばいい。家族の世話が必要なのかもしれないし、お金の問題かもしれないし、仕事の問題かもしれません。いずれにしても、自分が納得することばが得られるまで、「分かったつもり」になってはいけないのです。そして、問題を掘り下げていき、「ああ、なるほど。それなら確かに帰りたくなるわな」というまで掘り下げていきます。これをチャンクダウンというのでした。そして、その時初めて私たちは患者さんに共感できるのです。共感できるまでは、安易に共感(したふりを)してはいけないのは、それをしてしまうとことばが止まってしまい、本当に共感するチャンスが失われてしまうからなのですね。
 ことばにおける無知の知。ことばの感受性を高く保ち、自分が知っていることと知らないことをうまく線引きする。知らないことは、全然問題ではない。でも、自分が知らない領域に対して無自覚であってはならないのです。研修医に伝えなければならないのは、知識ではなく、「知らない領域」に自覚的である感覚そのものなのです。これは極めて感覚的な問題なのです。

時間の感覚

 時間の感覚も鋭敏に保つ必要があります。

「先生、患者さんが頭が痛いって言っています」
「いつから?」
「ええっと、訊いていません。でも、ボルタレン出しておきました」

 これでは困ります。痛い患者さんに痛み止めを出しても、臭いものにフタをするだけでなんの問題解決になっていません。
 頭痛の原因はたくさんあります。緊張性頭痛なのか、偏頭痛なのか、側頭動脈炎なのか、急性副鼻腔炎なのか、くも膜下出血なのか、緑内障発作なのか、虫歯なのか、それとも単なる二日酔なのか。原因によって当然治療は異なりますし、ボルタレンだけで流していては、かなりまずい頭痛もたくさんあります。

「いつから?」

 というマジックワードで、その鑑別をかなり絞ることができます。3年前から?3日前から?それとも今朝の8時34分突然(これはまずい!)?、、、時間の感覚には鋭敏である必要があります。
 検査もそうです。血液検査、心電図、画像検査、すべてその時点での異常値ばかり見ていてもだめで、「以前はどうだったか、いつからこうなったのか」が大切になります。「今の」血圧が「正常値」でも、普段の血圧が210/100mmHgだったら、それはショックなのかもしれません。時間の感覚も、研修医に教えなければならない大切な「感覚」です。これは知識ではないのです。

「先生、患者さんもいつからか覚えていないって言っています」

 はい、この研修医はまだまだことばと時間の感覚が鋭敏ではありません。「患者さんも知らない」で満足してしまっている、表面的な知識でチャラにしてしまっているのです。
 確かに、患者さんの多くは「覚えていません」と言ってくる。でも、それならそれで、やりようはあるのです。

「では、昨日からですか?」
「いや、そんなではない」
「10年前もありました?」
「いや、そのころはなかった、、、」
「1年前?」
「うーん、どうだっけ」
「5年前は?」
「そんなに前じゃない」

 このようにこちらから「極端な数字」を投げてあげることで、ある程度期間を限定することができます。臨床的には頭痛のオンセットが12ヶ月前だろうが、24ヶ月前だろうが、そんなに大きな問題ではありません。でも、10年前からの頭痛持ちではなく、今朝急に起きた危ない頭痛でないことも分かります。どんどん鑑別は狭まっていき、「何故、この患者は頭が痛いのか」の謎の核心にどんどん迫っていくことができます。
 時間の感覚に鋭敏でなければなりません。それは、時間厳守することではなく、時間に対する感受性を高く保っていくことなのです。これも、感性の問題だと私は思います。

空間の感性

 ここでいう「空間」とは空気とか、雰囲気ということばに置き換えて良いかもしれません。KY(空気読めない)なんてことばが流行りましたが、その空気に近いかもしれない。

「末期がんの患者さんが呼吸不全になって、モルヒネで緩和ケアに移行しようと今家族と会議を開いたところです」
「なるほど」
「で、今朝熱発したので、血液培養2セット取って、ゾシンを使おうと思うんですが」
「どうして???」

 ここでは、患者さんとその家族、そして医療チームが向かうべき道筋と発熱へのアプローチが完全に噛み合っていません。空気が読めていないのです。確かに熱発に血液培養2セットは教科書的には正当な行為ですが、この場合は完全にその文脈を外れてしまっています。「正しさ」を追求することは、ある命題を「正しい」か「間違っているか」という観点から切り取ることは、医療において必ずしも妥当なアクションとは言えません。正しさ探しゲームには要注意です。
 この場合には、むしろ熱で苦しんでいる患者さんにデカドロン(デキサメサゾン)などを入れて楽にしてあげることが妥当なアクションなのかもしれませんね。その場の空気を感じ取り、目指している方向を読み取り、それに合致したアクションを取ればよいのかもしれません。原因の分かっていない発熱患者にステロイドは一般論としては御法度です。ですが、このような原理・原則は個々の患者に応用するために存在するのです。原理・原則を知っておくこと、「知識」があることは当然重要ですが、それは前提に過ぎません。原理・原則は活用されるために存在するので、活用されるため「だけ」に存在します。
 空気の感性。これも感覚の問題で、知識の問題ではありません。教科書には書いていない、カルテにも文字化されていない、ことばにも出されていない、そのような「空気」を感じ取るのは感性の問題です。研修医に教えるべきは、このような感性です。知識はあくまでも、その後に付いてくるべきものであり、感性に従属する事物なのです。

ことば、時間、空気の感性を取り戻すために

 このような感性を教えるためには、何より指導医自身がことば、時間、空気に対して鋭敏な感性を持っていなければなりません。
 認めたくないことですが、ある程度はこの感覚はセンスの問題であり、天与のものであります。もともとことば、時間、空気の感性に長けた、感受性の鋭い人というのはいるものです。こういうのは天が与えた才能でして、私たち凡愚が逆立ちしてもかなうものではありません。
 では、天与の才を与えられていない私たちはどうしたらよいのでしょう。
 ここで、古典的な教育方法が、実は生きてきます。それは、感性豊かなロールモデルを見つけ、そしてその「背中を見る」ことです。
 「背中を見て育つ」教育方法は古くさい、と否定されがちですが、そんなことは全くありません。特に、感性の問題は、レクチャーや教科書では何も得られません。ことば、時間、空気の感覚を一緒に背中を見てつかんでいくより他ないのです。
 もし、身近にそのようなロールモデルがなければ、感性を磨くために必要なものは病院の「外」にあるのかもしれません。ことばの感覚をつかみ取るには良い文章を読み、良いことばに耳を傾けるのが一番です。それは詩や小説かもしれませんし、歌謡曲や映画かもしれません。美味しい料理やお酒、美しい風景、草花、建築物がそれを提供してくれるかもしれません。スポーツや武道で身体を動かすことがそれをもたらすかもしれませんし、恋をすることがそうなのかもしれません。自分自身で、ことば、時間、空間の感性を取り戻すこと。そのことが医師の研修において、医療においてもっとも大事なバックボーンなのではないか。最近、そう感じているのです。今回は論考中の問題を扱ったので、あまりまとまりがありませんでしたが、そこは「感じ取って」くださいませ。

大麻ヒステリー

武田さんの本はダイオキシンとかエコとかおもしろいものが多いのですが、これはとくによかったです。大麻に依存性は小さく、健康の害もほとんどないことは知られていました。昔、インターナショナルスクールでsubstance abuseの講義をしたとき、「どうしてマリファナはいけないの?」と小さい子どもに聞かれてうまく答えられなかったことを思い出しました。オランダでは合法のマリファナ。日本では、根源的に考えると、だめだしがくるときがあります。アメリカも、そう。911のあとでイラクに戦争を仕掛けたとき、あれはブッシュが勝手にやったのではなく、国民みんながそれを望んだのでした。「イラクがやったなんて証拠ないじゃない。そんなこと(戦争なんて)しちゃだめ」といおうものならボコボコにたたかれたのでした。

1羽のツバメで

Una golondrina no hace verano.

スペイン語のことわざで、1羽のツバメは夏を作らない、というのが直訳。1羽ツバメを見たからと行って、暖かい季節になったとは限らない。まだ寒さが戻ってくるかもしれないから、たくさんのツバメを見るまでは早合点しないように、という意味だそうです。

一事例、あるいは少数の事例で物事を決めつけてはいけない、という教訓ですね。一時が万事、という日本語とは逆の表現ですが、日本語にも似たようなの、あったかなあ。3度目の正直も違うし、、、よく分からないです。

でも、とてもよいことわざだと思います。

今日のJクラブ

   Clinical Infectious Diseases
           1 May 2009, Vol. 48, No. 9:         pp. 1244-1249
 
 
 
Comparison of Laboratory Diagnostic Procedures for Detection of Mycoplasma pneumoniae in Community Outbreaks
 
Kathleen A. Thurman, Nicholas D. Walter, Stephanie B. Schwartz, Stephanie L. Mitchell, Michael T. Dillon, Andrew L. Baughman, Meredith Deutscher, John P. Fulton, Jon E. Tongren, Lauri A. Hicks, and Jonas M. Winchell

臨床診断をゴールドスタンダードにして検査を評価したという変わったスタディー。ときに、著者の中にフェロー時代に研修医だった人を見つけてびっくり。優秀でした、その人。

今あるリソースを最大限に、肺炎球菌ワクチンを考える。

 

既存のワクチンを最大限に活用することが肝心です。効くと分かっているワクチンが全然接種されていない状態で、臨床試験すらまだ不十分な新型のワクチン(だけ)にすがってはいけないからです。

 季節性インフルエンザワクチンの重要性についてはけっこう議論されていますが、圧倒的に足りないのが肺炎球菌ワクチンです。65歳以上のすべての方、および免疫抑制、基礎疾患のある方に推奨されているワクチンで5年に1回打ちます。米国では65歳以上の住民の70%近くがすでに肺炎球菌ワクチンを接種しています。先日視察した香港では、65歳以上の住民すべて肺炎球菌ワクチン無料で夏の間に積極的に接種していました。香港はSARS以来感染症対策にはかなり力を入れていて、日本よりもずっと進んでいます。

 ところが、日本では65歳以上の5%弱しか接種しておりません。接種対象で未接種の方が何千万人といるのです。任意接種で自己負担なのに加え、再接種が「禁忌」という奇妙な添付文書があるためです(このような添付文書の記載があるのは世界で日本だけです)。

 我が国で肺炎球菌ワクチンを販売している萬有製薬によると、昨年1年間の肺炎球菌ワクチン接種数が27万、今年がこれまで15万で、年間60万の接種予定だそうです。現在国内備蓄が45万、米国のそれが2000万なのを考えると彼我の意識の差は明らかです。

 新型インフルエンザは10代の病気と喧伝されてきましたが、実際に死亡している人のほとんどは40歳以上です。すでに国内でも透析患者、高齢者が死亡しました。基礎疾患のあるかれらこそ新型インフルのワクチン、そして既存のワクチンで守らなければなりません。日本透析医会、日本透析医学会のガイドラインにも透析患者に対する肺炎球菌ワクチンの接種が明文化されています。しかし、現在これは全額自費負担なのです。透析患者さんは肺炎球菌ワクチンを打ちましょう、というメディアからの推奨は(マスクや手洗いと異なり)聞いたことがありません。どうしてなのでしょう。

 また、冬に多い高齢者の肺炎入院を減らせば、その分ベッドが空きます。肺炎球菌ワクチンは実のところ、肺炎予防としてはあまりよいワクチンではありませんが、ICU入院数などを減らすことができると言われています(Arch Intern Med. 2007 Oct 8;167(18):1938)。新型インフルエンザ対策として病床確保があり、兵庫県でもやれ病棟を建てるの病室を建てるのと言う議論がありますが、新しい箱を作っても医療者がいないので意味がありません。既存の病気を減らすのが、一番手っ取り早い「病床を作る」方法です。そして最大の病気の予防策は、予防接種なのは歴史が教えるところなのです。

 ぜひ、国のレベル(政治のレベル)で肺炎球菌ワクチン接種の広報、金銭的な助成、そして「再接種禁止」の添付文書の改訂を進めていただきたいと思います。再接種禁止はずいぶん前から僕たちも要望してきましたが、PMDAなどからの事務的な議論だといろいろ難癖をつけられ、時間がかかって仕方がありません。

談春の落語

神戸文化ホールに立川談春の独演会を聴きに行きました。久しぶりのライブの落語です。面白かったです。宮戸川と三軒長屋でしたが、間に創作落語みたいな談志の思い出話のトークもあり、満腹感いっぱいでした。宮戸川は初見でした。三軒長屋はちょっと早口であわててしまった印象がありました。あとでipod で圓生の三軒長屋の触りを聞き直しましたが、こちらは落ち着いたスロートークで随分印象が違いました。また聴きに行きたいです。

ゴールデンスランバー

秘書さんに借りて読んだ伊坂幸太郎の小説。この人は僕と同い年です。初めてその小説を読みました。

 エンターテイメント小説は結構好きなので(絵本からマンガから、何でもありです)すが、いい小説に当たることがマレなので、めったに読むことがありません。これは面白かったです。よくできているなあ。

 マンガや映画もそうなのですが、こういう生命賛歌、人生賛歌のような話を臆面もなく語れるというのはとても大事だと思います。

今週のケース

NEJMを検討。うまく診断にまでもっていけました。これは毎週やると井伊トレーニングになると思います。

わかりにくいワクチン行政

これも、深く問うてみたい問題。だれがワクチンをどう決めているのか。情報の隠蔽が薬害の根本構造ですが、これが払拭されないと、、、、

http://medg.jp/mt/2009/08/-vol-185-1.html#more

読んだ本 暴走する脳科学

脳科学でここまで分かった、みたいな特集が胡散臭く感じられて手にとった本。でも、内容はそういう本ではなく、脳科学から始まって、こころはどこにあるか、などより哲学的な内容を扱った本でした。期待はずれと言えば期待はずれでしたが、それはそれで面白い本でした。タイトルは、ちょっと、難あり。

謎にまっとうな質問を

日本の感染症界には数々の「謎」があります。どうしてそうなってるの?素朴な疑問を投げかけ続けるのが大事です。

例えば、どうして日本のワクチン行政はこんなに酷いの?

みたいな。

ところで、小児科領域での抗MRSA治療薬でものすごくハベカシン(アルベカシン)が用いられます。これは世界的にも日本でのみ見られる現象です。では、治療効果でそれほどの優位性があるかというと、そんなことはない。

pubmedでarbekacin, human, core clinical journal, children 0-18 yearsで絞り込んで検索できる論文はゼロです(よく、英文だから、と英米反対派は否定しますが、多くの日本人は英語で論文を書いていますし、pubmedには日本語の論文もデータベースに入っていますから、この批判は必ずしも当たりません)。

同じことをvancomycinに行うと295の論文が見つかり、MRSAというタームを加えても25の論文が残ります。teicoplaninだと9個の論文があります。

まあ、
journal.chemotherapy.or.jp/full/05111/051110717.pdf
みたいな論文は見つかりますが、使用実態やTDMのデータがほとんどで、なぜ日本の小児科領域でハベカシンを使うのか、納得するようなデータは見あたりません。
そういう理解の仕方でない理由があるのです。

アミノグリコシド系抗菌薬は腎毒性、耳毒性に問題があります。悪い抗菌薬と即断してはいけませんが、長期投与には向いていません。MRSA感染症はしばしば6週間などの長期の抗菌薬投与を必要とします。プロの医療者であれば、どう振る舞うべきか、そこは根源的に考えてみる必要があると思います。なぜ、ハベカシンでなければならないのか、その根拠が明示されるべきなのです。

専門医を目指す人に

ケース・メソッドが新しくなりました。我々も少し書いています。専門医試験の準備に、どうぞ。

最近、読んだ本

知の欺瞞

前から読みたかった本。非常にエキサイティングな内容で、しかも緻密な準備をしています。でも関係者は怒るでしょうねえ。意味の分からないところは、とりあえずとばして読むようにしようかな。相対主義やポストモダンに対する鋭い、説得力ある批判。

臨床医学の誕生

机の上に積んでおいて、ずっと読めていなかった本。関心のあるところを集中して読んだら、わりとさくっと読めました。そういうことってあります。でも、今読み直すと無理矢理な気がしないでも、、、狂気についての記載は、さすがですが。

流し読みには出来ない本

街場の現代思想

この本を簡単な本と取るか、難解な本ととるか、イージーな本ととるか、深刻・真面目な本ととるかは読み手次第かも知れません。ひとつだけ引用。

私たちが共同的に生きることができる人間というのは、私のことをすみずみまで理解し共感してくれる人間ではなく、私のことを理解もできないし、私の言動に共感もできないけれど、それでも「私はあなたの味方だよ」と言ってくれる人間のことなのである。227ページ

詩のこころを読む

もっともパワフルな詩人、茨木のり子のロングセラー。長い時間をかけてよみました。

これも便利

talkmasterという機械でNHKの語学講座を録音していますが、MP3ファイルなのでどうせならiphoneで聞きたいなとおもいました。SDから簡単に移せましたが、ここで問題になったのは、倍速再生できないこと。

で、調べたらありました。その名もおてがる倍速

これで通勤時間に語学の勉強が出来るようになりました。しかし、今まで1.5倍で聞いていたスペイン語講座。2倍速だとさすがにきついです。慣れるまでは苦労しそう。

今週のCPS

NEJMのMGHと並んで面白いclinical problem solving。今回のお題は難しかったです、、、、鑑別を挙げることは出来ても、、、、

iphoneの倍速

iphone 3GSにしてよかったことは多々ありますが、一番喜んでいるのはpodcast の倍速再生です。とにかく最近時間がないので、歩きながら情報を得たいのですが、倍速再生にしてとても便利になりました。NEJMやLancet、Annals, JAMA, BMJ, Lancet Infectious Diseases, Johns Hopkins、読売新聞のポッドキャストをさらっと流して聞いています。倍速にしても声がクリアなので、英語でもそんなにつらくありません。とくに興味のないところはぼおっと流して、興味あるところだけ集中して聞いているのでそんなに疲れもしません。

流し読みした本

あまり時間をかけずに読んだ本。

リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか

モダンとポストモダンの論者の批評の批評。気分や立場が決定づける「批評」のもろさに東氏が気づいていて、その瑕疵を飲み込んだ上でやっている、という雰囲気が伝わります。


パール判決を問い直す

パールはA級戦犯の無罪を主張したが、戦争そのものは否定していました、という内容の本。データはイデオロギーによって自在にきれいに切り取られることが可能。

ひさしぶりにワインネタ

ほろ苦い記念日のワイン。美味しくも、美しくも、せつなくもあるような日。人生にはそういう日もあります。

クロ・レオ・キュヴェ・キャホリンは奥様の名前を冠した美しく美味しいワイン。

こちらは三角形のラベルが美しい、美味しいピノノワールのワイン。ABCで覚えやすいです。フランス以外のピノノワールって意外に珍しいですが、美味しいです。

au bon climat

今日は高砂西部病院で新型インフルエンザの話をしました。対話を通じて、この病気の理解も深まっていきます。大切なのは、自分の頭で考え、自分の目をあけてものを見ること、みたいです。


移動中に読んだ本

街場の中国論

「アメリカ論」よりもあまりインプレスされなかった本。どうしてだろう。たぶん、この本が「今」の解説本になっており、数年経つと賞味期限が切れてしまったためかと思います。むしろ、中国よりも日本に関する言及の方が面白かったです。

織田信長 最後の茶会

関西に住むようになって、歴史認識が大きくひっくり返されてます。やはり、土地のイメージができないからですかね。光源氏が「左遷された」須磨がどんなところか、見てみるといろいろイメージが変わる。本能寺も意外に街の真ん中にある(なぜか山の中というイメージでした)。この時代の歴史は(も)弱いので、いろいろ勉強した本です。

対米交渉のすごい国

カナダ、メキシコ、NZ、ついでに日本が対米外交で結構がんばっている、という本です。政治交渉の現代史の復習には役に立ちましたが、対米交渉の極意は実に月並みでした。

新しい本を2冊

IDATENサマーセミナーに参加してきました。相変わらずのすごい熱気でこちらもやる気をもらってきました。お世話になった福島の皆さん、ありがとうございました。

でも、勉強したくてもセミナーの倍率は高い。そこで、IDATENが市中感染の本を出しました。大曲先生、大野先生を始めIDATENの合作です。ぜひ、これで勉強してください。

まあ、そこまでがんばって勉強する来もないし、けど手っ取り早く要点だけ押さえたいというクールなあなたのために、こんな本を用意しました。

マンガで学ぶ感染症

よかったらどうぞ。

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