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2009年10月

マッチング

マッチングの結果が出ました。6年生の人はずいぶん緊張したでしょうね。ご苦労様です。

僕もマッチングは経験したことがありますが、いの一番に志望したところにはマッチできませんでした。でも、それがいい体験になって、、、なんて美談があるわけでもありません。歴史にイフはないので、どこにマッチしていたらどうなっていたか、なんて分かるはずもありません。

ただ、ここではないどこかにいる私、なんて希求しても精神衛生上不健全なだけだと、よく思います。

僕は昔から、所在より行為、「どこにいるか」より「何をやるか」、に興味がある人なので、そこはあまり関心がなかったかもしれません。そういえば、当時はお金が全然無かったのでインタビュー旅行すらできませんでした。

原稿は読んでもよい

ACIP会議では一般の参加者が発言できるのがとても興味深かったです。さらに面白いな、と思ったのは、多くの発表者が原稿を書いてそれを読んでいたことでした。たとえば、髄膜炎菌感染症で家族を亡くした患者代表は、自分の子どもがどのように発症し、手足が壊死して切り落とされ、そして死に至ったか、というような内容を原稿にまとめて朗読していました。

何年か前の、あるエイズの学会で、患者代表が「私をここまで生かしてくれてありがとう」という内容のスピーチを朗読したときもそうでした。発表後は拍手の嵐、スタンディングオベーションで、聴衆の目には光るものすらありました。

問題は、朗読しているかそうでないか、ではありません。言葉に自分の魂が乗っているかどうか、が大事なのです。長田弘的に言うと、「言葉のダシ」というやつです。

こないだ、某発表会で原稿を読んでいた、ということで発表者が非難されていました。問題の本質は、そこにはないのだけどね。本質と形式の取違はオムニプレゼントで、これは僕にとってとても苦痛です。大学ってそういうとこ。

久しぶりに、ワインネタ

ちょっと寂しい秋の夜は本かワイン、あるいは映画。

これは、値段はそこそこでも味はあきらかにA級、、、「○の雫」に出ていたワインと味比べしても全然圧勝でした。

オーコートドニュイ 2005年

2005年はスペシャルイヤー。ワンランク味が高まります。

かんべんしてくれ、「優先」「最優先」

アメリカCDCのかかげるハイリスクグループは以下の通り。

http://www.cdc.gov/h1n1flu/highrisk.htm

で、日本は「最優先」「優先」とあるわけです。まあ、細かいです。

http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu091002-16.pdf

「現場に丸投げするな!ちゃんと細かく基準を決めてくれ。事細かに指示してくれ。何かあったら誰が責任とるんだ」
という現場の幼児化現象と
「やれやれ、箸の上げ下ろしまでいちいち規定かよ」
といいながらもがんばっちゃう中央官僚の使命感とパターナリズムが合致した現象です。

でも、現場は結局これで首を絞められるのです。

今週のMGH

一年目研修医のT先生がプレゼン。よくできていました。それにしても、53歳男性の倦怠感、22kgの体重減少、「貧血」で鉄剤のませて帰しちゃうって、アメリカのプライマリケア医でもこんなにいけていないこともあるんですね。

スペイン語試験

数年前から年に1回か2回、語学の試験を受けています。日曜日はスペイン語検定5級でした。一番下が6級なので、下から2番目。昨年はフランス語検定4級、その前は中国語検定4級でした。まあ、下の方をうろうろしているのですが、あくまで趣味なので、、、、

今回は内科専門医recertificationとも重なっており明らかに準備不足で、満足な試験とはいえませんでした。「顔を洗う」みたいな基本的なフレーズすら忘れていて、自分のボキャと文法力不足、いろいろ問題点が顕わになりました。

試験って助かります。もともとアメリカにいたとき、スペイン語会話は勉強していたのですが、文法無視のブロークンスパニッシュでしかも医学限定だったのでしたが、こうやって試験を受けると自分の力のなさが痛感できます。それに、動詞の活用なんて試験でもしてくれないと一所懸命覚えようとは思いません。試験は心情的には嫌いですし、ストレスですが、怠惰な自分が勉強するよう仕向けるよい道具だと思います。ほんとうは試験なんか無くてもちゃんと勉強できるような勤勉さがあるとよいのですけど。

ACIPについて 続き

CDCのスミス先生から質問への回答が届きました。続報です。

なお、以下の文献もあるそうです。
Jean C. Smith JC, Snider, DE, and Pickering LK. Immunization Policy Development in the United States: The Role of
the Advisory Committee on Immunization Practices. Ann Intern Med. 2009;150:45-49.

Q. ACIPメンバーはどのように決定するのですか。任命期間はどのくらいですか?

A. 以下、ご参照ください。
http://www.cdc.gov/vaccines/recs/acip/req-nominate.htm

自薦、他薦可能で、CVと推薦状がACIP運営委員会によって十分に吟味され、ベストな人物が選抜されます。通常、1回につき2人の新しいメンバーが選抜されます。最終選抜・決定は米国保険社会福祉省(DHHS)長官によりなされます。メンバーの任期は4年間で、毎年、2-5人のメンバーが新規に選抜されます。選抜過程はなかなかたいへんです。レベルの高い人物からたくさん応募がありますから。

Q. メンバーはどのような方から何名ずつ構成されているのですか?小児科医?成人担当医師(adult medicine)、基礎医学?臨床医学?

A. 厳密なルールはありませんが、ACIP運営委員会は上手くバランスを取るよう配慮します。小児科医、家庭医、内科医、男性、女性、人種・民族グループ(例えば、白人、ヒスパニック、黒人、アジア人など)、出身地(西部、南部、東部、北部)。そして研究者か行政担当者かなど。現在のメンバーは以下から見ることができます。
http://www.cdc.gov/vaccines/recs/acip/members.htm

Q. ワーキンググループにはメーカーからの人物も入ることができますか。もしそうでないのなら、どうやって未発表のデータを入手できたのでしょう。

A. ワクチンメーカーやその代表者はACIPのワーキンググループメンバーにはなれません。しかし、ワーキンググループの会合には招かれることがあります。通常はテレカンファレンスやウェブ上のセミナーの形で参加します。ここで彼らはワーキンググループメンバーの求めに応じてデータをプレゼンするのです。プレゼンが終了し、質疑応答が終わると彼らは会合から外れなくてはなりません。その後の審議には参加できないのです。彼らが政策・推奨に影響を与えることができないよう、相当な努力が払われています。

Q. ワクチンメーカーとの利益相反(conflicts of interest)を避けるためにはどうしているのですか。

A. 上に同じです。また、ACIPメンバーは任命期間中の利益相反に関して厳しくスクリーニングを受けます。これについては詳細にAnnalsの論文に記載されています。ワクチンメーカーの株所有、特許権の所持、講演料の授受などについてスクリーニングを受けます。毎回のACIP会議では、議長は各メンバーに利益相反があるかどうかを投票時に問います。利益相反がある場合は投票できません。

Q. 会議にはワクチンで予防できる疾患に苦しんだ方からのコメントがいくつか寄せられていましたが、ワクチンの副作用に苦しんだ方々からのコメントはありませんでした。こういう方たちが会議に出ることは制限されているのでしょうか。

A. ワクチン反対派からのパブコメはもちろん受けます。今回の会議ではたまたまそういうコメントはありませんでした。でも、たくさんの人、ワクチンと自閉症に関連があると信じる人たち、チメロサールと自閉症に関連があると信じる人たち、その他の健康問題とワクチン(やその添加物)の関連を信じる人たちがマイクの前に並びます。時に、それはとてもドラマティックです。会議参加に制限はありません。しばしば、CDC会議場の外でもデモが起きます。実は、今回も21日にワクチンに反対するデモがCDC前のクリフトンロードがありました(岩田記。気がつきました。白い防護服を着た団体がプラカードを持って何か叫んでいました)。

Q. ACIPの推奨、IDSAの推奨、そしてレッドブックの関係を教えてください。

A. 公式にはこれらの3つに関係はありません。ただ、ACIPはリエゾン組織として米国小児科学会AAP代表を2人招いており、彼らはレッドブック編集者とAAP感染症委員会の議長です。また、米国感染症学会IDSAもリエゾン組織です。彼らは多くのACIPワーキンググループのメンバーです。

http://www.cdc.gov/vaccines/recs/acip/members.htm#reps

 彼らはACIPの全ての面において積極的に参加しています。そして各団体内部でもよくコミュニケーションをとって、各団体内でのワクチンの推奨にできるかぎり、ずれがないようにします。ACIPの歴史の中で、昔はそうでないこともありました。でも、いまはすばらしいハーモニー(harmonization)があるので、団体内の推奨にずれがあることはまれです。

最終日の夜

藤原伊織の短編集「雪が降る」を読んでいます。ACIPは終わりましたが、13時間の時差と朝から夕刻までの会議を2日間はさすがにきつかった。睡眠を取ろうと思いましたが、タイミングを逸したので読みやすい小説を開いています。自己嫌悪の強い屈折した中年男のセンチメンタリズムを描写させると、この人の右に出る人はあまりいません。

弟の書棚からぶんどった本ですが、藤原伊織の小説を読んだのは二度目。最初は「テロリストのパラソル」で、これは傑作でした。NY時代にK先生から借りた文庫本でした。これ書いてて分かったのですが、すでに鬼籍に入っておいでなのですね。知りませんでした、、、

で、「銀の塩」という短編を読んでいます。バングラディシュの青年がお金を貯め、自国の人力車を無くし、「機械でできることを人間の力でやっている」自国を変えようとしています。

マンチェスターにいた10代。僕は某アフリカの国の政府高官が「滅び行く国を立て直すために」猛勉強しているのを見て、感動したものでした。僕はというと、目標もビジョンも大志も持たないくだらない10代の日本の医学生で、鬱々と日々を過ごしていたのでした。

ACIPの会合を2日間観察しました。大変よくオーガナイズされた会議で感心しましたが、議論の内容はまあ、普通で、日本であっても上手にプロを15人集めれば充分同じことができることは確信しました。あとは、やるか、やらないか。人力車が走っているような時代錯誤な日本の予防接種。エンジンに換えることは、多分可能でしょう。今の価値観では難しいでしょうが、未来を切り開くには今の価値観ではなく、未来の価値観を生きるべきなのです。

昼には市立堺病院にいたS先生と昼食。全く偶然の邂逅でした。世界はかくも狭くなったのでした。

アメリカは大混乱

ACIPの会議に出ています。実に興味深い話がたくさん。これはまた出します。

さて、くたくたになって帰ってCNNをつけると、たくさんニュースが

タミフルが足りない。賞味期限過ぎても使ってね。2005年に切れても2010年まで大丈夫。

マスクが足りない。ほとんど中国製でもよいの?

ワクチンが足りない。全然手に入らない。

というわけで、米国はこれまで新型インフルに実に冷淡、冷静、軽視でしたが、ここにきて急に見解が変化しているようです。「アメリカでは新型インフルで全然焦っていない。なんだ、日本はみんなマスクなんてして、みっともない」という「なんでもアメリカは正しく、日本は間違っている」的な話もありましたが、新興再興感染症に予断、憶測は禁物です。何が幸いし、何が災いするかはわからないのです、なかなか。

事実はなんとかより

新型ワクチンの新しいデータ。1回打ちでも多くの年齢層で大丈夫。特に30マイクログラムのほうがよさそう。でも、これ筋注です。

日本のスタディーでも、筋注の方が効果が高く、副作用が少なかったです。

「あれは違うんだよ。筋肉の中だと炎症所見が表面に見えにくいだろ。あれはずるいんだよ」と皮下注支持するあるドクターの弁。関係ないんです。要は受けた人が気にしなければよいのです。筋肉の中で何が起きているか、は本質的には大事なことではないのです。このような本質を見失った発言がワクチン運用の議論で聞かれるのは、とても困ります。

たくさんのタブーが日本の予防接種の質を落としています。筋注も無批判に忌み嫌うのではなく、きちんと再評価しなくてはなりません。

リバビリンをインフルに?という議論もあります。議論は続く。

季節性の経鼻ワクチンは実は注射よりも効果が小さいというスタディー。「理論的には」生ワクチンで局所でIgAを誘導した方がよいワクチンになるはず。でも、事実は小説より何とやら。実証は常に必要なのでした。だから、医学・医療は難しい。

機内で、、、、

国外に行くときの楽しみは、機内での映画。今回行きの機内では勉強8割、映画1割、読書1割でした。

Any given Sunday

機内では、映画を。男一人の時は、男の映画を

というわけで、Any given Sunday. アル・パシーノの大ファンなのに、ずっと観ていませんでした。アメリカンフットボール?というのでちょっと低く観ていたのかもしれません。

でも、昨年のスーパーボウル以来、アメフトも実はめちゃくちゃ面白いということを悟り、僕の意識は一変しました(あれはすごかった、、、)。ジョージ・クルーニーのLeatherheadsも面白かった(邦題の「かけひきは、恋の始まり」というのは誰がつけたか知らないですが、ひどいタイトルでした)。たしか、これも機内で観たな、、、

オリバー・ストーン監督はさすがです。感動しました。芸術とエンターテイメントのぎりぎりの線を巧みに大胆に綱割れ利しています。まあ、たぶん、日本ではぜんぜん受けない映画だと思いますが、

 シカゴに着きました。僕の好きな街の一つです。アメリカで一番好きな街は?と聞かれればシカゴでしょう。入国審査をうけて、これが結構時間がかかり、あちこち指紋を採られ、顔写真を採られ、その後国内線の荷物チェック。靴まで脱ぐのがアメリカ流。でも、まあまああまり待たずに接続できました。空港のバーに入り、サムアダムスを頼みます。サムエルスアダムスはボストンのエールビールですが、僕はアメリカに来るとこのビールしか飲みません。バドワイザーやクアーズなんて馬のおしっこみたいな感じで嫌いなのです。バーは太ったおばさんが一人でやっていましたが、月曜日だから疲れる、とか不安障害でこないだERに行ったとか、抗不安薬はたまにしか飲まないから私は依存症ではない、とか、こないだ左手の指にできものができたけど、これって単なる豆?でかくなったりしない?とかいろいろしゃべってきました。ちょっとトイレに行ってくるから店をお願いね、と急にいなくなりましたが、隣の常連さんみたいな人が目配せして、「あれはたばこ吸いに行ってるんだ」と笑ってました。こういうことって結構あります。僕がアメリカで研修医やってたときも、隠れて吸ってるナースやドクターは結構いました。統計的な数字にはでてこないんだろうな、こういう人たちは、と思っています。アメリカは本音と建て前の乖離が激しい国なのです。

 12時間近くもエコノミーの座席に座っていて、本当におしりが痛いです。おしりさえ痛くなければ、エコノミーでも全然つらくないのですが。このあと、アトランタまで1時間ちょっと。

 

アトランタは初めてでしたが、でかい街です。空港もでかい。なんと世界一の広さなのだとか。ホテルまでのシャトル便の運転手さんによると、アトランタオリンピックでここまででかくしたのだそうです。リオがオリンピックに選ばれたときは、IOCの役員はブラジル行きの旅行でずいぶん歓待を受けたんだろうよ、と楽しそうにその運ちゃんは言っていました。

 空港では、Robert B. ParkerのRough Weatherというペーパーバックを買いました。アメリカに行くと必ず一冊ペーパーバックを買うのですが、最近は圧倒的にParkerです。他のベストセラー作家もたくさんいるのだけど、彼の文体が一番しっくり来るからです。英語も読みやすいから、というのもあるかもしれません。でも、今は忙しいから、これを読むのはずっと後の話だな。

 機内ではおおむねスペイン語の勉強をしながら、与謝野晶子訳の源氏物語と小林秀雄の本居宣長と塩野七生の「ローマ人の物語」文庫第一巻をちゃんぽんで読んでいました。その間、Any given Sunday, 007のTomorrow never dies, Diamonds are foreverを観ました。最後のはほとんどBGMでスペイン語の勉強の片手間に観てましたが。Tomorrow never diesはひさーしぶりに観ましたが、あらためて、なかなかの傑作だと思いました。ピアース・ブロズナンのボンドで一番よいできの一つだと思います。スペイン語の勉強は絶望的でした。この年で動詞の活用とか、覚えさせんなよ、という感じです。

 ダイヤモンドは永遠に、は遊び半分に日本語で流し聴きです。若山弦蔵の声なのです。懐かしの月曜ロードショウなのです。声はなかなかよかったですが、邦訳は実はぜんぜん下手なのに今になって気がつきました。こどもの時は気にせず楽しく観てましたが、昔の吹き替えってけっこう稚拙だったのですね。

 死体にダイヤを隠したボンド。フェリックス・ライターがダイヤの隠し場所が分からない。降参だ、どこにあるの?と尋ねると、、
「alimentary,,,,」
と答えます。elementaryとかけて、「お腹の中だよ」といいつつ、「初歩的な質問だよ、ワトソン君」的に答えているのでした。こういう遊びが邦訳では消えていて、、
「消化器」
とつまらない答えになっています。こどもの時は気づかず観ていましたが、007シリーズの楽しい言葉遊びの魅力が、吹き替えで消え去っているのでした。

 CDCの近くにとったホテルの周りにはなんにもありません。典型的なアメリカの郊外。でも、外に出る気にもなれない。さすがに30時間以上ほとんど睡眠なしで移動で、疲れました。先週から移動ばかりで、疲れたのでした。山のようなメールを片付け、スカイプで話をして、、スカイプって本当に便利。明日から、ACIP

あきらかに、、、

ショックの患者を診ていてばたばたしている間に、東京から電話、、で慌てて夜の会議に。

ふがが、昨日の会議がもうアップされている。しかも要約なしで、詳細に、、、、ロハス、恐るべし、、、うかつなことはいえません。

でも、こういう報道はへんな要約やねじ曲げを避ける意味でとてもよい報道の仕方かもしれません。僕が新聞から離れていっている理由もここにあります。インターネットに紙面スペースの制約はない。ここに曲解、ねじ曲げの言い訳が入る余地が無くなる。

僕の反省としては、まず医療従事者100万人、というデータが出たとき、「それはどういう根拠か?」と問いたださなかったこと。ここは甘かったです。もうひとつ、10mlのバイアルの話が出たとき即座に反対すべきでしたが、これに回答するのにもタイムラグがあり、厚労省への疑義が遅れました。猛省しています。たくさんの議論がばーっと出る中で、個々の議題にきちっと突っ込みを入れるセンスと能力とガッツが必要なのですが、それが足りなかったのです。

これまで、絶対に、絶対に、絶対に謝罪をしなかった厚労省ですが、足立政務官が会議の冒頭で情報の混乱について謝罪したのは英断でした。足立政務官=厚労省ではないにしても、立派な判断だったと思います。このことだけでも、あきらかに世の中は前進しており、政権交代とはこういうことだったのか、と得心する次第。

学生時代にほとんどあこがれのヒーローだった尾身先生たちと対立構造を築くことが本意なのではありません。今でもすごく尊敬してますし、「たたき」の構造に組み込まれてしまうのは僕としてはとても不本意です。もちろん。厚労省とも対立構造を築きたいわけでもありません。むしろ、信頼し合うプロとして、だからこそ忌憚のない意見を交換したいだけです。フランス人はイギリス人を「食べ物に関して全く無関心」と揶揄し、イギリス人はフランス人を「朝飯を食べているときに昼飯の献立を考えている奴ら」と返します。仲がいいから、こういうことを広言できるのです。なんとならば、日本の隣国に、このような発言をしたら大問題でしょ?本質的に仲がよくないから、牽制しあって口をつぐむしかなくなるのです。

会議の後で、厚労省の方とこのような会話をしました。これがほとんど、要約です。

「厚労省ががちがちルールを作らず、オプションを用意すべき、現場で決めるべき、と岩田はいうが、それは丸投げだと現場から文句が来る」
「選択肢があり、情報が開示されれば現場で決める方がベター。現場のことを厚労省に決めてくれ、とだだをこねるのはプロの医師として、あるいはプロの行政官として恥ずかしい態度です。現場は、甘えてはいけない。千葉県のように厚労省の指示がないと一歩も動けないような、幼児的な態度は困る。プロならプライドを持って仕事をすべきです。厚労省は、これまでのように情報を隠蔽することなく、全部開示して欲しい。あとは患者と医師が現場で決めればよいこと。日本の医師も成長しなくてはならない。おかみがルールを作って全部指示してくれ、というのはプロではないのです。裁判で訴えられると怖いから、厚労省のガイドライン通りに医療、というのも恥ずかしい。我々は現状に合わせてルールを作るのではなく、未来のあるべき姿を見据えて議論をすべきです。厚労省はそのような矜恃あるプロの足を引っ張るのではなく、支援をするのが大事なのです」

やったぜ!

肺炎球菌ワクチン再接種が認められます。インフルエンザワクチンとの同時接種も可能です。ここまで来るのは、長かった、、、

新型インフルエンザのおかげで、というべきか、本質的な感染症の問題がつまびらかになって、日本において当たり前のことができていない、常識が通用しない、ということがだんだん開陳されてきました。民主党政権になって、「これまでの常識」を「これからの常識」に自動変換することもできなくなりました。時代は、そのような流れです。

この流れは、絶対に押し戻せません。

だから、あとは流れに乗るか、流れに逆らって滅びるか、という幕末の武士たちみたいな選択肢を強いられるだけなのです。

サンデープロジェクト

新型インフルエンザの問題のみならず、医系技官やワクチンの問題も踏み込んでおり、これまでの報道の中では非常によい内容でした。揚げ足を取ることはできるかもしれませんが、まあそんな品のないことが必要ないくらい、全体の内容はよかったです。国民全体の議論に盛り上がるか、注目です。

予防接種制度の改革は何年も訴えてきましたが、「無理」「日本にはなじまない」と言い訳され続けてきました。

足りないワクチンは、新型だけではありません。未承認ワクチンはもちろんのこと、ニューモバックス、Hib、日本脳炎、季節性インフル、全て足りない。

さあ、年金「だけ」と揶揄される現大臣ですが、どう出るでしょう。

新型インフル 各地の発生状況

なぜか、島根県のHPが県別の情報が豊富です(他にもあるかもしれませんが)。経時的にまとまっていて見やすいです。

北海道で激増しています(富良野は170人近くです、、、)沖縄はピークアウトしたように見えましたがまた微増(今後どうなるかは注目)。愛知、福岡も多いです。兵庫も多いですが、とくに神戸で多い。名古屋は愛知全体と比べて大差ないですが、福岡市は30を越えたようです。

世界に目を移すと、WHOの地図をアニメのようにボタンを押し続けるとトレンドが見えてきます。南米では減り傾向、北アメリカで増えている、という感じ。ただし、情報のない地域が多いです。ヨーロッパも多い地域があります。

南半球がどうなったのか、調べ損ねていましたが、オーストラリアはだいぶ落ち着いてきたようです。ニュージーランドもほぼベースライン。

1回か、2回か、の議論

結論から言うと、どちらが正しいかを断言するのは現段階では不可能だと思います。さて。

- 我が国では、阪大微研、北里、化生研、デンカの4社がH1N1ワクチンを製造している。基本的には従来の季節性インフルワクチンと同じ工程を経ており、したがって鶏卵を用い、アジュバントを用いず、経皮接種を基本とする。有料
- 輸入ワクチンについては、ノバルティスのワクチンは細胞を使用しており、アジュバントありで筋注。そのプレリミナリーデータはNEJMに詳細が報告されている。
    - content.nejm.org—NEJMoa0907650 <http://content.nejm.org/cgi/content/full/NEJMoa0907650>
- GSKのワクチンについてはデータ見つけられず、、、、
- 米国では、4社がH1N1ワクチンを提供している。無料(報道による)。そのうち1つは経鼻生ワクチンだが、抗体産生能は高くないといわれ、また免疫抑制者や妊婦には禁忌である。米国産のワクチンはいずれも鶏卵を用いており、注射薬はアジュバントを用い、筋注である。基本1回打ちだが、9歳までは2回。ただし、ACIP、CDC、各社パッケージインサートを読む限り、1回、2回の根拠は従来の季節性インフルのデータを踏襲しているように読み取れる(未確認)。
    - www.mhlw.go.jp—infu091016-02.pdf <http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu091016-02.pdf>
    - www.cdc.gov—rr5810a1.htm <http://www.cdc.gov/mmwr/preview/mmwrhtml/rr5810a1.htm>
    - www.cdc.gov—vaccine_keyfacts.htm <http://www.cdc.gov/h1n1flu/vaccination/vaccine_keyfacts.htm>
    - www.fda.gov—UCM182401.pdf <http://www.fda.gov/downloads/BiologicsBloodVaccines/Vaccines/ApprovedProducts/UCM182401.pdf>
    - www.fda.gov—UCM182242.pdf <http://www.fda.gov/downloads/BiologicsBloodVaccines/Vaccines/ApprovedProducts/UCM182242.pdf>
    - www.fda.gov—UCM182404.pdf <http://www.fda.gov/downloads/BiologicsBloodVaccines/Vaccines/ApprovedProducts/UCM182404.pdf>
    - www.fda.gov—UCM182406.pdf <http://www.fda.gov/downloads/BiologicsBloodVaccines/Vaccines/ApprovedProducts/UCM182406.pdf>
- ちなみに、米国でも10人分のバイアルを用いており、1回打ち用と使い分ける模様。本当に上手く活用できるか?注目。
- EUでは鶏卵かベロ細胞、アジュバントの有無は様々だがすべて筋注で2回打ち。
    - www.mhlw.go.jp—infu091016-02.pdf <http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu091016-02.pdf>
-
- 1回打ちのHIでのseroprotection率については、21日後でkitasatoとnovartisで特に大きな差はなかった。大体、80%
- 対象は成人200名だが、気管支喘息2名などの基礎疾患を有するものや妊婦(1名)などが混じっている。
    - www.mhlw.go.jp—infu091016-01.pdf <http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu091016-01.pdf>
- ただし、Novartisのワクチンは、2回打ちの方がmicroneutralization titreでは勝っていた。HIでは同等。国内ワクチンでは2回打ちのデータはまだない。どちらの抗体測定の方が臨床的に正確かは、(岩田の理解では)まだ不明。
    - content.nejm.org—NEJMoa0907650 <http://content.nejm.org/cgi/content/full/NEJMoa0907650>
- 国内ワクチンでは、倍量筋注の方が抗体産生能が高く、副作用も数的には少なかった。ただし、重篤な副作用2名は倍量筋注グループからであった。
-
- 以上から、コメント
    - 国内ワクチンは1回接種で輸入ワクチン同様の免疫反応を得られる可能性が高い。
    - しかし、そのことは2回打ちと「同等」あるいはそれ以上、という事実を示したわけではない。
    - したがって、米国とEUで見解が異なるのも理解できるし、これは態度やロジスティックスの問題であり、どちらかが「科学的に正しいか」を示したものでは(まだ)ない。
        - 1回打ちでよい、という意見の傍証に、臨床試験で予想より高いtitreがでており、過去の感染やワクチンが(事前抗体産生があるなしとは別に)ブースター効果を及ぼしている可能性がある、というものがある。
        - 逆に、2回打ちが必要だ、という根拠は、季節性インフルワクチンが新型に抗体産生能を及ぼさなかったこと(反論はBMJの後向き研究にあるが、現在議論は定まっていない)、通常初回のワクチンは2回打ちが必要なこと。
    - 今回の国内のスタディーは、あくまでも21日後の抗体産生能なので、流行期間中の臨床的な効果(effectiveness)やsecondary vaccine failureのリスクを考えると、1回打ちで充分、という結論を下すのはまだ早すぎると思う。
    - 逆に、「1回打ち」ではだめ、というデータもないので、ことさらに1回打ちを否定する材料にも乏しい。
    - 基礎疾患を有するもの、妊婦についてはデータ不足で何とも言えず
    - 実は、倍量、筋注の方がよいのでは、という可能性も。これは要検討。この場合、倍量を必要とするので、人数のアドバンテージがコンプロマイズされる。15マイクロの筋注というオプションも真剣に検討しなければならないだろう。
    - なお、季節性インフルワクチンの高齢者1回打ちのオプションができたのは喜ばしい限り。少なくとも、日本における予防接種の議論の質は過去に比べれば格段に上がっている。これまでが酷すぎた、という話もあるが。
        - www.mhlw.go.jp—infu091016-04.pdf <http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu091016-04.pdf>
    - 岩田健太郎 powered by OmniOutliner
        -

やはり毒性は強い? animal in vivo data

Natureから神戸大の新矢先生たちの論文。これは画期的。

・豚由来H1N1(CA04)は、人のH1N1に比べると、マウスやフェレットではより強い病理学的な病変を作る。
・抗ウイルス薬は効くみたい。
・1918年のH1N1に交叉反応する抗体が、、、、

http://www.nature.com/doifinder/10.1038/nature08260

NEJMでも引用されていました。

http://h1n1.nejm.org/?cat=31

亀田でのJクラブ

Management of the catheter in documented catheter-related coagulase-negative staphylococcal bacteremia: remove or retain?
Clin Infect Dis
2009 vol. 49 (8) pp. 1187-94

カテを抜いたら再発が減る???か?

Polymerase chain reaction analysis and oligoclonal antibody in the cerebrospinal fluid from 34 patients with varicella-zoster virus infection of the nervous system
J Neurol Neurosurg Psychiatr
2006 vol. 77 (8) pp. 938-42

VZV脳炎とPCRの関係。診断と治療効果は別で、、

recertification

米国内科専門医のre-certificationの試験を受けました。いやいや、疲れました。試験も疲れましたが、その間の移動も大変。前日教授会、そのまえ亀田で、結局千葉、神戸、東京と行ったり来たりです。

試験は60問のMCQを3セッションで、各セッション最大2時間与えられます。1,2セッションの間は20分のブレイク、2,3セッションは60分の昼食休憩が与えられます。ただし、コンピューターベースなので、休憩時間は自身で調整できます。これはとてもいいことです。僕は休憩採るくらいならさっさと問題に取りかかりたい方なので(せっかち、、、)、結局全部で5時間ちょっとかけて試験を終了しました。疲れました、、、、、、

今回、コンピュータベースだったのですが、指紋を採られたり、いろいろ新しい試みがなされていて興味深かったです。以前は米国に行かねば受けられなかった試験ですが、東京で受験できたのはラッキーでした。お金も時間もとても節約できました。

内科全般についてバランスの取れた良問がそろっていたと思います。COPDのリハビリが何をもたらすか(アウトカムの問題)、celiac sprueの皮膚所見、polyarteritis nodosaの神経所見、大腸癌で家族歴がある場合のスクリーニング法などを忘れていました。一般内科の勉強がなかなか最近追いつきません。日本の内科専門医試験みたいに「なんでこんなこと聞くの?」という問題は少なかったです。

今回の勉強は、MedStudyMKSAP audioジョンズホプキンスのまとめを使いました。MedStudyは始めて使いましたが、コンパクトでユーモアもあって好感が持てました。MkSAPオーディオは昔からファンですが(こういうの、日本でもあるといいのに、、、)、今回はiphoneで倍速で聞いていました。でも、ぜんぶ終わらせることができず、中途半端になってしまいました。さすがに感染症の部分は割愛しました。ここは全問解けて当然ということで、、、、。ホプキンスは今回はじめてつかいましたが、メイヨーに比べてカラー写真が多く、そこがよかったです。持ち運びは重くて大変でしたが。

内科の勉強をやり直す意味で、僕みたいにものぐさな人間は試験のような足かせがあって始めてきちきち勉強します。このような機会を得てとてもありがたく思います。

再来週はスペイン語の試験です。まあ、ずいぶん下の方の級ですが、、、、

クララ・シューマン

 今日はめずらしく仕事ゼロの日。こういう日も大事です。

 映画、クララ・シューマンを観ました。ブラームスの伝記を読んでいる最中で、いろいろ考えさせられました。狂気と正気、感受性や天性、才能や美への愛情や個人への愛情など。ラストの演出も控えめながらよく練られていましたが、これはネタバレなので割愛。

土曜日

 土曜日です。三連休の方も多いでしょう。素敵な秋晴れで雲がきれいでした。医師会の講演で新型インフルエンザの話。楽しんでいただければ幸いでしたが。
 朝、あれやこれやのことをやった後、移動。その間、「はじめての現象学」を読みました。現象学の本は何冊も読んでいますが、今回はすごかった。一字一句すべて納得。よく理解できます。竹田さんのこの本がよいのか、自分の感受性が高まっているのか。今月出す本とシンクロするところも多かったので、こちらの理解度が高まっている、というのがたぶんまっとうな説明でしょうか。今月出す本にも、現象学的な話はしょっちゅう出てきますが、原稿執筆時にはよく理解していなかったので、反省です。でも、本を書いたからこそ今回本をよく理解できたのかもしれません。どうなんだろう。

 ただ、フッサールの現象学の解説はとことん腑に落ちましたが、その後はあまりいけてなかったような印象も受けました。快、不快、よい、わるいの説明は小児のフロイトやピアジェの決めつけ的な心理学の外挿が多く、「本当にそれでいいの?」という素朴な疑問が置きました。こどもの振る舞いを見ていてこどもの心理やそのあり方が理解できる、という古典的な信念にはちょっと冷静になって考えれば直ちに懐疑の心が起きるでしょう。

 同じように、恋愛に関する本質直観にいたっては、かなり疑義たくさんでした。本当の恋愛を経験しない限り、その本質は理解できないですが、そもそも各人が「ほんもの」の恋愛を経験しているか否かは、誰にも分からない。そのときはそうと思っていても、後になって、「これこそ誠の恋愛」と修正するかもしれない。本質直観というのは、恋愛をテーマにとって見れば極めて得がたいもののように思います。自分が体験している恋愛の狂おしい感情を他人が同じように体験しているとは考えがたいのではないか?とか、いろいろ考えるのではないでしょうか。

 でも、そういう制限を差し引いても本書はエキサイティングな本で、終わりまでノンストップでした。来週は内科専門医試験のre-certificationなのに、こんなことやってていいのだろうか。ちなみに、この本が面白すぎて今日は新幹線の乗り場を間違え、逆走してしまいました。こういうことは高校生以来ですが、本を読んで夢中になると訳が分からなくなってしまうのです。でも、おかげで乗り換えした新幹線で、あの大物俳優に出くわしました。黒服、ノーネクタイのあの方です。というわけで今日はよい一日でした。

白州正子自伝を読んで、、、

 

白州正子自伝を読みました。切れのいい「男らしい」文章でした。あまり面白くて、出張先の電車の乗り継ぎを失敗してしまいました、、、

 

歴史の生き証人(もう鬼籍に入っておいでだから変な言い方ですが)らしく、歴史上の重要人物が隣近所の人たちのように次々に出てきて、実に面白い。僕は白州次郎が大好きなので、そういう意味からも婦人からの次郎像がおがめてよかったです。噂通り、とても仲のよいカップルだったみたいです。

 白州次郎のように西洋の文化に精通し、ベントレーやランチアを乗り回し、スコッチウイスキーを飲むような表現形がパトリオット(愛国者)の名を貶めるものではありません。GHQと同じ土俵で丁々発止のやりとりをし、敗者となってもその誇りを失わず、天皇への不遜な態度で当時無敵のマッカーサーにすら喧嘩をふっかけた白州次郎。ブーツを履いたり香水を好んだ坂本龍馬と同じ魂をそこに見ることができます。「日本の文化を大事にする」とかなんとか称してうちにこもってしまい、「内部でしか通用しない世界観に」浸ってしまう情けない輩をよく見ます。が、そういう引きこもり的な態度が愛国心なのではないのだ、ということは白州次郎の生き方を見ていつも思っています。愛校心でも愛社精神でもなんでも、同じように応用可能です。自分の内的世界に厳しい目を持つこと、インサイダー特有のひいきのひきだおしをしないのが、本当のプライドなのだと思っています。
 卒業生ではありませんが、僕は神戸大学の「インサイダー」としてこの大学を心から愛しています。でもそれは、「神戸大って最高。ごろごろ」とこたつの中のネコみたいににやにや、ほくほくしていることを意味していません。学生や研修医に、外的アカウンタビリティーを持つことを要求するのはそのためです。要するに、本当の意味でのプライドを持って欲しいのです。
 感染症学会が新型インフルエンザのガイドラインを出しています。賛否両論あるでしょうが、学会が独自の見解を出すことはよいことです。WHOやCDCの真似をする必要もない。でも、それをWHOやCDCの知るところとしないと、日本の学術界の矜恃を示すことができません。「あんたたちと異なる見解を打ちの学会は出したよ。それは、これこれこういう根拠に基づいているよ」と正々堂々といえばよいのです。そうしないと、ある種の陰口と同じになってしまう。
 だから、日本語だけではなく、英語にして書く意味があるのです。英語にすることが欧米文化に対する屈服である、みたいな意見を耳にしますが、それは白州次郎が聞いたら大笑いされるか、逆に激怒されるかのどちらかでしょう。プライドというものの真の意味が、しばしば取り違えられていると、僕は思います。

 話がすごくずれちゃいました。白州正子です。彼女の文章を読んでいて思うのは、文字に対して、絵画に対して、骨董に対して、自然風景に対して、歌舞伎に対して、音に対して、色に対して、とても鋭敏な感受性と審美感をお持ちだなあ、と想像することです。想像する、というのはその感受性に乏しい僕が彼女の感受性を追体験することは不可能だからです。想像することしか、できない。でも、そのオーラだけがそこはかとなく伝わってきて、「分かった気に」させてしまう。
 僕は語学の才能を欠いているので英語にはずいぶん苦労しました。今でも苦労しています。語学の才能、というオーラを発揮している友人にずいぶん引っ張られました。
 幸いにして、今でも僕にはそういう引っ張ってくれる人がいるので、それなりに自分を保てています。音や色や文字などの感性に優れた人ってすばらしいなと思います。素敵だな、と思います。そういう人が周りにいることは幸いです。センスのない人間も、センスのある人間が周りにいることでなんとなく引っ張り上げられることは多いのです。文章を書くとか、コミュニケーションを取るとか、そういうことは僕は大の苦手だったのですが、今何となくそれなりにそういうことが可能になってきているのも、「引張りあがられてきた」結果だと思います。
 白州正子はそういう引っ張り上げる人でした。また、彼女自身も白州次郎や小林秀雄に引っ張られてきたのでしょう。そうそう、僕の大学時代の恩師は若い頃小林秀雄に弟子入りしようとしてその自宅に押しかけたことがあったそうです。食事か何かをごちそうになり、「じゃ、これで帰りなさい」と諭されたとか。そんなエピソードも思い出しました。本を読むとあれやこれやでつながってくるものですね。

 ハンガリアンラプソディという章の中で、白州正子は、「もう一度ヨーロッパのどこの国に行きたいか、と問われたら、私は迷うことなくハンガリーと答えるであろう」と書いています。センスの醸造物みたいな白州正子にそこまで言わせるハンガリー。今年は学会で行くはずだったのに、新型インフルエンザのせいでおじゃんになってしまいました。本を読んでいたら、その悔しさがよみがえってきました。今度は、必ず行くぞ、、、、

季節性を打つと新型に???

unpublished dataということで、これだけ読んでもよく分からない。だれかオリジナルをお持ちでしたら、教えてください。

テクニカルエラー(ごめんなさい!!)

このブログに最近、コメント無いなあ、と思っていましたが、こっちも忙しくてあまり気にしていませんでした。テクニカルエラーで、公開ボタン待ちのコメントが山積みになっていました。公表されていなかった皆様。他意は決してございません。申し訳ございません!!!

コメントについては基本的に公開しています。反対意見や批判も出しています。エッチな内容のジャンクなコメントみたいなのだけ(バイアグラ20ドルでいくつ、みたいな)、排除していますので、気長におつきあいください。

あと、ブログは意見交換の場としては認識していないので、あまりコメントに対するコメントは出していません。これも他意はありませんし、傾聴に値する批判は甘んじて受けております。ご容赦ください。

新型インフルエンザに対し、医師はどう対峙し、対応すべきか。提案。

新型インフルエンザへの対応法が多く議論されています。いろいろなご意見を伺っていて、私がずっと考えたことをこの場で申し上げさせてください。なお、議論を省略したくなかったため、長文になっています。その失礼を最初にお詫びしておきます。長文を書いておいてなんなのですが、新型インフルエンザ診療に従事する皆様には、できれば最後までゆっくり読んでいただきたいな、と希望しています。

1.まず、思い出したいのは、新型インフルエンザ、豚由来インフルエンザA(H1N1)は今年3月に発見されたばかりの見つかりたてほやほやの疾患だということです。
 私たちは多くの病気に取っ組み合いますが、各々の疾患について長い間研究が重ねられてきました。大抵は何十年という年月です。けれども、私たちは未だにアルツハイマー病の決定的な治療法を知らず、脳梗塞時の決定的な至適血圧を知らず、理想的なコレステロール値を知らず、全ての年齢層におけるうつ病の最良の治療法を知らず、多くの進行癌の治癒法を知りません。疾患の理解には長い年月をかけた基礎的な研究が必要になりますし、治療法や予防法の開発についてもそうです。臨床的に、実際に現場で患者さんに役に立つか、という議論になるとさらに長い年月をかけた検証(≒臨床試験)が必要になります。予防接種の有効性や安全性の検証にも時間がかかります。季節性インフルエンザの有効性については未だに多くの議論がありますし、麻疹ワクチンの安全性についても何十年と議論がありました。エイズや結核、マラリアというコモンな疾患に対するワクチンの実用化はようやく夜明け前と言ったところです。

2. そんな中で、新型インフルエンザです。まだ見つかって半年あまりのこの疾患、そして原因となるウイルスについて、我々は多くのことを知りません。予防接種については接種により抗体が産生されること、健康な方に接種するとわりと副作用が少ないことが分かってきました。国内産のワクチンについては、まだ有効性も安全性もまだまだ未確定です。effectiveness、本当のワクチンの持つ意味については、やってみないと分からないところも大きいでしょう。

http://news.goo.ne.jp/article/cabrain/life/cabrain-24359.html

国外の輸入ワクチンについても臨床試験の中間データが発表されたまでで、「抗体がある程度できる、健康な人を対象とすれば」「わりと安全」ということを我々は知っています。しかし、それ以上のことは知りません。

http://h1n1.nejm.org/?p=869

妊婦や基礎疾患のある方など、多様な方へのデータはまだ検証不十分です。抗体が出来ることと実際に感染症を防御したり、症状を緩和したり、入院・死亡といった大きなアウトカムに寄与するかどうかはまたべつの問題で、これにはもっともっと時間が必要でしょう。日本での臨床試験も始まったばかりです。

http://mainichi.jp/select/science/news/20091007ddm041040131000c.html
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=231405&lindID=4

 集団発生の予防、となるとさらに不明確です。数学モデルにより、有効性X%のワクチンが基本再生算数Yの感染症に対して、人口何%に接種すると、どのくらい集団発生の防御に寄与するかを計算することが出来ます。しかし、我々はXもYも知りません。血液中の抗体産生と病気の予防はパラレルに動くと思われますが、同義ではないのでXを推し量ることは不可能ですし、実のところXは各人各様(あるいは地域の属性、社会の構造や有病率も関与します)で、よくて平均値しか出すことが出来ないでしょう。基本再生算数R0はいろいろな状況で大きく変動します。5月16日に2以上あった(流行が広がるモードだった)神戸の基本再生算数は17日には1以下(収束モード)に変じていました。これには、マスクや休校やあるいはいろいろな他の要素が関与していたと想像されますが、比較対象を持たない介入だったので本当のところは何とも言えません。
 数学モデルは起こった事象の後付の説明は出来ます。しかし、「数学モデルは流行の将来像を予測するためにはあまり役立たない」(感染症疫学、昭和堂)のです。
 専門家は、しばしば自身の専門性の無謬を主張します。非専門家は、非専門家であるが故にその瑕疵を論破するのが困難な立場にあります(不可能ではないです)。インフルエンザの専門家、といってもいろいろな専門家がいます。ウイルスの専門家がおり、疫学の専門家がおり、公衆衛生の専門家がおり、ワクチン学、免疫学の専門家がおり、感染防御の専門家がおり、薬剤開発の専門家がいます。地方、中央の行政担当者がいますし、そして、私のようなケチな臨床屋がいます。それぞれの専門家はその専門領域の外にある「新型インフルエンザ」をよく知りません。現象学的に俯瞰する眼を持っていれば、それはある程度払拭可能なのですが、それは理屈の話であって、感情や自尊心やプライオリティーのあり方などのノイズが入ると、皆で仲よく同じ方向を向いて、というのはなかなかに困難です。このことは、現場に発するメッセージにおける問題の原因の一つになっているでしょう。
 一方、すこし視点を転じてみましょう。同じ根拠で、ある臨床家がウイルス学や疫学や公衆衛生学やワクチン学や免疫学や感染防御学や薬理学、さらには地方、中央の行政といった多様なパースペクティブをすべて俯瞰するのは極めて困難であると思います。あえて言うのならば、「私には見えていない新型インフルエンザの地平がある」という謙虚な自覚だけが、この誤謬を最小限にしてくれるように思います。私は、ウイルスの増殖のあり方やワクチンの具体的な製造法を経験を持って知ることが出来ません。霞ヶ関のあれやこれやの圧力や思惑や背後にあるねとねとした事情を全て察知することが出来ません。ネットでそのようなブラックボックスもだいぶ開陳されるようになり、空けてみたらそれほど崇高な天上物でもなかったな、ということも最近は多いですが、それでも全てを理解するのは、私には難しい。「見えていないものがある」という自覚だけが、私をこの問題に対して、それなりの正気を保たせています。

3.さて、そんな中で、誰がワクチンを優先的に接種されるべきか、について、「科学的に正しい」順番があるわけではありません。何を持って「基礎疾患」とよぶか、当然線引きをする基準はありません。日本の厚労省は非常にまじめですから、「基礎疾患とは何か、教えろ」と要望されて、その定義(案)を作りました。

http://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/dl/infu090918-01.pdf

しかし、冷静になって考えてみれば容易に分かるように、ある人を接種すべき、しなくてよい、という線引きを「科学的」にするのは不可能です。もし科学的に、と言及されたとしたら、それは欺瞞を伴うものにならざるを得ません。例えば、肝硬変患者に対してワクチンを打つべきだ、という意見は「科学的事実」というより、「常識」に基づいた見解です。もちろん、こういうときに常識を重視するのは大事です。しかし、それを科学的言説と称してしまうのは問題があるのです。よくコントロールされた糖尿病患者は、厳密に言うと病気を持っていない人と新型インフルエンザのリスクは変わりないかもしれません。が、それを言っては訳が分からなくなってしまうでしょう。これらをすべて厚労省に厳密に定義させ、運用を強いるのは酷だと私は思います。

 妊婦は危ない、とよく言われます。日本には今妊婦が65-100万人くらいいるそうです(会議で開陳されたデータでの数字です。その根拠を知りません)。さて、9月の時点で、概算ですが、定点観測からだいたい85ー125万人近くの新型インフルエンザが発症したと推計されています(東北大学の森兼先生や神戸共同病院の上田先生による)。では、その「危ない」妊婦が新型インフルエンザで何人入院し、何人死亡したでしょう。
 答えは、9月29日の時点で、入院は7人、死亡者ゼロです。厚労省のウェブサイトは、ややこしくて見づらいですが、結構いろんな貴重なデータを手に入れることが出来ます。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/rireki/091002-02.html

 さて、7人入院で死亡者ゼロの妊婦です。本当にリスクグループなのでしょうか。しかも、妊婦である、というだけで「いちおう妊娠しているし、入院して経過観察」という例もあるかもしれません。
 もちろん、報告から漏れた例もあるでしょう。妊婦さんが報道を受けて普通の人より手洗いやマスクなど予防を徹底して発症をより予防しているのかもしれません。しかし、妊婦は危ない、と称するだけの決定的なデータを我々は持っていないのです。言葉だけが、一人歩きをしている。
 もちろん、妊婦をないがしろにして良いことはありません。妊婦が入院すると隔離が大変ですし、高熱は早産を起こすかもしれず、母子感染が懸念される新生児をNICUに入れるのには感染管理上たくさんのリスクが伴います。だから、私も妊婦は徹底的に新型インフルから守るべきだと思っていますが、だからといってそれを「妊婦は危ない」という簡単なキャッチフレーズに変換させてはならないと思います。
 米国では妊婦の死亡例が出ていますが、それは「妊婦だから死亡した」のかどうかの検証なしでの事例に過ぎません。入院率は一般よりも高かったですが、これも「妊婦だから入院しとくか」の懸念は払拭されていません。米国では日本よりたくさんの死亡例が報告されていて、9月下旬で1000人近くが死亡しています。妊婦がそれにどのくらい寄与しているか分かりません。そこで、論文の結論も、might be at increased riskと留保された表現になっています。

http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2809%2961304-0/abstract
http://www.cdc.gov/h1n1flu/updates/092509.htm

4.そこで、死亡のリスクの話になりますが、

a. 新型インフルエンザは季節性インフルエンザより死亡率が高い
b. 日本では、外国より新型インフルエンザの死亡率が低い
c. タミフルを早期に投与することで日本の新型インフルエンザの死亡率は低くなっている。

という言説がしばしば聞かれます。それぞれ、本当なのでしょうか。

 季節性インフルエンザの死亡者はおもに高齢者に起きます。その死亡率は、社会のあり方やワクチンの接種率など多様な条件によって変動します。冬の超過死亡が計算されています。
http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/inf-rpd/00abst.html
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1955.html
超過死亡は年によってばらばらです。「数倍」差があります。人口変動の少ない最近の数年をとっても、大きく違います。2004-2005年では1770万人の患者、15000人程度の死亡者と推計されているので、死亡率は0.09%と計算されますが、他の年では超過死亡はずいぶんと違いました。2003-2004年では2400人しかいなかったのです。年によって6倍程度の開きがあるのです。
http://idsc.nih.go.jp/iasr/27/321/tpc321-j.html
http://idsc.nih.go.jp/iasr/26/309/tpc309-j.html
http://idsc.nih.go.jp/iasr/25/297/tpc297-j.html

 つまり、一緒くたに季節性インフルエンザの死亡率が何パーセント、と言い切れないのです。
 ただし、粗死亡率をみると、インフルエンザの超過死亡が増えても減ってもそんなに日本の死亡者に大きな変動は見られません。スペイン風邪の時は大きかったですが、アジア風邪、香港風邪ですら、日本の人口に変動を与えるような超過死亡は起こしていなかったのです。前者は実数、後者は「率」なのも要注意です。
http://georgebest1969.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-0c15.html
 さて、死亡率(あるいは死亡割合)を計算するには分母が重要になります。季節性インフルエンザにしても、新型インフルエンザにしても、その分母が充分吟味されないままに「高い」「低い」という議論が行われてきました。直接比較は従って難しいです。例えば、先の0.09%というのは病院を受診した臨床的には新型インフルエンザと思われた、、、というのが分母のもととなっていますから、無症状者や未受診のものは外されています。最近は、symptomatic case fatality rateという言葉もあるのですが、それでも受診の有無という問題は変わりありません。
 サンプル数からの推計値ですから、この0.09%にも信頼区間が存在します。0.09という数字は大きく変動すると思います。
 新型インフルエンザの日本での死亡率は、報告されている20人を分子にし、推計の100万人くらい(「受診者」の定点観測からの推計値)を分母にすると、0.002%の周辺、ということになります。季節性インフルエンザと比較すると、むしろ低いと言うべきでしょうか。いや、信頼区間を考えると、そうとは言い切れないと思います。いずれにしても、結論としては、新型インフルエンザが季節性インフルエンザより死亡率が高い、あるいはその逆、ということを明解に示したデータは皆無です。この部分について、我々は素直に「よく分からない」とすべきです。ただ、新型インフルエンザの死亡率は、(他と比較して同価は知りませんが)低い、ということは言えるのでないでしょうか。
 当初、0.4とか0.5%といわれた新型の死亡率ですが、アメリカでも修正がなされています。
http://knol.google.com/k/anne-m-presanis/the-severity-of-pandemic-h1n1-influenza/agr0htar1u6r/16?collectionId=28qm4w0q65e4w.1&domain=knol.google.com&locale=ja&position=2#
症状のある方を分母にしていますが、sCFRは0.02から0.09%の間です。
 国別での比較は、それぞれ計算する土台となる分母が異なるので、直接比較は困難だと私は思います。
 さらに、地域間で比較しようと思えば、本当は、流行している人口のマッチングなど統計操作が必要です。若くて元気な患者層と、そうでない患者層が居た場合、その死亡率を直接比較して「A国とB国の違い」とは言えないでしょう。国別の死亡率の高い、低いを議論するのは難しいのです。
 ましてや、タミフルが日本における死亡率を下げている、という根拠は(仮説はありですが)、どこにもありません。

5.タミフルを誰に出すべきか。

 季節性インフルエンザについてのタミフル、リレンザの効果についてはすでに前向き比較試験があります。新型インフルエンザについては、私の知る限り皆無です。
 ある、日本のドクターのコメント
「新型インフルエンザなんて怖くないよ。タミフル出したら、みんな2,3日で良くなったよ」
 ある、香港の家庭医のコメント
「新型インフルエンザはそんなに怖がっていません。タミフルを出さない人が7割くらいですが、みんな2,3日で良くなっています」

 新型インフルエンザの問題に対して、我々は都合良く、あちらでは「季節性インフルエンザのデータ」を応用し、こなたでは「季節性インフルエンザとは違う」という言い方をして巧みに使い分けてきました。この辺の曖昧さについてももっと自覚的であるべきだと思います。
 治療薬に関して、我々は新型インフルエンザにどのくらいの効果があるのか、何も知りません。WHOやCDCは全例に薬を出す必要はない、といい、感染症学会や英国は出せといいます。どちらが正しいのか、それは今のところ誰にも分かりません。これは、「どちらが正しいか」という命題ではなく、「何の価値をより重視しているか」という価値観の問題です。CDCと感染症学会では、もっているデータは同じです。より大事に思っている価値観は異なるのです。個々の専門家についてもこれは同様でしょう。私は、これは人として自然なことだと思います。 
 したがって、WHOとCDC,それと感染症学会の見解が異なるのはけしからん、ということはありません。いろいろな見解が専門家の間で出てくるのは、専門家のレベルのどちらかが高く、どちらかが低い、という意味ではありません。まだ生まれて半年あまりの新型インフルエンザ、前向き試験がない新型インフルエンザ。治療薬のあり方については不明点があまりにも多いのです。だから、異論が噴出するのは無理もないと思います。
 というわけで、私の意見と異なる専門家に対して、その人が間違っている、と私は主張しません。私の正当性はどこまで担保できるかは自分ではよく分かりませんが。
 ただ、せめて専門家には「分かっていないことが多いので、あくまで意見としてですが」という留保を持ってコメントしていただきたいと思います。科学的真実である、とかあるいはそのように解釈されるような言い方をするのは問題だと思います。
 感染症学会は全例にタミフルを推奨していますが、さすがに「それが絶対に正しい」と断言するには至っていません。本文をよく読むと、「抗インフルエンザ薬の投与の適応は、原則的に各々の医師の裁量で行われる」と明記されています。
http://www.kansensho.or.jp/news/pdf/influenza_guideline.pdf

6.検査はだれに、何をすべきか。

 各検査の感度、特異度を考え、検査前確率を考える。そのあとは、何故検査をするのかを考えます。また、検査を行うことによる医療者への曝露や、検査キットの兵站学、検査をしないでタミフルを投与することによるコストや副作用のリスクなどいろいろなことを考えるでしょう。いずれにしても、治療がどうあるべきか、とリンクして検査を考えなくてはならないので、全例タミフルを出す、と決めている場合に、あるいは出さない、と決めている場合に検査をしてもしなくてもあまり何かがもたらされることはないでしょう(研究目的を除く)。

 私(岩田)はどうしているか。基本的に、臨床試験以外での診療では、基礎疾患がある、重症感があるなどあれば抗インフルエンザ薬を、リスクが小さければ患者さんと相談して考えています。迅速検査をするときもあればしないときもあり、PCRまでもっていくこともあればしないこともあり(外来ではほとんどしない)、タミフルを出すときも出さないこともあります。たぶん、100%これ、と一律に一方法を決めてしまうのは、問題だと思います。
 なにしろ、よく分からないことが多いこの疾患です。患者さんとの対話、患者さんの価値の確認こそが、こういうときは求められるのではないでしょうか。参考に、亀田総合病院のガイドラインをお示しします。なかなか良くできていると思います。

【外来患者におけるインフルエンザ 】

・表1に示す合併症の高リスクの患者には、原則的にオセルタミビルまたはザナミビルによる治療を推奨する(1, 8)。アウトブレイク初期の報告で、BMI 30以上の肥満も死亡のリスクとされ、これも高リスクに含めた(2)。いったん治療すると決めたら、治療はできるだけ早期に(発症から48時間以内が望ましい)開始するべきである。

・高リスクにあたらない生来健康な5歳以上の小児や65歳未満の成人で、入院を要しない軽症患者に対しては、患者との相談の上、抗ウィルス薬を投与するかどうかを決める。この患者層については、WHOやCDCは抗ウィルス薬の投与を推奨していないが(1, 8)、日本感染症学会は投与を推奨している(9)。抗ウィルス薬による重症化予防の可能性はあるが、有効性を示すデータはまだ乏しく、なんともいえない。薬剤の副作用(腹痛、下痢、悪心などの消化器症状が主で、稀にアナフィラキシーなどのアレルギー反応。因果関係は不明だが、国内では10代を中心として異常行動の報告がある)を説明した上で投与を希望するかたずねる。

・外来患者で発症から48時間を超えて受診した場合には、有効性は低いであろうことを説明し、投与の希望をたずねる。

・インフルエンザ患者(疑いを含む)で肺炎を疑うような徴候(呼吸困難、頻呼吸、低酸素血症)があれば、速やかに抗ウィルス薬と必要に応じて抗菌薬を投与するべきである(8)。

http://docs.google.com/View?id=ddbrbpz7_0g438bchc

7.プロの臨床医はいかにあるべきか。

 不明確なことが多い新型インフルエンザですが、それはこの疾患がこれだけ歴史の浅いことを考えると、当然と言えると思います。今後の流行のあり方や「強毒化」の懸念、第二波はいつくるのか、そもそも来るのか、第三波は?患者は何人出るの?正確な予測は不可能です。過去のパンデミックの歴史を振り返っても、波のおき方は年によって、地域によってバラバラです。愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶという言葉がありますが、歴史は「未来予測」がいかに困難かを教えてくれます。
http://content.nejm.org/cgi/content/full/NEJMp0903906
 このような不明確な状況の多い中で、現場の診療医はどうあるべきでしょう。情報は当然集めるべきでしょう。そして吟味すべきでしょう。「妊婦は危険」のようなスローガン的なキャッチコピーには要注意です。言葉だけの一人歩きは多く、実際にデータを見るといろいろと異なる側面が出てきます。
 厚生労働省は臨床の素人です。素人にプロの臨床医が診療のあり方を指図してもらってはいけません。某市のある会議で、診療医のひとりが「薬の出し方について行政がきちんと指針を出して欲しい」とおっしゃっていましたが、私はとんでもない話だと思います。プロがアマチュアに教えを請うなんて、プライドも何もあったものではありません。基本的に、他の全ての病気についてそうであるように、現場における診療のあり方は最終的には現場で決めるべきだと思っています。厚生労働省(という一つの人格があるわけではないですが)だってそれを望んでいるはずです。
 感染症学会も新型インフルエンザについて見解は持っていますが、真理を持っているわけではありません。誤解のないよう弁解しておきますが、私は感染症学会のこれまでの行動をとても高く評価しています(私も会員ですが、実際に新型インフルエンザについて行動しているのは一部のワーキンググループです。私には意見する権限があり、また意見は申し上げましたがプロダクトそのものは作っていません)。これまで社会的なコミットメントがほとんど皆無だった感染症学会がこのように世の中の役に立とうとガイドラインを発表したことに対して素晴らしいことだと思っています。各論的には意見の異なる部分もありますが、それは、「当たり前」なことなのです。同じ科学的バックグラウンドから異なる見解が出てくることなど、よくあることなのです。
 shared decision makingという言葉があります。私は、新型インフルエンザの診療の時こそこの言葉が重要な意味を持っていると思います。曖昧模糊としたこの疾患にどういう態度で臨むか、各臨床家が見識を持っているのは自然なことであります。でも、よく分からないことは多い。患者さんは新型インフルエンザについて我々ほどの情報を持ってはいないでしょう。でも、病気について、薬について、ワクチンについて、予防について、いろいろな価値観を持ってはいると思います。ぜひ、それは問うてみるべきだと思います。

ここまで長い文章を読んでいただいた方が少しでもいれば、とても嬉しいです。ありがとうございました。

神戸大から

臨床検査部の徳野さんたちが、インフルキットについて論文を出しています。基礎的なデザインですが、参考になります。

感染症の疫学

ヨハン・ギセックの「感染症疫学」(昭和堂)を読みました。買って置いたのだけど、あれやこれやでほったらかしていたのでした。疫学については、大学院で結構学んだつもりでしたが、テクニカルなことばかりの理解で、今回の新型インフルエンザの問題で「分かっていることとそうでないことの地平」がいまいち見えづらかったです。で、本書を開いた手見た次第。

よかったです。

あまり計算式とか技術的な部分は出てこないし、統計ソフト処理も皆無。これで「理路」をきちんと示す。いままで分かったようで分かっていなかったことが明快になる。漠然と疑問に思っていた、でも専門家は口をつぐんで教えてくれない「限界点」や「制限」も見えてくる。その道の専門家は、自分の道具が「何でもできる」とアピールしがちなのが問題です。

本書の副題、感染性の計測・数学モデル・流行の構造、というのもよかったです。「流行の構造」、、、

常識という言葉が、よく出てくる。

しかし疫学とは、定義と統計に縛られる以上に常識の学問である。46頁

そして交絡因子が何かということは、前にも述べたが、結構常識の問題なのである。同上

因果関係という概念自体、問題がないわけではない。例えば、新しい家に引っ越した際に、壁に絵を掛けようとしてハンマーを使ったとき、そのハンマーで親指を強く叩いたとしよう。そのときの親指の痛みの原因は、いったい何だといえばよいのだろう。ハンマーなのか、私自身の不器用さなのか、あるいは新しい家へ引っ越したということなのか。さらにいえば、新しい家を購入し、引っ越すことを可能にした好景気なのか。はたまた、私の親指という部位における炎症反応が痛みの原因なのか。47頁

20世紀における医学の進歩は、(中略)「実験」に負うところが多い。(中略)一方疫学はといえば、大きく観察の科学ということができるかもしれない。48頁

「率」は瞬間時間を測っているものであり、かなり抽象的な概念である。92頁

「率」は、事象が一定の間隔、つまり時間に対して一定の早さで起こることを前提として計算される。生存曲線を描いてみることで、計算だけでは分からない情報を読み取ることができるという教訓でもある。93頁

時にモデルの前提となる仮説が理解しにくい場合があるかもしれないが、よい論文では、それらが分かりやすく述べられていることが多い。95頁

基本再生産数の概念はやや抽象的かもしれない。平均の基本再生産数を計算するためには、まず感染例を集団に持ち込み、2次的に感染する人の数を数える。次に感染した人を集団から取り除き、集団を完全に感受性の集団に戻した後、新たに感染者を集団に持ち込み、2次的に感染する人の数を数える。次いで、、(中略)、基本再生産数の概念はかなり机上のものである(後略) 96頁

接触をした人のうちで感受性を有する人の割合は流行の進展と共に低下する。別な言い方をすれば、最後まで感染しなかった人は、流行途上で感受性を失った人々に守られているという言い方ができるかもしれない。これがまさに「集団免疫」おちう考え方なのである。104頁

過去に新たな病気の出現だと考えられた流行も、社会の変化によってもたらされた場合が多い。 105頁

一般的な話としてだが、数学モデルにおいては、式を書くことより、そこにインプットすべきデータを集めることの方が難しい場合が多いのである。106頁

医学における誤り(医学以外の場合にも当てはまる)は、分母やコントロール集団を考慮することなく、数字を無批判に信じたことによって起こることが多い。111頁

症状があって診断された場合と、スクリーニングで診断された場合を区別するために、報告を行うフォーマットには、どうして検査が実施されたのか(中略)といった項目が設けられていることも多い。私の経験からいえば、こうした分類はそれほど容易ではない。検査を行うかどうかの判断はさまざまな要因によって規定されるため、その要因を一つに絞るという作業は、ある程度恣意的にならざるを得ないからである。134頁。岩田の意見では、いずれにしてもこれは、日本では希有。日本では、「どうして検査をしたのか」主治医自身が説明できないことが多いから。

どの教科書も、情報の還元の重要性をまじめくさって述べている。しかし適切なフィードバック(還元)は容易な仕事ではない。137頁

定点観測は通常臨床診断に基づいて行われているため、「感度」はよいが、「特異度」は低いというのが一般的である。137頁

データを中央に提供する末端が、分析結果を活用できないシステムであれば、そのシステムは必ずや失敗に帰するであろう。138頁

感染性を計算する際の前提として、分母となる全ての人は病原体に曝露されているという条件がある。しかしこれを証明する方法はない。しばしば常識と確率の問題になる。空気感染の場合であれば、物理的な距離や風向き、患者と曝露される人の間に存在する空間の体積といったものによって規定される。139頁

また、読者が発症率や感染性に関して書かれた論文を読むときには、無症候性感染が考慮されているか否か、またどのように考慮されているかに関してチェックする必要があることを示している。148頁

人生も不確かな疑問に対する不完全な答えに満ちているが、科学もある場面で私たちを失望させることがある。私たちは常に常識というものを忘れてはならない。奥羽のことが脆弱な科学的基礎の上に構築されている臨床医学と同様、日々の生活の中における感染症対策や予防もまた完璧な科学的研究に基礎を持っているわけではない。あるいはそうした研究が行われるのを待っているところであると言えるかもしれない。何をしているかについて自覚している限り、また新たなアイデアに基づいて試行を繰り返す用意がある限り、常識に頼るということは必ずしも悪いことではない。196頁

疫学とは集団を比較する学問であるが、比較すべき値は個人に対する計測に基礎を置いているのである。198頁

つまり、基礎再生産数(R0)が高くなればなるほど、集団内の免疫を獲得した人の割合が高くなければ集団免疫を獲得することができないことになる。217頁

数学モデルは流行の将来像を予測するためにはあまり役立たない。238頁。これは、岩田の意見だと、社会学でも心理学でも教育学でも、脳科学でも、経済学でも臨床医学でも、だいたいそう。モデルは現状の説明には使えるが、未来の予測にはあまり役に立たない。無理矢理やると、マルクス主義のようなおかしな話になる。

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