最近のトラックバック

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月

メディアのステレオタイプ

メディアの低形成、じゃなかった、定型性については内田樹さんがお書きになっている(単行本も出るそうです)ので、屋上屋根を重ねる必要はない。僕の言いたいこともほとんどすべてそこに集約される。

新聞とテレビはほとんど没落している。今朝もなんとなく洗濯物をたたみながらテレビをつける。上海万博開幕である。アナウンサー氏が、
「現地では過剰なくらいの厳戒態勢で警備がすすんでいます」
という。過剰な、ってどんくらいが過剰?過剰ってなにをもって過剰?なぜ過剰?
謎が解けず、むしろ謎が深まるのが日本のメディアである。

さて、昨日はあるメディアの方とお話ししていたが、久しぶりに熱くなってしまった。エイズが読者・視聴者の共感を得る病気かどうか、という議論があったためだ。

生活習慣に根ざす病気なら共感を持ちやすい、エイズはダメ、という見解はいまだにメディアに根強い。僕がHIVに入っていった1990年ころと全然変わっていない、この辺は。セックスって生活習慣そのものだろ、と思う。第一、現在の価値を未来の価値にそのまま継承して良い根拠なんてどこにあるのだ?そういう読者・視聴者のあり方そのものを問題視し、刃を首筋につきつけて問題提起しないでなんでジャーナリズムだ?と思う。最初に定型を決めておいて、そこにはめつけて物語を作る。だから、メディアは飽きられるのだ。インターネットが問題の根幹にあるのじゃない。

あれ、しまった。屋上に屋根ふこうとしてしまった。

深い沼

実際にはA級ワインの話です。

昨日は仕事の打ち合わせで須藤先生と藤田先生とお会いする。須藤先生はすごいカメラ、すごいレンズですごい写真を撮りまくっている。もちろん、腕も良いのだろう。たくさん写真を見せていただいた。写真好きの方って周囲に多い。はまるとどんどん深みにはまっていく。レンズ沼って言うんだそうだ。

打ち合わせの後、ワインをご一緒する。須藤先生はワインもお詳しくて、カメラで撮ったエチケットを見せていただく、、、うわっ、すごいのがたくさん混じっている。

Monmarthe secret et de famile 1er cru brut
brutなのでやや甘みがあって豊かなワイン。僕は泡はおいしいかおいしくないか、くらいの区別しかつかないけど、おいしかった。
Mahoney vineyard pinot noir
カリフォルニアのピノノワール。らしい、香りの豊かなワイン。変な話、メルローみたいな味の柔らかさ。この後別の打ち合わせがなければ、CL見ていて寝不足でふらふらでなかったらもっと飲んでたかも。ほかにも白がでていたが、(Domaine Gibault)こちらは賞味できず。

夕刻、超A級ワインを試飲するチャンスを得る。

シャトー・ムートン・ロートシルト2002年
オーパス・ワン 2006年
アルマヴィーヴァ1999年

いずれも初体験だ。すごっ。

僕は香りの良いワインが好きなので、最後はピノノワール、と思っている。思っていた。すみません、生意気言いました。上記はいずれも同じ作り手のカベルネ・ソーヴィニオン(中心)だが、ものすごい香り。とくに30分たったオーパスは悶絶ものだった。でも、味の豊かさで言うと一番安価な(といってもべらぼうに高いが)アルマヴィーヴァだった。ムートンは正直まだ若くて、ブラインドで飲んだらあまりインプレスされないだろう。これも確かにすごい香りだけど、まだ味は平坦に感じる。ソムリエさんに言わせるとあと10年たつとすごいワインになるそうだ。値段もすごくなるだろうけど。

こっちも沼だな。

ついにカミングアウト 新型インフル総括会議

新型インフル総括会議についてブログで書く内容はあまりない。議事録読んでください、という感じである。詳細な議事録がオフィシャル、アンオフィシャルに 出ている。参加者もTwitterで実況中継されていることは承知なのだ。第三回にして議論が噛み合い、深まってきた。繰り返し対話することには大きな意 味があると思う。

取材依頼も多いが、全部断っている。議事録読んでください。そこには僕の言いたいことが書いてある。

報道が間違っていることもある。僕はサーベイランスを厚労省「か」感染研に一元化せよ、とは言っていない。感染研に一元化せよ、と言っている。
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/27435.html
サーベイランスはプロのサーベイヤーの仕事であり、素人である官僚が多忙な時間を削って手弁当でやるべき仕事ではない。そのために必要なのは感染研、情報 センターの質的、量的強化である。第二回でも第一回でもそのことはコメントしたが、スルーされた。3回目にしてようやくこのことが岡部先生含め多くの方か ら発言された。ポリフォニーである。同じことをたくさんの人が言うことが大事である。決してあきらめたり、しらけたりしてはいけない。事実、会議そのもの も空気が変わりつつある。

上田さんが発言したのも、よかった。前から言っているように厚労省の役人はもっと発言すべきである。言いたいことがあれば、きちんと申し立てればよい。今 回の会議は議事録に残り、公開される。財務省や総務省もきちんと批判されている。上田さんは厚労省が危機管理の素人であり、その業務にふさわしくないこと をカミングアウトした。質的、量的人材不足で必要な仕事が出来ていないこともカミングアウトした。これでいいのだ。厚労省の無謬神話と、それから派生する 厚労省悪玉説、陰謀説という古典的アメリカン・コミックの世界観から一歩前進である。

しかし、その一方で厚労省の作った資料はいただけなかった。ああいう恣意的で、言い訳、ご都合主義、自分の立場ばかり強調する資料を資料作り屋がやるのは ルール違反であり、非紳士的であり、見苦しい。ほとんど、資料のねつ造と言っても良い。事前に水際対策のガイドラインを熟読していなければ、たいていの参 加者はころっとだまされてしまうだろう。

水際対策に意味があるか、ないかという二者択一の議論はよろしくない。しかし、水際対策のガイドラインには「基本方針」として、以下の2点「のみ」が記載 されていたのである。

基本方針

・新型インフルエンザに感染した又は感染したおそれのある者(以下「感染者」とい う。)の水際での侵入防止を徹底し、国内でのまん延を可能な限り防ぐこと
・帰国を希望する在外邦人の円滑な帰国を実現すること

「水際対策」が第一号の患者を発見したとき、すでに国内流行は起きていた。理論的にも「水際対策」で感染者の侵入防止は不可能である。そして、在外邦人の 「円滑な帰国」は実現できたとは言い難い。こういうことは率直に認めた方が勝ちなのである。「すりぬけられるのはおりこみ済みでした」なんて女々しい言い 訳をしてはいけない。まあ、言い訳をするのはよいとしても、言い訳「だけ」をして、あたかもすべてはシナリオ通り、みたいな印象を与える卑怯な資料を作っ てはいけない。僕はたいていの個々の官僚は嫌いではないが、こういうイヤらしいことをやる官僚は嫌いである。厚労省の作る資料は製薬メーカーの資料みたい に恣意的で信用できないから(信用は一回失うと取り戻しにくいのだ)、ものすごく集中して読む必要がある。だから、会議の後は疲労困憊だ。

今回、電話会議はできないとのことで昨夜は遅くに東京から帰宅。今日も東京で会議のはしごで、今はまた新幹線の中。でも、自宅で充電したからわりと元気。

モウリーニョの考え方

インテルが勝利し、バルサは敗北した。これを残念がっているファンは多いだろうし、スカパーのアナウンサーも「残念ながらバルサ敗退」と思いっきり偏向してしゃべっていた(笑)。

しかし、インテルは本当に上手だったと思う。バルサが一番やられて困ることを忠実にやっている。モウリーニョはとても嫌らしい、したがってとても優秀な監督と言うことだ。彼がFCポルトの監督だった頃にオールドトラフォードで一泡吹かせて大喜びしていたが、今日も本当にうれしかったのだろう、大ガッツポーズだった。

インテルは引きまくっていた。退場者が出たこともあるが、ペナルティエリアちょっと外を戦線と決めて、ずっと引きまくりである。通常、日本の解説者は「引きすぎると良くない」「ラインは上げた方がよい」と言う。だが、それは手段であって目的ではない。モウリーニョは常に勝つためにはどうしたらよいかと考え、多くの日本人は勝っているチームがどうやっているかを模倣しようとする。両者は大いに異なる。バルサと相対するときは前でプレスをかけてもパスで交わされてしまう。チャビのちょっと前あたりでじっくり待った方がよいのだ。

プレスサッカーをパスサッカーで打ち破って昨年優勝したバルサだが、そのパスサッカー対応策を披露したということは、今後バルサのパスサッカーが世界を席巻するのがむずかしい、ということを意味している。チャンピオンズリーグで連勝できないのは、この「対策」のスピードと情報公開にある。50年代、60年代のレアルのようにはいかないのである。

文字を使わない講演 パワーポイントの終焉を考える

ようやく、アメリカでもパワーポイントを使うとバカになる、というまっとうな見解がでてきた。アメリカ人は浅はかなことが多いが、バカではない。

http://www.nytimes.com/2010/04/27/world/27powerpoint.html?emc=eta1

 僕はIDATENのレクチャーとかで、パワポ(実際にはKeynote)を使わないことを実験したことがある。パワーポイントなくても十分に思いは伝わる。だが、「講演」であれば「パワーポイントがなければだめ」という前提が聴衆に強すぎて、これが受け入れられないことがある。

 これはハンドアウトも同じ。ずっと前からハンドアウトは渡したくない、といっているのに「欲しい」と言われる。気持ちは分かるけど、ハンドアウトでこちらの言葉が伝わるのなら、わざわざ遠路はるばる現地に行って僕がしゃべる意味がないじゃない。ハンドアウトにメモ書きするために、僕が注釈をしゃべる、というスタイルは実につまらない。当然、目線は合わず、相手はずっと下を向いている。対話がない。

 

ついでに言うと、講演前に抄録を書いてくれ、といわれることも多いがこれも実は好きではない。おなじパワポを使っていても、実際には僕は相手を見て話をいつも変えている。相手を見ないと話が出来ないのだ。あらかじめしゃべる内容を規定することは難しいし、第一ネタばらしをしたらおもしろくないではないか。落語家も、高座に上がって相手を見てから何をしゃべるか決めるのである。ネタの予告なんてイレギュラーだ。本来はそういうものだと僕は思う。

 文字にすると議論の質が落ち、知性の質が落ちる、という主張は古くからなされてきた。ソクラテスがそうである。稗田阿礼がそうであり、その「古事記」を消化し、紹介した本居宣長がそうであった。その宣長を紹介した小林秀雄も同意であった。彼のレクチャーでは、事物を、答えをすぐに求めたがり、答えを希求するのが学問や知性だという「物知り主義」につよい批判をあびせている。我が意を得たり、である。
 文字のない社会の知性は決して低くない。これは学生時代読んだ川田順造から学んだことだし、彼の師匠のレヴィ・ストロースが看破したことでもあった。

 講義や講演は丁々発止たる聴き手との「対話」だと僕は思う。だから、神戸大の講義でもパワーポイントはできるだけ使わない。学生の息吹を感じながら、こちらの魂をぶつけ、問いを立て続ける。教鞭をたれるのではなく、ダイアレクティクスをその場に求める。こういう大学の、大人の講義を教えてくれたのは学生時代の恩師だった。恩師はいま京都に住む。かれもまた、学生時代、小林秀雄に弟子入りしようと鎌倉の自宅まで押しかけた、という伝説的な武勇伝をもつ。あの知的講義は、当時ちんぷんかんぷんだったけれど、ようやく腹に収まってきた。ちんぷんかんぷんでも、よいのだ。

 

パワーポイントを使ってはダメ、ということはない。ただ、パワーポイントを使うのが普通、当然使う、何も考えずに使う、という思考停止状態が困るのだ。むしろ、「パワーポイントを使わないと伝えられないことって何?」という問いの立て直しをすべきであろう。驚くほど、それは少ないはずだ。僕らはパワポの無駄遣いをしすぎなのである。

本日のJクラブ

Risk of miscarriage with bivalent vaccine against human papillomavirus (HPV) types 16 and 18: pooled analysis of two randomised controlled trials
BMJ
2010 vol. 340 pp. c712

サーヴァリックスでは流産のリスクは高くなさそうだが、接種後90日は注意。

Prospective cohort study of acute pyelonephritis in adults: safety of triage towards home based oral antimicrobial treatment
J Infect
2010 vol. 60 (2) pp. 114-21

オランダの救急って紹介患者が多いのね。予後は普通の外来より救急の外来の方が悪い。そりゃそうだ。

Role of interferon gamma release assay in active TB diagnosis among HIV infected individuals
PLoS ONE
2009 vol. 4 (5) pp. e5718

インドにおけるQFTとHIV。活動性結核の診断には難しい。CD4低いと陽性になりにくい。そりゃそうだ。

Additional value of procalcitonin for diagnosis of infection in patients with fever at the emergency department
Critical Care Medicine
2010 vol. 38 (2) pp. 457-63

救急外来におけるPCT。感度は医師の直感の方が上。べらぼうに高値なら特異度高し。

Corticosteroid treatment and intensive insulin therapy for septic shock in adults: a randomized controlled trial
JAMA
2010 vol. 303 (4) pp. 341-8

敗血症性ショックにインスリンに糖質コルチコイドに鉱質コルチコイドは意味なし、、、

男の五大条件 まんが家の五大条件

BAKUMAN読んでて、でてきた言葉。わりと好きかも、こういうの。

その一 だんじて小手先の作品をえがくなかれ。おのれの血のすべてをインクにせよ!
その二 かりそめにも花の人気を追うなかれ 土をおこして根をこやすべし
その三 いくばくかの地位を得ても未練をもつなかれ。嵐と平和あれば嵐をえらぶべし
その四 いかなるときも負けて泣くなかれ 負けて研究し勝利を生む母とすべし
その五 以上を守りぬいても自分のみ正しいと思い上がるなかれ 自分以外 すべて師とせよ!

子供の図画教室 ヤー・チャイカ

楽しそうです。こういうときにすてきな作品ができる、、、、

http://yahchaika.exblog.jp/

もうひとつ、BSLの成果その3

CMV網膜炎の治療とIRISについて。これも5年生にまとめてもらった。

(AIDS患者の) CMV retinitis について
CMV retinitis
AIDS患者に於けるCMV retinitisの頻度 = pre-HAART:~30%, HAART era:~5% or less 1)
症状: (1)無症状(15-50%) (2)飛蚊症, 光視症, 暗点, 歪み; (暗点/歪みは黄班病変に顕著) (3)無痛, 発赤, 羞明
・両側性(診断時35%)、診断時片側性の50% = 無治療なら6ヶ月以内に反対側発症 2)
網膜炎の病態: 中心黄班壊死(非可逆的)、視神経炎(可逆的)、黄班浮腫(時に可逆的)、網膜剥離(外科的処置可能) 3)
・HAARTにより網膜剥離は減少、しかしCD4が<50以下の場合は未だ高い(約33%)3) 
診断: 網膜所見と経過・症状から経験的に行われる(十分に経験を積んだ眼科医の診断による)3-4)
*CMVウイルス量の測定は診断価値に乏しい。(血液・硝子体からのPCRは一般に臨床利用されていない。稀に硝子体のPCRは他のヘルペス網膜炎やトキソプラズマ症との鑑別に有用)
再発(Relapse) 3,5)
定義:休止期のCMV網膜炎が活動性となること(以前の眼底像と比較して網膜病変が進行していること)
臨床所見:視野境界の不透明化(くすぶり型網膜炎)、病変部境界拡大、明確な新規病変の出現(しばしば視野境界の不透明化を伴わない)、出血像単独では再発を意味しない
・活動性か非活動性網膜炎かの判断は、経過を追って網膜写真を撮影し注意深くモニターすることが最も効果的
再発原因;服薬アドヒアランス低下、硝子体内薬剤濃度低下、薬剤耐性ウイルス変異

再発頻度に関する研究報告
Jabs DA, et al. Course of cytomegalovirus retinitis in the era of highly active antiretroviral therapy: retinitis progression. Ophthalmology 2004;111:12.
研究デザイン:多施設前向き観察研究
対象:271人のCMV網膜症を持つAIDS患者 
方法:3ヶ月毎に所見と眼底画像を評価
再発の評価基準:以前より750μm以上病変が進行している、または、視神経乳頭の1/4を含む新たな病変の出現

 結果 → 網膜活動性病変の再発率は  CD4<50     0.58/人・年
                    CD4<50-99   0.19/人・年
                    CD4<100-199  0.09/人・年
CD4>200        0.02/人・年

Serge Doan et al. Cytomegalovirus retinitis in HIV-infected patient with and without Highly Active Antiretroviral Therapy. Am J Ophthalmol 1999;128(2):250-251
研究デザイン:単施設後向き比較研究
対象:1995年までのHAART未施行HIV陽性者952人、1997年までのHAART施行HIV陽性者726人 
方法:不明
再発の評価基準:不明

結果 →       CMV網膜症の罹患率                 CMV網膜症の再発率     
1995年(HAART(-)) 84/952  (8.8%)         1995年(HAART(-)) 30/84  (36%)                
1997年(HAART(+))  47/726  (6.5%)          1997年(HAART(+))  8/47   (17%)             

【参考文献】
1) Jabs DA, et al. Characteristics of patients with cytomegalovirus retinitis in the era of highly active antiretroviral therapy. Am J Ophthalmol 2000;133:48–61.
2) Jabs DA, et al. Course of cytomegalovirus retinitis in the era of highly active antiretroviral therapy: 2. Second eye involvement and retinal detachment. Ophthalmology 2004;111:2232–9.
3) Johns Hopkins Poc-it center, James P. Dunn, wrote [HIV Guide - CMV retinitis 06-23-2009 up-dated] http://www.hopkins-hivguide.org/diagnosis/opportunistic_infections/viral/cmv_retinitis.html?&contentInstanceId=8743
4) Mark A Jacobson et al. Pathogenesis, clinical manifestations, and diagnosis of AIDS-related cytomegalovirus retinitis. Up to date
5) Bradley T. Smith et al. [How to Treat Cytomegalovirus Retinitis] Eye net magazine  http://www.aao.org/publications/eyenet/200510/pearls.cfm

免疫再構築症候群 IRIS(Immune reconstitution inflammatory syndrome) について

<IRISとは>
HIV感染症患者においてHAARTの開始に伴い、もともと存在していた感染症が悪化する過程による炎症関連障害、と考えられている。
注意 現時点では、明確な定義づけはなされていない。

<IRISの特徴>
HAART開始後、数週〜数ヶ月で起こる
治療開始時のCD4+T細胞数が50/μL未満で、治療後にウイルス量が急激に低下した患者で最もよくみられる
結核の患者でよくみられる
致死的となることがある

<CMV関連IRIS>
もともとCMV感染していることによるIRISは、様々な研究者によって“免疫回復性ブドウ膜炎”(IRU),または、“免疫回復性硝子体炎”と呼ばれていた。IRISはHAARTの開始に続いて起こる、CMV網膜炎を伴うHIV感染症患者の16~63%の中から報告されている。CMV関連のIRISは通常IRUあるいは網膜炎の悪化として発現する。治療の努力にも関わらず、IRUを持つ患者は高い割合で、数ヶ月から数年に及ぶ重篤な視覚の合併症を引き起こす慢性炎症に発展する。

IRUの諸症状:無痛性フローター(硝子体に生じ視野中に現れる物体)、霞目、明所視、視力低下、眼痛
もともとCMV網膜炎をもつIRIS患者に起こりうる合併症:広範囲の硝子体炎、乳頭炎、白内障、網膜上膜形成、類膿胞黄斑水腫、まれに肺炎、大腸炎、膵臓炎、下顎骨炎など
検眼鏡検査:CMV患者に通常見られる程度を遥かに超えた強い炎症反応  
HAART開始前に抗CMV療法を行えば頻度が減らせるといわれている。

<治療>
HAARTを継続。(ただし、眼、神経、肝臓その他の臓器が特に悪化したり、ステロイド抵抗性を持つ場合には1〜3ヶ月間の一時的中断を考慮する)
CMV網膜炎が併存する場合は、抗CMV抗ウイルス療法を行う。
眼科学的なフォローアップに応じて、インプラント、局所点眼、眼内注射、または全身にcorticosteroidを投与(代替薬として、局所または全身にNSAIDs を使うことも可能)。
硝子体黄斑牽引が起こる場合は、硝子体切除術を考慮する。

<予後>
一般的に良好。ただし、長期にわたると、視力の悪化を来す合併症が起こる恐れがある。

参考文献:up to date、ハリソン内科学 第3版、
          Infectious Disease Vol.1,2 (Mandell Bennett Dolin)

BSL成果その2、NNT、ITTなど

これも学生さんにまとめてもらった。こういうのは勉強しないと全然身につかない。一回勉強しとけばずっと使える。

intention to treat analysis(ITT 解析)
臨床試験の進行につれて,治療群に割り付けられたとしても治療が実施不能になったり,対照治療に割り付けられても同様にその治療が続行不能になったりする.
A. 割り付けられた治療から逸脱した患者もすべて含めて解析する → intention to treat analysis (ITT解析)
B. 脱落者を除いて実際に行われた治療に基づいて行う解析 → on treatment analysis
※ 解析の段階で脱落者を除くと最初の割り付けたグループとは別の集団なる.つまり脱落者を除いて解析すると最初にいくら適切にランダム割付がなされたとしても,その努力が無駄になる.割付時のランダム化を重くみて,解析のときにもランダム化による背景因子の一致を維持し,背景因子の違いによるバイアスを排除するのがITT 解析の立場.


相対リスク減少(Relative Risk Reduction: RRR) と絶対リスク減少(Absolute Risk Reduction: ARR)
例: 無治療群 5/100人 (発症/総数) 、 投薬治療群 3/100人 
相対リスク減少(RRR)
・ RRR は1 からRRを引いた値で、因果関係の程度を示す。
相対危険率(RR): 3/5 = 0.6
RRR : 1-RR = 1-3/5 = 0.4 つまり 投薬治療により40%のリスク軽減が図れた。
・ RRR は多くの論文で用いられるが、問題点として死亡率が10%対5%でも1%対0.5%でも同じように50%となるため、臨床上は僅かな差でも大きな数字に置き換えられて誤解を招きやすい。
絶対リスク減少(ARR)
ARR は両群のリスク(発症率)の差。その治療法によりどのぐらい絶対的危険度を下げるか。
上の例でのARRは、 ARR = 5% - 3% = 2%

治療必要数 (Number Needed to Treatment : NNT)
その治療により1人の患者を救うためには、最低何人の患者に対して治療を行わないといけないか。
上の例だと。
ARRが2%減る → 治療すると100人中2人が治る → 50人に1人のイベントが減る → 1つのイベントを減らすためには50人必要 → この50人がNNT
つまり計算としては、NNT= 1/ARR = 1/0.02 = 50

{参考文献}
1.. 大橋靖雄 「バラツキとバイアス 」 医学のあゆみ, 227(6) : 488-493, 2008.
2. 関口進一郎 「介入研究の効果を評価する方法」 小児科診療, 72(4) : 640-644, 2009.

5年生BSLの成果 よくがんばりました。

今年度から5年生はみんな1週間感染症内科を回る。前年度は総合診療科を回りながらだったので集中しづらかったしタスクも大変だったが、今年度はかなり勉強してもらっている。6人で結核についてまとめてもらった。その成果の抜粋。まあ、少しくらいの間違いは大目に見て、全体的にはよく勉強したと思う。学生なら、結核についてこれくらいシットキャ、十分だ。文献検索の方法論も覚えてもらったし、ちゃんと英語の文献にも当たれるようになった。1週間で大きな進歩だ。ご苦労さん。

結核の臨床症状について

まずはじめに
世界には毎年約1000万人弱の新規患者がおり、死亡者数は170万人に達する(2006年WHO).日本においても年間24000人(2008年)の患者がおり、その基礎疾患によってrelative riskも異なる。
したがって下記の臨床症状と危険因子から早期発見に努めることが重要である。
結核は驚くほど非典型的な臨床像を呈することが多い。まずは「結核を合併しやすい臨床症状=細胞性免疫不全をきたす臨床症状」を理解する。

臨床症状
結核は肺結核、肺外結核、あるいはその両者に分類される。
肺結核
肺結核は一次結核と二次結核に分類される。
○一次結核:通常無症状。しばしば小児に起こり、中肺野または下肺野に限局していることが多い。急速に進行しやすく、しばしば胸水を認める。腫大したリンパ節は気管支を圧排し閉塞したり、引き続いて区域または肺葉の無気肺を起こす。部分的な閉塞は閉塞性肺気腫を起こしたり、気管支拡張をもたらす。
○二次結核:潜在性感染の再燃。通常は肺尖部や上葉の後部に限局し、加えて下葉の上部の肺葉がしばしばおかされる。病初期には自覚症状や他覚所見は非特異的であるが、進行すると発熱、体重減少、食欲不振、全身倦怠感、衰弱、血痰などが見られる。病気が広範囲になると呼吸困難となり、ARDSを引き起こすこともある。
身体所見では、多くの患者は胸部診察では異常所見が発見されない。しかし、これらの所見が認められなくても下記危険因子を持つ患者では、常に鑑別に考えておく必要がある。
肺結核を疑えば、まずは陰圧個室に隔離し、排菌性か否かの確認をすることが重要である。

肺外結核
肺外結核はリンパ節、胸膜、尿生殖器、腸、
骨と関節、髄膜、腹膜、心膜などに起こるが、
実際にはすべての臓器を侵しうる。
代表的なものとして、リンパ節結核は肺外結核で
最も多く(肺外結核の25%以上)、リンパ節の
無痛性腫脹を呈し、多くは頸部または鎖骨上窩
リンパ節に出現。全身症状はHIV感染者に
限られ、肺病変を伴ったり伴わないこともある。
参考文献:ハリソン内科学第3版、
         レジデントのための感染症診療マニュアル

【結核の診断】      

確診 病変部位の検体から結核菌を検出し、結核感染が臨床像と合致するか?

診断の流れ
臨床所見から結核を疑う患者には早期に胸部Xpをして、結核を疑う。
・典型的には境界不明瞭な浸潤影、境界明瞭な結節性陰影、空洞を伴う結節像など
・主要病変部としては肺尖部が多く、S1/S2 (80%),S6(10%), その他(10%)1) 
3回の喀痰検体から抗酸菌染色塗抹検査と培養検査を行い菌の有無を確認する。
・ 連続して3回喀痰を採取する場合、8~24時間間隔で採取(最低1回は早朝採取)
・ 1回の抗酸菌染色塗抹検査の感度は45~80%、3回で90%以上2)
培養の感度は80~85%であり、特異度は約98%である3)
培養検査は薬剤耐性も判定できる
喀痰検体の結核菌PCR検査は24~48時間で結果が得られる。
・ 死菌やコンタミによる擬陽性もあり
・ 結果が陰性であっても結核を否定できないため、塗抹・培養検査を併用
・ PCR検査は塗抹陽性時には非結核性抗酸菌と結核菌の判定(>95%)に有用
・ 塗抹陰性で培養陽性となる検体については50~80%の可能性で検出3)
徴候から高度に結核が伺われるにも拘わらず、喀痰検査等が陰性の場合は気管支鏡や肺胞洗浄などによりサンプルを採取し検査を行う。

Ex)
クォンティフェロンTB-2G(QFT)6)
結核菌に特異的なESAT-6,CFP-10蛋白抗原を全血に添加して,血液中のエフェクターTリンパ球を刺激し放出されるインターフェロンγを定量するシステム。
・現在のみならず過去の結核感染があれば陽性に(どの程度で陰性化するかは不明)
・結核菌に絶対感染していないという集団が無い為、正確な感度・特異度は判定不能
・排菌のある結核患者との接触者検診や医療従事者のスクリーニングには有用?
ツベルクリン反応
皮下にツベルクリン抗原を注射し、48〜72時間後の最大硬結径を測定する。
感染リスクに応じて、三つの異なる硬結の直径がそれぞれ有意となる。(米国感染症学会ガイドライン)
5㎜径= 既知の活動性結核と最近接触した人、HIV感染者、免疫抑制患者、陳旧性結核
10㎜径= 結核蔓延国からの移民、経静脈薬物使用者、4歳未満の小児、曝露リスクの高い労働者or居住者
15㎜径= それ以外のすべての人々


参考資料
Fraser and Pare’s, Diagnosis of Disease of the chest, 4th ed, Muller WB Saunders 1999.
Shingadi, a, D, Novelli, V. Diagnosis and treatment of tuberculosis in children. Lancet Infect Dis 2003; 3:624.
Diagnostic standards and classification of tuberculosis in adults and children. Am J Respir Crit Care Med 161 : 1376-1395, 2000
Updated guidelines for the use of nucleic acid amplification tests in the diagnosis of tuberculosis. MMWR Morb Mortal Wkly Rep 2009; 58:7.
Up to Date
日本結核病学会予防委員会「クォンティフェロン(R)TB-2Gの使用指針」http://www.kekkaku.gr.jp/ga/ga-35.html

【結核の治療】

原則1;感受性のある有効な抗結核薬を用いる      ・薬剤抵抗性結核菌の選択的増殖を阻止
原則2;複数併用する                 ・半休止菌をできるかぎり殺菌し治療終了後
原則3;規則正しく投与する               の再発率を抑制する
原則4;一定期間投与を継続する               

また、化学療法の成否は管理の妥当性と患者の良好な*adherenceにかかっている。したがってどのような患者でもadherenceをモニターし、adherenceの確保に努め、問題が生じた際には適切な介入が必要である。        *Adherenceは処方通りの規則的な内服と治療継続の二面を指す。
・DOT(directory observed treatment);直接監視下服薬療法
 治療中断のリスクの高い患者ではDOTの施行を考慮する。DOTは医療従事者あるいは所轄
 責任者の監視下で抗結核薬を服薬させることである。
第一選択薬
①イソニアジド(INH)
 〈役割〉分裂の盛んな菌に対し、早期に強い殺菌作用を有することが知られている。
〈副作用〉無症候性アミノトランスフェラーゼ(AST/GOT)の上昇、薬剤性肝炎、VitB6吸収障害
②リファンピシン(RFP)
 〈役割〉抗菌力は、分裂の盛んな菌に対し活性を持ち、また、休眠状態の菌に対しても活性を有している。リファンピシンはすべての短期化学療法の基本薬剤である。
 〈副作用〉皮疹、胃腸反応(嘔気、食欲不振、腹痛)、感冒様症状、肝毒性
③エタンブトール(EB)
〈役割〉最初からイソニアジド耐性が存在する場合、リファンピシン耐性出現の危険を避けるため、初回治療に含まれている。視力が測定できない小児に対しては、定期使用は推奨されない。
〈副作用〉球後神経炎(視力低下、赤緑色分別の低下)
④ピラジナミド(PZA)
〈役割〉この薬はマクロファージに貪食されていたり、乾酪巣のような酸性環境で休眠状態でいる菌体に対し、最も活性を発揮する。排菌陰性化を早める。また、短期化学療法の基本薬剤である。
 〈副作用〉肝毒性、胃腸障害(嘔気、嘔吐)、非痛風性多発性関節炎、無症候性高尿酸血症、
急性痛風性関節炎
治療の流れ
初期8週間…INH・RIF・PZA・EBの4剤併用投与  →  その後4ヶ月…INH・RIFの2剤投与
<参考文献>ハリソン内科学第3版、WM感染症科コンサルト、レジデントのための感染症診療マニュアル、
結核診療プラクティカルガイドブック、結核・非結核性抗酸菌症診療ガイドライン


→直接監視下服薬療法(DOT)を検討
     医療従事者あるいは所轄責任者の監視下で抗結核薬を服薬させること
・耐性その他の問題がなければ基本的にイソニアジド(INH)を治療の中心とする。

初期8週間…INH/RIF/PZA(最初の2ヶ月で中止可能)/EMB(感受性検査で他に耐性がなけ                          れば中止可能)の4剤併用投与。
      連日投与で総投与数56回 
その後4ヶ月…INH/RIFの2剤投与(毎日or週2,3回)

再発が多い症例、すなわち初期の治療2ヶ月を終えた時点で培養が陽性である例、空洞形成例では9ヶ月の処方になっている。
・肺外結核の治療期間                ・主な副作用  イソニアジド(INH)…肝機能障害
  リファンピシン(RFP
   …過敏性反応(紅潮、掻痒 感5%程度)、
    血小板減少性紫斑病(血算2〜4週間毎)
    肝機能障害
  ピラジナミド(PZA)…肝機能障害、
           高尿酸血症(25%程度)
  エタンブトール(EMB)…視神経炎


参考文献 ハリソン内科学第3版、WM感染症科コンサルト、レジデントのための感染症診療マニュアル

弁証法的議論はとても有用、という呼吸器学会のPros and Cons symposium

京都にて呼吸器学会。朝一番のシンポジウムは感染症のpros and cons。バトル的な設定に興味津々で、平日朝一、学会初日という悪条件の中、立ち見の出る盛況だった。4つのテーマを8人で論じあう。

結果から言うと、非常に落ち着いたシンポジウムだった。日本でも成熟した議論をやろうと思えば出来るんだ、と良い意味で驚いた次第。難しいテーマをもらった演者が、割と同じことを考えていたんだな、とも感じた。

たいていの臨床問題はイエス、ノーでは切れない、煮え切らない問題である。だから、イエスという条件、ノーというための条件を詰めていくだけである。その営為を舞台上で行った、ということだ。

昭和大の吉田耕一郎先生は、CRPを使うという主張をした。その主張の正当性を担保すするために、「間違った使い方」を例示した。CRP「だけ」を使ってはいけない、という条件留保を行った。いつでもlimitationの開示はcredibilityをあげてくれる。対する矢野=五味先生はCRPの限界と不透明さを主に文献学的な見地から検討した。同じ論文も多層な切り口があることも示した。

東北大学の菊池利明先生はde-escalationとは何か、なぜ必要か、それは可能か、有用か?問題点はどこか?を整理した。佐賀大学の福岡麻美先生はこれに対し、とくに「最初に広域に」というde-escalationに焦点をあて、「そもそも本当にいつも、常に広域なの?」という切り口であった。de-escalationの有用性は福岡先生も百も承知で、これしか切り方がなかったのだろう。de-escalationそのものよりも、初期治療のあり方がうまく議論された。

大曲先生と千葉大の猪狩英俊先生は基本的に同じことをおっしゃっており、欧米の投与量が日本で実現していない歴史的理由。その払拭する理路。効能とのトレードオフ関係にある安全性の検証法を議論した。公知申請などのキーワードも飛び出し、かなり本質的なPMDAや厚労省的問題の整理だった。

そんで、阪大の朝野先生。HAP,VAP, HCAPのガイドラインの日米差をシニフィアン、シニフィエの構造主義的切り口から議論し、アメリカの疾患概念は医療制度そのものが影響を当てており、それを日本には持ち込めない、という理論を展開する。対して岩田はドラッグラグの観点から海外のデータを日本で全てreproduceするのは効率が悪いこと、第3相試験まででは安全性の担保はどのみちできないこと、現行の日本のRCTの質は決して良くないこと、けれども、ニューモバックスのスタディーなど日本発のよいエビデンスも出ており、決してあきらめてはダメなこと、日本でももっともっと臨床試験を、質の良い臨床試験をしなければならないことを説いた。

これをアレンジした、東北大の渡辺先生、昭和大の二木先生、佐賀大の青木(洋)先生、ありがとうございました。

3月、4月の会議、授業、書類、学会の地獄のロードもこれで一段落。感染症学会、内科学会、呼吸器学会のはしごもしんどかったが、最後はいい感じで終われてよかったっす。僕はこれからクールダウンし、ゴールデンウィークあけまでは英気を養うことにする、、、、したい、、させてください。

名言と名選手

僕にとって別格のサッカー選手。それがジョージ・ベスト、ヨハン・クライフ、ミシェル・プラティニである。日本選手だと、これにカズと木村和司が加わる。

そのクライフがバルサの名誉会長に。その解説記事がふるっている。

http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2010/04/post_1562.html

ところで、僕は高校生の時木村和司にサインしてもらったことがある。あれ、どこにいったんだっけ。天皇杯の準決勝、読売クラブと対戦したときだったな。長谷川健太が決勝ゴールを決めたんだった、、、、てこんな昔話をするようになったら岡野俊一郎みたいだけど。

本日のJクラブ

Incidence, Clinical Presentation, and Outcome of Progressive Multifocal Leukoencephalopathy in HIV‐Infected Patients during the Highly Active Antiretroviral Therapy Era: A Nationwide Cohort Study

J INFECT DIS
2009 vol. 199 (1) pp. 77-83
PMLは減っているけど、未だに問題。

The effect of human immunodeficiency virus on hepatitis B virus serologic status in co-infected adults

PLoS ONE
2010 vol. 5 (1) pp. e8687
HIV、HBV共感染のデータ。あまり分かっていないことがまだまだ多い。

Efficacy of 23-valent pneumococcal vaccine in preventing pneumonia and improving survival in nursing home residents: double blind, randomised and placebo controlled trial
2010 vol. 340 (mar08 1) pp. c1004-c1004
BMJ
有名な我が国初のニューモバックスが肺炎を減らす、という論文。問題は総死亡率の考え方か、、、

まだ生きてる

崖っぷちのManU。チェルシーにホームで負け、バイエルンに負け、ブラックバーンに引き分けて望んだマンチェスターダービー。インターネットのダイジェスト版だけ見たたが、いやいや、すごい。ポール・スコールズがあんなに喜んだのを見たのは初めて見た。しかもチェルシーはスパーズに苦い敗戦。まだ、生きてる。まだ終わらない。

感染症外来の帰還

感染症外来の事件簿、改訂です。その名も「感染症外来の帰還」。ほとんど分量は倍加。内容も充実しています。なんと表紙は山本容子さん。表紙だけでも一見の価値あり、です。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4260010093.html

不明熱DVD出ました

大木先生との不明熱DVD第三弾が出ました。これもおもしろいですよ。

http://www.carenet.tv/products/detail.php?product_id=481

ケアネットTV1月視聴率でも第一位でした。収録時、大木先生は最初緊張されてたのですが、だんだん持ち味出てきて最後はすばらしかったです。

http://www.carenet.com/tv/

ちなみに西垂水先生との第一弾は2009年第三位でした。ぱちぱち。

http://www.carenet.tv/user_data/top100.php

現在は、岸本先生との膠原病編です。これはほとんど岸本先生お任せのセッションです。これもよいですよ。

http://www.carenet.com/tv/info/fumei/10.html

ちなみに第二弾でごいっしょした鈴木先生は、こないだ総合診療医ドクターGにでていました。

http://web-informa.com/matching/20100326/

自分でプロダクト作るのも楽しいけど、こういうすごい人たちといっしょにやるのは、なお楽しい。

医師国家試験結果の評価

以前からずっと疑問に思っていたことがある。医師国家試験の結果評価である。神戸大学の医師国家試験の合格率は新卒で93.5%、国立大学中35位(43校中)、全国56位(80校中)であった。

この結果を受けて「ひどい出来」と評価されている。本当だろうか。Rを使ってちょっと確かめてみた。Fisher's exact testを行う。

新卒合格率100%だったのが名古屋市立大と滋賀医大。神戸大とは統計的に有意差あり。なるほど、この二校の学生は神戸大より国家試験合格能力(と一応言っておく)が高いのであろう。しかし、合格率新卒3位の奈良県立医大(合格率99.0%)だとp>0.05で統計的に有意差なし。要するに今回の全国3位と56位の順位の差は「まぐれ」だった可能性が高い。

国家試験はそもそも合格率が高い。高いに多様な合格率にごちゃっと集まったドングリの背比べである。その中で順位が高いの低いのと、このような統計学的な知識十分であるはずの医師が、医学博士が、大学教授が、文科省の教育担当者が、大騒ぎをする。不思議だ。医師国家試験は100m走競争とは異なり、勝ち負けを競うための試験ではない。合格率93.5%も99%も等しくすばらしい(あるいは等しくひどい、と言いたい人は言えばよい)。僕はそう思う。

総合医スキルアップセミナー、参考文献・サイト

今日はひさーしぶりの1日オフ。最後に1日フリーだったの、いつだっけ。ゴミを出したり、髪を切ったり、論文書いたり、いろいろやるぞ。

明日は総合医スキルアップセミナーです。寺澤秀一先生、宮城征四郎先生に挟まれてしまい(!)、むちゃくちゃやりづらいです。まあ、宮城先生の前、というのは「前座」として、まあありだと思いますが、寺澤先生の後、、、はすごく大変です。

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/series/sougoui-s/

今回のお題はトラベルメディシンです。参考文献・参考サイトをあげておきます。

よかったら、これも読んでやってください。
www.nakayamashoten.co.jp/ebm/pdf/edi0804.pdf

Jong et al. The Travel and Tropical Medicine Manual (Paperback). Saunders; 4 edition (August 8, 2008)
# ISBN-10: 1416026134
# ISBN-13: 978-1416026136

Keystone et al. Travel Medicine: Expert Consult Mosby; 2版 (2008/6/20)
# ISBN-10: 0323034535
# ISBN-13: 978-0323034531

Colbert. Mcqs in Travel and Tropical Medicine: 3rd Edition. Iuniverse Inc; 3rd版 (2009/4/13)
# ISBN-10: 1440123217
# ISBN-13: 978-1440123214

Brunette et al. CDC Health Information for International Travel 2010 Mosby; 1版 (2009/6/29)
# ISBN-10: 0702034819
# ISBN-13: 978-0702034817

Heymann. Control of Communicable Diseases Manual. # Amer Public Health Assn; 19版 (2008/10/25)
# ISBN-10: 087553189X
# ISBN-13: 978-0875531892

日本渡航医学会 海外渡航者のためのワクチンガイドライン〈2010〉# 協和企画 (2010/3/31)
# ISBN-10: 4877941290
# ISBN-13: 978-4877941291

AAP. Red Book: 2009 Report of the Committee on Infectious Diseases (Red Book Report of the Committee on Infectious Diseases) # Amer Academy of Pediatrics; 28版 (2009/6/30)
# ISBN-10: 1581103069
# ISBN-13: 978-1581103069

古川恵一 海外旅行の感染症から身を守る本 (聖路加国際病院健康講座) 双葉社 (2003/10)
# ISBN-10: 4575153338
# ISBN-13: 978-4575153330

International travel and health. WHO 2010 edition
http://www.who.int/ith/en/

Traveler's Health CDC
http://wwwnc.cdc.gov/travel/

ISTM
http://www.istm.org/

日本渡航医学会
http://www.travelmed.gr.jp/

外務省海外安全ホームページ
http://www.anzen.mofa.go.jp/

国立感染症研究所感染症情報センター
http://idsc.nih.go.jp/index-j.html

GIDEON
http://www.gideononline.com/

Pro-med
http://www.promedmail.com


プロと匿名性は相容れないその2

前回、プロと匿名性について書いたら、結構反応は大きかった。ご存じの方はご存じだが、僕にとって「プロとは何か」はとても大きなテーマで10年以上取っ組み合っている。だから、このテーマに関する議論には仮借がない。

僕の中で、プロとは何か、という命題にはまだ答えがでていない。アメリカとかイギリスの「憲章」には全然納得がいかない。プロとは何か、はまだ分からないが、「こういうのがプロの属性」とか、「こういうのはプロではない」いうのは分かる。犬の定義はいえないけれど、「犬って吠えるよね」と言うようなものだ。

プロは、自分の言葉に責任を持つ

これはプロの一条件として(十分ではないけれど)成立するのではないか、と思う。逆に言えば、「自分の言葉に責任を持てない」ような者はプロとは呼べまい。匿名コメントはその責任を放棄している。だから、アマチュア的なのだ。また、この論拠で言うと、いわゆる「プロ市民」というのは、「市民」という錦の御旗を乱用して責任を放棄しつつ暴論を主張する人(じゃないかなあ)なので、「自分の言葉に責任を持たない」意味で、やはりアマチュアなのだと僕は思う。

だれかがどこかで「言論の自由」なるものをつぶやいていたが、大人の世界では自由と責任は一緒について回る。責任を放棄して自由のみ希求する、というのは「幼児」の世界でのみ通用する話だ。たとえば、スポーツの観衆はこのような感じだ。「岡田監督、やめちまえ」とか「なんでそこでバット振るかなあ」みたいな「暴言」は匿名性を保証された「観客」に許容される(もちろん「暴言」の程度によるが。観衆でもいっちゃいかんことはあるだろう)。実名をあげることは言論の自由とは何の関係もない。何を言ってもOKなのだから。ただ、実名だと、口に一回出してしまった後始末はちゃんととらなきゃいけない。いい加減なことはいえない。それだけの話だ。「言論の自由」なんてハンチクなことをうかつに口に出してはいけない。自由とは実は、非常に得難い重たいものだ。

もちろん、実名でありさえすればよい、というわけでもない。匿名では絶対にだめ、というわけでもない。何にでも例外は存在する。コメントにあったような「告発」がそのたぐいだ。ディープ・スロートのようなものだ。しかし、李先生が引用したこのエピソードそのものが、匿名性を活用して「告発」するような行為がいかにリスクを伴うものか、有責性を伴うものかを逆説的に証明している。ここでの「匿名コメント」には並々ならぬ「覚悟」がある。ネット上での無責任なコメントと同列に扱ってはならないのは当然だ。

http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02875_04

前回書いたように、僕も一度だけ匿名を強いられたことがある。しかし、例外事象はまれにしか起きない。乱発される例外事象、なんて自家撞着である。

匿名性が保証されていると、一般的に良心的な人でも容易に「暴走」してしまう。医師も例外ではない。患者や家族にあからさまに不親切で不実な医者は、さすがに最近は珍しくなったが、匿名性が保証されると面前では絶対に言えないような暴言、暴論が容易に行われる。金沢の野村先生の論考が参考になる。登録しないと読めませんが。

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/201004/514782.html

うちの研修医で最近、「白衣のクリーニングの仕方が気に入らない」と匿名投書してきたやつがいる。その程度のこと、なぜ実名で言わんか、医者として恥ずかしくないのか?と思った(もちろん、患者の苦情は匿名性が保証される。念のため)。

レアケースである「勇気ある官僚」の町田君から、誤字を指摘された。尾見先生は尾身先生である。感謝し、謝罪し、訂正します。すみません。



プロと匿名性は相容れない

 昨日、某会議で某先生がとてもかっこいい発言をされる。僕は面倒くさくて傍観していたのだが、勇気ある発言だった。少し自分が恥ずかしくなった。自分の発言に責任と誇りを持つ、というのはこういうことだと思った。

 今、ある漫画雑誌(週刊モーニング)にキャリア官僚のエッセイ(?)が載っている(「官僚の言い分」)。これがいけていない。「匿名」なのである。

「政府を批判するようなことは書けない」、からなのだそうだが、ばかじゃねえか、と思う。エッセイの内容はとるにたらない。官僚は世間で言われているほど悪いわけではない。優秀である。まじめである。そんな程度の文章である。この程度の内容、別に名前出して書いたって政府がどうこうするわけではない。第一、本気で政府を批判したいのなら、それこそちゃんと名前を出すべきだ。こそこそ匿名で漫画雑誌なんかに愚痴をこぼしても仕方がない。それじゃ、便所の落書きと同じ価値しかない。

 要するに匿名にしておくのは、周囲にあれこれいわれたくないから、とかいう手前勝手な言い訳に過ぎない。甘ったれんじゃないよ。

 何かを変えるということは現状にノーと言うことだ。誰かがそのとき不快に思う。それは避けられないことだ。誰も不快に思わない、ということは、何もしていないのと同じである。プロになったのだから、(ある程度)周りに迷惑をかけながら奮闘するのは当たり前だ。そのことに、自分の仕事の原罪的意味に、有責性に自覚的でなければいけない。
 だからプロならば、ものを言うときは実名で行うべきだ。自らの有責性に自覚的である、とはそういう意味であるからだ。アマチュアであれば匿名はある程度許容できるが。たとえば、ペンネームや匿名の学術論文は絶対に許容されない。その内容に責任を持つ、という態度表明そのものが論文のクレディビリティーに直結しているからだ。今のデータベースがあれば、理論的には未来永劫、自分の論文は閲覧できる。論文の内容に「時」を超えて責任を取らねばならないのだ(そこが、学会ポスターとの違いだ)。
 例外的に、患者のプライバシーやセキュリティーなどに直結する場合、プライベートなコミュニケーションをパブリックで行う場合(こないだはお疲れ様でした、みたいな)があるが、このようなことは極めてまれである。僕も、自分が見解を述べるときに匿名を使ったことは、1回しかない(これが「バイオテロと医師たち」である。このときはしようがありませんでした、、、)。最初に公に対する文章を書いた大学5年生のとき以来、ずっとそうである。

 だから、僕は木村盛世さんとか村重直子さんとかはフェアだと思う。高山義治さんも、サンドバッグ状態覚悟で現場の医師と具体的な議論を実名で何度もやっていた。村重さんも高山さんも官僚辞めてしまわれたけど。僕自身の見解は、実は木村さんとも村重さんとも高山さんとも若干異なる部分があるが、「見解の相違」は問題ではない。見解の相違を許容し、議論と対話を継続できるのが大人である。多くの人が「見解の相違」が「人間関係の断絶」につながってしまう。幼児的態度だ。この国には、年を取った「幼児」が実に多い。

 僕はこの前の総括会議で尾見先生の態度を批判するコメントをした。このことはとても心苦しいことだった。15年前、学生の僕はマニラに行き、国際保健の未来を語る尾見先生を神のように神々しく思った。世界で通用する医者になりたい、というのが僕の目指すところだったので、それを果たしている尾見先生は憧れの存在なのだ。

 だから、文字通り胸を痛めながら、プロとしての矜持をなんとか踏ん張らせて、顔を歪めながら発言しているのである。出来レースの会議と想定されているのかもしれないが、こういうときは事情を知らない、空気を読めないふりをして振る舞うのが一番賢明である。議論にはかならず楔を入れるタイミングがあるからだ。流れを変えるポイントは必ずある。完全なる出来レースは存在しない。

 そんなわけで、アマチュアならともかく、プロが匿名で尾見先生を悪く言うコメントをネットで流しているのを見ると、むかつく。こういう卑怯な態度は大嫌いだからだ。少なくとも尾見先生は卑怯ではない。普通の人は国の専門家諮問委員会の委員長なんて拝命したらあそこまで毅然とした態度はとれまい。ほとんどの官僚のように匿名でこそこそ仕事をしているわけでもない。

 このブログにもいろいろコメントはもらうが、プロが匿名でコメントする場合、僕はたいてい無視している。自身のコメントに責任を持てないようならば、聞くに値しないからで、内容もたいていは無責任で軽いものになりがちだからだ。言いたいことがあれば、実名でどうぞ。

本日のJクラブ

久しぶりに参加

Dental procedures as risk factors for prosthetic hip or knee infection: a hospital-based prospective case-control study
PMID 19951109

アメリカで現在もめている人工関節の予防的抗菌薬。ハイリスクdental procedureなら、、、うーん。微妙。やはり人工関節のある人は歯磨きをして歯の病気にならないのが一番。

Heterogeneous vancomycin-intermediate susceptibility phenotype in bloodstream methicillin-resistant Staphylococcus aureus isolates from an international cohort of patients with infective endocarditis: prevalence, genotype, and clinical significance
PMID 19811099

ヘテロVISAとIEの検討。MIC低くても意外に多い。なかなか難しい。

新しいもの好き、、、

しばらくサボっていたNHKの語学講座を復活。今までtalkmaster2でAMラジオを録音していたが、今年からAudio Hijackでインターネットから録音。設定に手間取っていたが、ようやく実用化成功。ビジネス英語もとても聞きやすくて勉強になる。iphoneのオーディオブックにダウンロードして倍速で聞く。

まずは、ビジネス英語

大すきなquote unquoteから
The greatest pleasure in life is doing what people say you cannot do.
Walter Bagehot

あと、フランス語は大好きな清岡先生&レナ・ジュンタさんシリーズ。この二人、本当に息が合っていておもしろい。応用編もジョルジュ・サンドやカミュなど、なかなか渋い構成。スペイン語の講師も軽快な感じでよいです。中国語は応用編の展開がおもしろく、日本人が間違えやすいフレーズを指摘してくれて勉強になります。

あと、UpToDateのオフライン版がようやくインストールできました。レパードになってずっとできずに困っていたのです。これで移動中も安心。

STATA11が届いた。こちらはまだ使いこなすと言うより、使われている感じ。いずれにしても新しいものは楽しい。

消化不良

あれです。会議は本来、苦手なのだ。そのことを痛感した一日。短い時間で無理矢理コメントを引き出すのは、民放のバラエティ番組と同じ。これでは議論は深まらない。空回りする意志。進まない議論。

前回の会議の続きをやる、という話だったのが突然キャンセルだったので、うまくコメントできず。自分の振るまい方にも大いに反省の残る会だった。以下、用意した原稿。

広報の問題は、厚労省と感染症情報センターとの関係性の問題でもある。このような本質的な問題をほったらかしにしていてよいわけではない。なぜ、アメリカやオランダや香港にはCDC的な組織があり、日本にはないのか、もうすこし考えてみる必要がある。それを払拭すれば、今日議論した問題のほとんどは解決するはずなのに。

========

前回の会議の時、正林さんの報告と尾身先生のステートメントを拝聴して私は強い懸念を感じました。それは、その長い長いステートメントの端々に、私たちの対策は正しい、というメッセージを感じ取ったからです。私たちは正しかった、ちゃんとアウトカムも出ている。あの当時全てのことは予見されていた、われわれはさいしょからすべてわかっていた、すべては正しく準備されていた、目標も達成できた。このような強いメッセージがこめられたステートメント。そのように私には聞こえました。

ヘーゲルの昔より、本来検証とは否定から始まります。自分たちは間違っていたのではないか、ここがおかしかったのではないか、正しいと思っていたことは勘違いだったのではないか、我々の功績と信じたことは単なる偶然、まぐれだったのではないか。このように徹底的な否定的、批判的、弁証法的な態度でものごとを見つめるのが「検証」のはずです。しかしながら、会議の初回にすでに全面肯定的な結論めいたステートメントがなされるということがあってよいのでしょうか。ましてや尾身先生はもしメディアの報ずるところが正しいのであれば、初回の会議に先立つ記者会見でも今回の対策は成功だった、という内容のコメントをされています。

通常、検証の後で結論です。最初に結論ありきの検証は検証ではありません。検証ごっこ、たんなるアリバイ作りになってしまいます。

われわれここにいるメンバーのほとんどが論文の審査をなさっていることと思います。論文の審査をするときに、「とりあえずこのペーパーはアクセプトすることになっているから。その前提で審査してね」と審査委員長に言われたらみなさんはどう思いますか?そんなバカな話があるか、と思うのではないでしょうか。審査は通常、疑いの目を持って見つめられます。文章が言いすぎになっていないか、交絡因子はないか、結論がおおげさになっていないか、データの解釈がまちがっていないか、前後関係と因果関係を勘違いしていないか、厳しい目で、批判的な目で審査するはずです。

そもそも論で申し上げるのならば、通常論文審査は論文執筆者自らが行うものではありません。通常は第三者が行うべきもののはずです。この会議のメンバーのほとんどは対策の当事者であります。それを当事者であえて総括をやるというのであれば、なおさらのこと自らを律し、より厳しい目で自らの行いを振り返る必要があるのではないでしょうか。前回の会議における数々のコメントはそういう厳しさを欠いた非常に甘いものでした。もし、このような甘えの構造が続くのであれば、議長と岩本先生、伊藤先生など当事者でなかったメンバー以外は全部取り替えて第三者で検証をやりなおすべきです。

死亡者が少なかったからよかったのではないか、アウトカムが出ているではないか、と安易に言ってはいけません。死亡者が少なかったことはもう分かっています。しかし、そもそも死者が少なかったことをよりどころにすべての議論がちゃらになるのであれば、この会議のレゾンデートルそのものがなくなってしまうのではないでしょうか。

日本は新生児死亡率、平均余命などを考えると世界でもトップレベルの健康指標のアウトカムを持っています。しかし、その一方で、「医療崩壊」というおぞましいキーワードが象徴するように医療の現場はぼろぼろです。「日本人は外国人より健康だから、いまのまんまでいいじゃん」なんてのんきなことを考えている人は、ここには一人もいないはずです。さすがに今では、厚労省の皆さんもそんな幻想を信じてはいないはずです。なぜならば、そのアウトカムはぎりぎりのところで、非常に危うい体制のなかで歯を食いしばりながら、やっとこさひねくりだしたものだからです。将来にわたって維持できるとは考えづらい状況だからです。現場にいる人間は全てそれを知っている。

SARSで日本に患者が出なかったのは何故でしょう。日本の対策が上手くいったからでしょうか。そういう側面もあるでしょうが、まぐれ、という要素も多分にあったはずです。香港はあのときSARSでたくさんの死者を出し、非常に痛い目に遭いました。そのときの教訓が骨身にしみて、2009年7月に私が視察にいったときには非常に堅牢なインフルエンザ対策を、日本よりも遙かに安定した対策をとっていました。結果オーライだった日本がやらなかったことをすべて香港ではやりました。おなじミステイクを、ここでおかすべきではありません。

尾身先生は過日の会議で、メールや電話ですべてのセクションと連絡を取り合って事情は全部ご存じだとおっしゃいましたが、失礼ながらそれは違います。先生がお話になったのは学会のトップだとか病院のトップだとか、いわゆる「偉い人」たちとの対話のはずです。実際にワクチンを接種された方、1日300人以上の患者が来た病院のドクターやナース、数十時間ぶっ続けで軽症の患者の入院ケアをした医療者、1時間に100件の電話を受けた相談センターの職員の生の声をどれだけ聞いたというのでしょう。

我々は正しかった、という前提でこの会議をし、総括をするということは、次に新興感染症がやってきたときに「同じことをやろうぜ」、ということを意味します。僕は、去年と同じことをまた繰り返せと言われたら、「冗談じゃないぜ、勘弁してくれよ」、と思います。おそらく、多くの現場の方は同じことを考えるはずです

昨年7月、輸入ワクチンを導入するか否かを検討した会議において、私は尾身先生や正林さんたちの前でこのように発言しました。ワクチンは輸入すべきであると。それが正しい選択という補償があるからではなく、逆に間違えるよりましだからだと。ワクチンが必要なのにワクチンがない状態は最悪である。しかし、ワクチンが不要であって間違って輸入してしまったのなら、ここにいる専門家がみんなで頭を下げてごめんなさいと言えばよいのだ。このように申しました。

誰だって間違いはやらかします。プロも例外ではありません。私はプロとして、自分が間違えることそのこと自体は恥ずかしいとは思いません。率直に間違いを認め、反省し、その反省を活かして明日から頑張るのみです。しかし、自分が間違っている可能性を頭から否定し、頑迷に正当性を主張し、私は悪くなかったと言い張るのは、これはプロとしてとても、とても恥ずかしい態度であります。

われわれがここでやるべきは検証であって、感傷に浸ることではありません。おれたちこんなにがんばったよな、会議も夜を徹してやったよな、というのは夜仲間と一杯やりながら語り合えばよいのです。この場で私たちは全ての甘えを捨てなければいけません。クールで冷徹な頭と、熱い正義感に満ちたハートを持って検証を行うべきです。

新型インフルエンザの問題で、ひとつ肯定的にとらえてよいことがあります。それは、今回の問題を通じて、新型インフルエンザという一疾患を通じて、日本の感染症界全体についての問題点が浮かび上がったことです。そしてそれを国民レベル、メディアを巻き込んだ大きな議論に消化できたことです。たとえば予防接種です。過日、上田局長は「不退転の」決意で予防接種のあり方を見直すと断言されました。厚労省がここまで踏み込んだ決意を示すのは私が知る限り初めてのことです。そのことを私は大変喜ばしいと思ったのです。

ここがチャンスです。ルビコン川を渡るべき分岐点です。ここで新型インフルエンザを通じて我々が改善すべきポイントをみんな出し切るべきなのです。それを、まあ、よかったんじゃない?的にお茶を濁して、改善のチャンスを自らつぶすような愚かな選択をしてはなりません。

検証は過去に対して行うものですが、過去のために行うものではありません。それは未来のために行うのです。次回、また新たな感染症がやってきたときに、日本でもっともっとましな対応ができるように、一所懸命考えるのがこの場のはずです。そして、叡智に満ちたこのメンバーであれば、それができると私は信じたいのです。

最後に、誤解のないように蛇足ながら申し上げますが、私は尾身先生の高潔で優しいお人柄をみじんにも疑っていません。なにしろ、学生時代からのアイコン、ヒーローですからね。15年前、まだ学生だったときにマニラで初めて尾見先生にお目にかかり、あつく国際保健の未来を語る姿は今でも覚えています。しかしながら、本会議に限定するならば、その議論の進め方に看過しがたい問題点を感じているだけです。日露戦争の乃木将軍ではないですが、人物の高潔と方法の正しさとを混同して論じてはなりません。分断して論じるべきだと申し上げているのです。

以上です。

感染症の本が増えるのは全体的には、よい

美しい春の朝の日曜日である。テレビをつけるとこれまた晴天の中、マスターズゴルフをやっている。僕はゴルフできないけれど、観るのは楽しい。およそ、スポーツは何でも観ていて楽しくなる。いま、テレビをつけておもしろいと思うのはスポーツだけなんじゃないか、と思うくらいだ。

さて、自分が本を作るとき、既存の本にないコンセプトを取り入れたいと書いた。me too bookを避けたいからだ。最近、感染症関係の本が多すぎるんじゃないか?とシンプルに感じたりもした。

でも、全体的に考えると、感染症の本が増えるのはよいことである。たとえコンセプトが類似していても、よい。それはポリフォニーの問題である。

まえにどこかで講演をしたとき、「五味先生も以前同じことを言っていました。あれでやっぱり正しかったのですね」とコメントされたことがある。ああ、これだと思った。

一人が正しいことを言ってもそれは奇論でしかない。20年くらい前、もとOCHのK先生が学会で血液培養2セットの必要を説いたとき、「何をいってんだ」的な反応を受けたと聞いたことがある。噂の真偽は分からないが、いかにもありそうな話である。当時の空気がよく伝わる「伝説」である。

同じことをたくさんの人が言う。みんなが言う。これが力を生む。日本でもアメリカでも、ものを動かすのはデータではない。雰囲気である。雰囲気作りには同じことを異なる声が奏でる、ポリフォニーが一番パワーを持っている。

今でも、「ブドウ球菌にはチエナム」みたいな「恥ずかしい本」は売っている。これらの「奇書」の販売を止める能力も権利も僕らにはない。でも、ポリフォニーが奏でる雰囲気で、このような奇書を書く諸兄に、「俺たちこんな恥ずかしいこと書いてちゃ笑われちゃうぜ」と考えなおさせることはできる。異論は論破してはだめだ。人を動かそうと押せば、押し返される。その場から人を動かすには、「くすぐる」のがよいのである。

だから、「似たような本ばかりじゃないか」とシニカルにとらず、斜めに構えず、百花繚乱の感染症本の乱立は喜ぶべきなのである。三鴨先生の本も矢野(五味)先生の本も、実はそんなに内容に違いはない。細かい違いをあげつらうのは簡単だが、ここは折口信夫に倣って別化性能(違いを見つける能力)ではなく、類化性能(類似性を見いだす能力)を高く持った方がよいのだ。中沢新一 「古代から来た未来人 折口信夫」 ちくまプリマー親書、を読んでいてそう思った。

まあ、その一方で、皆がXと言っているときにXというのは簡単である。「王様は裸だ」と看破した先達の作った道のおかげで僕らは楽をしている。そのことには自覚的でなければならない。

感染防止対策加算

感染防止対策加算がつく。入院あたり100点、1000円だ。1日500人の入院がある病院なら、年間億単位の収益である。かなり大きなものだ。

ただ、??なところはある。カルバペネムやバンコマイシンの許可制、届け出制を条件としているところなどだ。センスがないな、と思う。

本来、許可制、届け出制とは感染症診療の質が低いことの証左なのである。外圧をかけて、縛りをかけないと適正な抗菌薬が選べない。医師の質が低いという証明ですら、ある。前任地でも一部の診療科の感染症診療の質が非常に低かったため、「嫌々」カルバペネム使用制限に踏み切ったいきさつがある。彼らはカルバペネム許可制をとても忌み嫌っていたが、自分たちが診療のレベルを上げればそのようなポリシーはすぐに廃止しますよ、というメッセージには気がつかなかった。愚かである。自分で自分の首を絞めているのだから。あからさまな敗血症でも血液培養も取らず、CRPが高ければカルバペネム、みたいな診療科に自律的に正しい抗菌薬が選べると思うほうがどうかしている。人は時に、自ら望んで自分たちが望まない選択肢を選ぶという奇妙な現象を、僕はこのとき学んだ。

本当は、医師の質が高く、目の前の患者に適切な抗菌薬を選択する能力があれば、届け出制、許可制のような面倒くさい施策は不要なのである。このようにしてまた、良質な病院が足を引っ張られる。

しかし、まあそうはいっても感染対策をやっても金にならない、という時代は終わりを告げようとしている。細かいところでは文句もあるが、全体的には益するところが大きいだろう。感染症を志望する若手医師の就職先も増えていくのに違いない。苦々しくもあり、うれしくもある今回の加算である。

ワシントン集中治療マニュアル

集中治療界の若手リーダー、田中竜馬先生監訳の本書。従来のWMシリーズとは違って薄い紙を使って情報量が多くなっており(ほかにも同様の装丁の本はあるようだが)、内容もイラストなどが多くてとても充実しているよう。さらっと読んだが、ICUで診療する人にはぜひお奨め。Intensivistという雑誌もできて、この領域の最近のレベルアップのスピードはすさまじいものがある。

本日は、ALSO一日目。妊婦さんの勉強なんて本当に久しぶり。でも、胎盤の引張り方とか意外に体が記憶している。学生さんや研修医も参加しているが、衰えつつある記憶力と体力を駆使してなんとかついていってます。それにしても、産婦人科領域は整形外科領域に並んで人の名前が多いなあ。まあ、一番覚えるのが面倒くさいのが感染症だが。

やれやれ、、、

前のブログで、言葉の大事さとかうだうだ書いていたのに、基本的な間違いやっちまった。

ロッソ・ネグロじゃなくてロッソ・ネロでした。ネグロ、スペイン語ですね。あああああっ、て感じです。すみません、、、ご指摘いただいた方、ありがとうございます。

昨日は内科学会の生涯教育プログラムをやる。午前、二時間。午後二時間。16時に終了、その後すぐにこだまに飛び乗って静岡県に。10,11日のALSOに参加するためだが、その前に前座で講演を頼まれたので磐田市立総合病院で19時からお話。ぎりぎり時間に間に合う。それにしても、1日3つはきつい。最後の話はけっこうふらふらでした。

気がつくと、BLSもACLSもexpireしている。PALSもJATECも受講したいのだが、どうやりくりしてもスケジュール表に空きがない。今回、ALSO受講できるのも奇跡的にぽっかり空きがあったから。ラッキーである。

12日は厚労省の新型インフル総括会議。この週は学生に診断学の講義があり、チュートリアル改善の会議があり、病院運営審議会があり、教授会がある。金曜日は研修医向けのレクチャーもあるし、日曜日は総合医スキルアップセミナーでトラベル・メディシンの講習。

先日の感染症学会のお話はメディカル・トリビューンがまとめてくださいました。今月は呼吸器学会もあります。3月もきつかったが、4月もきつい。

 「3秒で心電図を読む本」の書評

 「3秒で心電図を読む本」を読んだ。すてきな体験だった。その特徴を書評として挙げておきたい。

特徴その1.優れた心電図読みの「読み方」を追体験できる。

 通常、心電図読みの達人の作業を横で見ていても、「こんなの俺にはむりや」と嘆息するだけである。「正常、正常、正常、PVC、Af、正常、正常、左室high volutage、、、」。学生実習の時、山のように積んである健診の心電図をパラパラ漫画のように読み進んでいく指導医を見て口あんぐりだった体験を思い出す。でも、「この人は口あんぐりなことをやる人だなあ」という記憶しか残らない。その指導医から教わるのは、「chelche le P(p派を探せ)」と基本的な心電図の読み方である。On the job trainingなのに師のやっていることが追体験できない。
 本書はそのプロの目線、見ているポイントを追体験できる。これは教科書でもOJT
でもなかなか得られない教えである。

特徴その2. 心電図は現象をつかみ取るための手段である、という事実に気がつく。

 我々医師の仕事の第一歩は、患者に起きている(あるいは起きていない)現象をつかみとることにある。その現象をコトバに変換する。これが臨床診断だ。このことに自覚的でない医師は多い。だから、Gram染色でもCRP値でも「異常値」そのものが患者から切り離されてしまう誤謬に陥りがちだ(自分目線な議論ですみません)。
 患者という文脈なくして検査を解釈することはできない。なぜなら、検査結果とは患者に起きている現象が発する情報に過ぎないからだ。山下先生はCarenetの講義で、「頻脈を見たら、モニターを解釈する前に患者を診ろ」とお話になっていた。とても感動した記憶がある。CRPばっか見てないで患者を診ろ、なのである(自分目線な議論ですみません)。
 本書は心電図の所見から心臓に起きている現象を解説する。ある領域の専門性が高くなればなるほど説明はくどくなるのが常なのに、ミニマムな説明で素人にも解りやすい。かといってチープなマニュアル本みたいに「○○をみたら××である」といった「言い過ぎ」がない。バランスがとれている。言うのは簡単だが、このような文章を書くのは難しい。本書は優しい本だが、易しい本とは即断できない。

特徴その3.心電図の有用性とその限界が明示されている。

 なんでもそうだが、自分の守備範囲は誇大広告したくなるものである。それをあえてしないところに、本当のプロの矜持が垣間見える。心電図で心臓のすべてが分かるわけではない。心電図正常の急性冠症候群はめずらしくなく、心電図異常(に見えても)健康な人も多い。その現実の制限の中で、では心電図に何ができるのか?このような語り口こそが、心電図の真の価値を深く理解させてくれる。「この検査があれば何でも分かりますよ」とオールマイティー性を主張されると、それは横丁の水晶玉のようなうさんくささを感じさせるのだ。

 はあ、でも本書の練習問題で、素人の僕にはさすがに「3秒」では心電図読めませんでした、山下先生。

追記

ときに、アマゾンの書評は「自分中心目線」の書評が多い。循環器専門医には必要ないって本書を難じるのはおかしい。最初からそういう意図ではこの本は書かれていないことは誰の目にも 明らかだ。「なんでおまえは空を飛べない」と豚さんに難じるようなものである。書評とは、自分の立場を離れて、ターゲットオーディエンスの立場になって書くものだ。ま、いいんだけど。

名前と現象の関係

感染症屋や微生物学者さんの中には名称にとてもこだわる人が多いです。内的には(つまり、自分で使う分には)厳密にお使いになるのはよろしいが、他人にそれを強制するのは、ちと困る。もう少し柔軟でもよいのでは、と思う。

今でも僕はニューモシスティス肺炎よりはカリニ肺炎の名称を好む。もちろん、厳格な名称にこだわりになる方の前で「わざわざ」それと言う必要はない。少なくとも、だれかが「カリニ肺炎」と言ったとしても「いえいえ、それはニューモシスティス肺炎というんですよ」なんて訂正したりはしない。おっと、学術的にはニューモシスティスではなく、ニューモシスチスと表記しなければならない。そういえば、メトフォルミンとどこかで書いたら叱られて、「あれは学会でメトホルミンときちんと定義されている」と叱られたことがある。パラメターと書いたら、「パラメーターと直せ」と言われたこともある。

どうでもいいじゃん。

言葉とは現象を切り取ってそれに名前をつけただけの話だ。ソシュールの昔からそのことはよく分かっている。「学術用語」は「科学的に正しい」言葉と言うよりは、学者さんたちが「そっちでいきましょうぜ」というコンセンサスステートメントに過ぎない。科学的に厳密な、といわれている菌名の定義にしてもそうだ。遺伝子的に違う、と言われても、そもそもどこまで遺伝子的に違えば種の違いと呼べるのか、「科学的な正しさ」はない。科学者のコンセンサスがあるだけだ。遺伝子に違いがあれば違う種になるのであれば、あなたと私も別の種だ。

嫌気性菌、は微生物学用語と臨床現場では使われ方が異なる。臨床屋さんのいう嫌気性菌は「いわゆる」嫌気性菌で、strict anaerobeのことである。だが、この認識のずれが現場で問題となることはあまりない。いちいち揚げ足を取っても仕方がない。そもそも、anaerobeのanは好気性菌ではない、という意味で中性的なニュアンスがあるが、嫌気性菌の嫌、という字はあきらかに非中性的な言葉である。嫌い、ですもんね。この言葉から受ける印象は空気を嫌う、のであるから、strict anaerobeを指している方がイメージ的にはぴったりくる。冷静になって考えてみると、通性嫌気性菌って同義矛盾である。でも、もう人口に膾炙しちゃっているので、気にしない方がよい。

MRSAは厳密にはMRSAではない。定義的に言うとpan-beta-lactam resistant Staph aureusとすべきである。けれども、MRSAも人口に膾炙してしまったメジャーな名前である。仕方ないのである。

Salmonella typhiという菌名はない。でも、我々はそのように使うのである。milleriもそれでよいのである。

現場で困る間違いは、アリナミンとアミサリンとアミカシンを間違えるような間違え方である。これは、困る。でも、抗菌薬を抗生物質と呼んだからと言ってだれかが医療事故で死ぬわけではない。膠原病と言って「いえいえ、それは結合組織病ですよ」なんて言うのは野暮というものだ。CDADでもCDIでも、CRBSIでもCLSBSIでも、通じればそれでよいのである。

politically correctnessというのも性に合わない。そういえば、知人の黒人に「African  American」といったらblackと呼べ、黒いものを黒と呼んで何が悪い。と指摘されたことがある。blackもラテン語語源のnegroも本来はニュートラルな言葉で差別的な意味は一つもない。ACミランのユニフォームはロッソ・ネグロであり、イタリア語にけんかを売る必要はない。ゲイやホモがMSMでなければならないのも、言葉の問題と言うより人の心の問題だ。それを言葉の問題にすり替えているところが、PCの嫌らしいところである。本質的な差別用語などほとんどない(ちょっとはある)。差別的な使い方があるだけだ。PCのいちばんいやなところは、「政治的に正しい」用語を使えば(本来問題にすべき)差別意識もちゃらになって、「なかったこと」にされてしまう(ことがある)点である。ゴダールの「気狂いピエロ」をそうよんで、差別がどうこうなることはないのである。

僕は言葉にはうるさい。こないだ、ある学会の座長がbasicなpresentationの意味だろうが、「primitiveなプレゼンテーション」と言っていて、おいおいと思う。「何々大学の○○先生の申すところによると」と言っていて、「そこはおっしゃる、だろ」とも思う。人のことはいえないが、言葉の使い方に無頓着なのは困る。でも、上記のギルド・ジャーゴンや「政治的な正しさ」の議論は、そういう本質的な問題ではないのである。

このへんは、感性の問題だな、たぶん。

エゴは捨てられるか?

ICD講習会に参加した。講習会に参加しないと単位をもらえず、単位をもらえないとICDにはなれない(今僕はICDじゃない)。ICDになれないと、、、、そんなに困らないのだが、ちょっと不都合がある。だから、講習会に参加する。

講習会の内容そのものはまあいいとして、僕にとっては旧聞に属する話である。自然、退屈であった。感染症専門医が聞くような話ではないのである。そりゃそうだ、ICDになりたい、というのは感染管理の門を叩いたばかりという状態を想定しているのだから。

問題は、ICD制度と感染症学会専門医制度が連動していないことにある。これに、最近は化学療法学会の抗菌薬適正使用なんとか試験が加わってますます話がややこしくなっている。

それぞれはある程度の妥当性を持ってやっているのだと思うが、なにしろバラバラなので無駄が多い。だから、感染症専門医をとっていてもICDを取るためにベーシックなレクチャーを聴くはめになる。時間とお金の無駄である。時間とお金に不自由している身としては、ここは何とかしてほしいところだ。

提案したいのは、感染症エキスパートステップ制である。要するに、英検と同じにすればよいのである。ICDはレベル4(仮称)、英検4級レベルである。化療学会の抗菌薬適正使用はレベル3,専門医レベルはレベル2,指導医レベルはレベル1と上がっていく。

当然、レベル2の資格を得たものは、わざわざ下ってレベル4の資格を取る必要はない。金と時間の無駄が省略できる。ICDや専門医の価値も外部的にも顕示されてわかりやすくなる。今の制度だと外の人からはICDと専門医の違いなど分からないだろう。

これをやるためには、感染症学会と化療学会のエゴが捨て去られる必要がある。ICD制度協議会など下手すると消滅しないといけなくなる(ICDという名称すら要らなくなるのだから、当然、そうなる。まあ、代わりに別の専門医組織、ABIMみたいなのを作ってもよいが)。本来感染管理や感染症診療の質向上を目的として上記の制度ができたのである。上記の制度を維持するために感染管理や感染症診療の質に瑕疵が生じるなど本末転倒なのである。関係諸兄が私心を捨て、エゴを引っ込めて真のアウトカムを求めて高邁な精神の元で協力すれば、このような制度は可能である。が、、無理かいな?無理だとすると、関係諸兄に私心がうずまき、エゴがふくらみ、真のアウトカムなど知らん顔で精神がやせ細っている証拠なのであろう。

本日の感染症学会教育講演(文献)

本日の感染症学会教育講演。お題は「抗菌薬の考え方、使い方2010年バージョン」です。本日でてくる内容に関しての参考文献です。

Bertoni AG, Saydah S, Brancati FL. Diabetes and the risk of infection-related mortality in the U.S. Diabetes Care. 2001 Jun;24(6):1044-1049.

Shah BR, Hux JE. Quantifying the risk of infectious diseases for people with diabetes. Diabetes Care. 2003 Feb;26(2):510-513.

Gupta S, Koirala J, Khardori R, Khardori N. Infections in diabetes mellitus and hyperglycemia. Infect. Dis. Clin. North Am. 2007 Sep;21(3):617-638, vii.

Lipsky BA, Berendt AR, Deery HG, Embil JM, Joseph WS, Karchmer AW, et al. Diagnosis and treatment of diabetic foot infections. Clin. Infect. Dis. 2004 Oct 1;39(7):885-910.

Arroll B, Kenealy T. Antibiotics for the common cold and acute purulent rhinitis. Cochrane Database Syst Rev. 2005;(3):CD000247.

Russo TA. Agents of Actinomycosis. Mandell: Mandell, Douglas, and Bennett's Principles and Practice of Infectious Diseases, 7th ed. Chapter 255. electric version. Churchill Livingstone, An Imprint of Elsevier

Sarcoma Nomogram Memorial Sloan-Kettering Cancer Center
http://www.mskcc.org/mskcc/html/6181.cfm

青木眞 レジデントのための感染症診療マニュアル第二版 医学書院
岩田健太郎(編) 感染症診療ガイドライン総まとめ 総合医学社

Fekety R, Silva J, Kauffman C, Buggy B, Deery HG. Treatment of antibiotic-associated Clostridium difficile colitis with oral vancomycin: comparison of two dosage regimens. Am. J. Med. 1989 Jan;86(1):15-19.

Brismar B, Akerlund JE, Sjöstedt S, Johansson C, Törnqvist A, Bäckstrand B, et al. Biapenem versus imipenem/cilastatin in the treatment of complicated intra-abdominal infections: report from a Swedish Study Group. Scand. J. Infect. Dis. 1996;28(5):507-512.

Kwon KT, Cheong HS, Rhee J, Wi YM, Ryu SY, Heo ST, et al. Panipenem versus cefepime as empirical monotherapy in adult cancer patients with febrile neutropenia: a prospective randomized trial. Jpn. J. Clin. Oncol. 2008 Jan;38(1):49-55.

Kadowaki M, Demura Y, Mizuno S, Uesaka D, Ameshima S, Miyamori I, et al. Reappraisal of clindamycin IV monotherapy for treatment of mild-to-moderate aspiration pneumonia in elderly patients. Chest. 2005 Apr;127(4):1276-1282.

Neu HC. The Quinolones. Infect Dis Clin North Am. 1989;3:625-639
2.O'Donnell JA, and Gelone SP. The newer fluoroquinolones. Infect Dis Clin North Am. 2004;18:691-716

Rubinstein E. History of quinolones and their side effects. Chemotherapy. 2001;47:3-8

Ball P, Mandell L, Niki Y, Tillotson G: Comparative tolerability of newer fluoroquinolone antibacterials. Drug Saf 1999;21:407-421

Cazzola M, Salvatori E, Dionisio P, and Allegra L. Prulifloxacin: A new fluoroquinolone for the treatment of acute exacerbation of chronic bronhcitis. Pulm Pharmacol Ther. 2006;19 Suppl 1:30-7

EMEA reports
http://www.docguide.com/news/content.nsf/news/852571020057CCF68525749000687709

http://www.dkma.dk/1024/visUKLSArtikel.asp?artikelID=13835

Wendt C, Schinke S, Württemberger M, Oberdorfer K, Bock-Hensley O, von Baum H. Value of whole-body washing with chlorhexidine for the eradication of methicillin-resistant Staphylococcus aureus: a randomized, placebo-controlled, double-blind clinical trial. Infect Control Hosp Epidemiol. 2007 Sep;28(9):1036-1043.

Bode LGM, Kluytmans JAJW, Wertheim HFL, Bogaers D, Vandenbroucke-Grauls CMJE, Roosendaal R, et al. Preventing surgical-site infections in nasal carriers of Staphylococcus aureus. N. Engl. J. Med. 2010 Jan 7;362(1):9-17.

Kallen AJ, Wilson CT, Larson RJ. Perioperative intranasal mupirocin for the prevention of surgical-site infections: systematic review of the literature and meta-analysis. Infect Control Hosp Epidemiol. 2005 Dec;26(12):916-922.

Kalmeijer MD, Coertjens H, van Nieuwland-Bollen PM, Bogaers-Hofman D, de Baere GAJ, Stuurman A, et al. Surgical site infections in orthopedic surgery: the effect of mupirocin nasal ointment in a double-blind, randomized, placebo-controlled study. Clin. Infect. Dis. 2002 Aug 15;35(4):353-358.

呼吸のトリビア(書評)

呼吸のトリビアの書評です。

いきなりアザラシである。なんじゃそりゃ、という感じである。ナキウサギである。もう勘弁してください。
 「呼吸のトリビアーレスピ・サイエンス」は実に面白い本である。僕はこういうワケわかんない本が大好きだ。
 本書に患者ケアに直接結びつく情報はほとんどない。だからよい。即物的でない、ノーブルな文体。控えめなのか尊大なのかよく分からない蘊蓄。ヒメネズミと地球温暖化の関係?カエルの横隔膜?肋骨?魚のウキブクロと人の肺の関係とは?これでもか、と言わんばかりに次々とくっだらない情報が開陳される。「コウモリの結核は肺のどこの部位に発症するか」なんて命題を読んで僕はひっくり返りそうになった。もう面白すぎである。
 ヨーロッパにタバコをもたらしたのは誰だっけ?こういう歴史的トリビアも面白い。こういうのは感染症屋は大好きだ。この質問は、「あの感染症」と、、、あまり種明かしをしてはいけませんね。
 座禅と呼吸の関係。源氏物語の「いき」は「息」か「生き」か?データベースでそれを検索すると?って筆者の皆さん、どういう好奇心をされているのですか?まさかとは思いますが、ひょっとしてものすごく暇ですか?
 僕らが毎日使っている「アレ」が世界で最初に日本で開発されたときは「ナニ」だった。1980年の「アレ」は「ナニ」だった。ガリレオ、トリチェリ、パスカルである。一つめの「アレ」は分かる。でも、もう一つの「アッチ」は全然知らなかった。そういう意味なのね、「アレ」って。だんだんこの書評もワケわかんなくなってきた。でもみなさん、とにかく本書は読みたくなってきたでしょう?
 とりあえず、ある程度はみなさんの購読意欲を買うことはできたと思うが、あんまり「アレ」とか「ナニ」とか続けていると、しまいには怒られそうだ。一個くらいはネタばらしをしても許してもらえるか。タバコにおけるニコチンやタールの含量の測定方法は国際的に決まっている(本書104頁)。一分間にたったの2秒間、35mlのみ吸引したときの量で判定されているそうだ(へえーっ)。こんないい加減な量を援用しちゃって大丈夫なの?
 本書を読んでも僕の医者としての力量は一寸たりとも前進していないと思う。でも、それがトリビアのトリビアたる所以だ。本書の価値がそのことで少しも減じたりはしない。もしかしたら、本書を読んで呼吸の魅力に魅せられた人たちが、呼吸器内科に入門するかもしれないしね。

移動中、、、

村田幸生先生の「スーパー名医」が医療を壊す(祥伝社新書)を読んでいる。これがべらぼうに面白い。本当に面白い本だと、書評が書けない。「とにかく、読んでください」としかいいようがない。

内容もともかく、文体が美しい。文体は内容と同様、あるいはそれ以上に重要だ。

ところで、本書の冒頭で紹介されているのは、「白い巨塔」である。

僕が「白い巨塔」を読んだのはたしか高校生の頃。大嫌いな小説である。その理由は、些細ではあるが、決定的なものである。

准主人公の里見脩二医師は、「正しいことを主張した」が故に「理不尽に」左遷される。その左遷された先が問題である。手元に本がないので遠い記憶を頼りにだけど、左遷された先は「山陰大学」であった。

山陰出身の僕にとって、これくらいむかつくことはない。村田先生の前掲書によると、「医龍2」でも登場人物がタイに「飛ばされていて」、村田先生は「タイの人に失礼だろ!」と突っこんでいるが、同感である。

「白い巨塔」は、典型的な「正義と悪の物語」である。正義は絶対正義、悪は絶対悪である。要するに、アメリカンな世界観である。薄っぺらな世界観である。そして当然、著者たる山崎豊子は「正義の側」に鎮座している。自身は正義の代弁者なのである。

しかし、その著者が「理不尽な仕打ち」として正義にして善人たる准主人公、里見医師を左遷させる。その先が山陰である。つまり、山陰とは理不尽な仕打ちの代名詞である。その差別性に気がつかない、正義の衣を身にまとった感性の低さが僕には許せないのだ。

単に「悪いけど、私は山陰って暗くて嫌い」というのならば納得する。人の感じ方は百人百様だからだ。「言ってくれるぜ、ちぇっ」とは思うが、それ以上なにも感じない。

でも、上から目線で、絶対善、絶対正義を装っておいて、絶対悪(と山崎の称するもの)を糾弾しておいて、その物語のコンテクストにおいて、他者を差別することは絶対に許されてはならない。それは、偽善だからだ。偽善こそが、僕が恨みに思う最大の悪徳なのである。

差別そのものがいけないのではない。誰もが何らかの差別意識を持っている。持っていない、という者は自身の差別性に気がついていないだけだ。僕らにできることは差別意識をゼロにすることではなく、その意識に自覚的であり、それを「恥ずかしく思う良心」にうまくコントロールさせることだけなのである。しかし、そのような意識を持たず、自分は正しい、というアメリカンな信念の元で行われる差別は、強烈に僕に嫌悪の感情を呼び起こす。

正義の衣をかぶった差別者くらい恐ろしい者はない。例を挙げればすぐ分かる。それはヒトラーである。それは真っ赤ーシー、いやマッカーシーである(偶然ではあるがすごい変換しちゃった)。ほらね、善人気取りで差別者になることが、いかに恐ろしいことか分かるでしょ。

僕は手塚治虫が大好きである。そこには勧善懲悪がない。悪と善は判然としない。科学と、人類の進歩を純粋に信じたドラマのように思える「鉄腕アトム」でも(主題歌は谷川俊太郎作詞です。こないだコンサートで思い出しました)、実は善たるロボット、アトムがそんなに善でもない人間たちに振り回されるかなり理不尽な物語である。医師なら(特に外科医なら)絶対一度は読むであろう「ブラック・ジャック」先生も、法外な手術費は要求する「絶対善」ではないドクターである。おまけに、手術が成功した患者がマフィアに撃ち殺されたりして、不条理きわまりない物語である。このドロドロ感ととっくみあって何とかやりくりしているのが、医療現場である。そんなドロドロの世界を真っ二つに善の世界と悪の世界に分断するなんて、大神ゼウスにだってできない難行なのである。ましてや、「外野の評論家」たる物書きがそんなことをやってはいけないのである(自覚的にパロディーとしてやるのでないかぎり)。そういう意味でも、村田先生の「スーパー名医」幻想が医療を壊す、という大意に賛意を表したいのである。

ところで、新臨床研修制度についての記載が本書にある。115ページ

「医療崩壊は新研修医制度のせい」とまで言われる理由は、おおむね次のように説明されている。
大学の各医局では、これまで毎年は行ってくる研修医を、病棟の点滴当番や処置、外来の手伝いその他多くのことで使っていた。ところがそういう研修医が来ないとなると、スタッフが自分の平常業務に加えてそういう雑用を分担しなければならない。これでは仕事にならない。というわけで外の病院に送り出していた医者を大学に呼び戻しはじめた。市中病院にしてみれば、医者の少ない科であれば「ひきあげ」に等しい場合も起こりうる。その結果、医者が足りなくなり、その科が閉鎖になってしまう、というわけだ。

さて、雑用係たる研修医がいないから、周りから医者を引き上げているのである。xがなくなったのでyを充填するのである。なぜ、yでなければならないのか。と考えている。

外科関連の感染症を内科医が診てもよいのか?もちろんイエス。

 昨日は整形外科の先生方とミーティング。抗菌薬使用方針についてすりあわせを行った。感染制御部、薬剤部と協力して、各科個別に、しらみつぶしにこういう試みをやっている。

 こういうことは全体的にがばっとやってはダメだと思う。個々のドクターの顔を見て、話を聴いて、意見のすりあわせを行わなければ、「やらされている感」が強くなる。人に決めつけられたルールは守れない。自分で決めたルールは守りやすい。だから、最後のキャスティングボートは相手が持つべきなのである。多くの「見解の相違」と思われていたものが、実は同じことを話していた、ということもしばしばこういう場所で詳らかになる。神戸大のドクターは人格に優れ、話の分かる人が多い。ま、全員というわけにはいかないが、全員が善人の集団なんてないだろうし、またあったとしたら気持ち悪いだろう。

 僕は他業種の人と話をするのが大好きだ。基礎研究者との対話は快楽である、という話はした。外科医との会話も大変ためになる。いろいろな気づきがある。

 感染症医にとって大事なことは、コンサルティーが何を大事にしているかに気がつくことである。整形外科医にとってのそれは、機能予後であると僕は思う。こういう「感じ方」を学ばなければならない。自分の世界観、価値観だけでものを言ってはならない。

 さて、話は変わるが、ときどき外科の先生に指摘されるのは、「先生は外科の感染症について経験症例数が僕らより多いわけではないでしょう。先生を信用して良いという根拠はどこにあるんですか?」という指摘である。曰く、自分たちはたくさんの患者を診ているが、内科医たる岩田は経験症例数が足りないのではないか、という意味である。

 これは、大きな誤解に基づいている。はっきり言って、外科系感染症例の経験数において僕以上の外科医はほとんどいない。

 理由は簡単だ。外科医とは、例えて言えばカーレーサーである。僕は、例えるならば事故処理班だ。

 コンサルタントたる僕は、術後の感染症において呼ばれ、でばって患者を診る。術後は感染症が「起きない」のが普通である。感染症はたまにしかおきない。起きたときは、呼ばれて診る。したがって、コンサルタントの元には感染症患者が集積するのだ。

 カーレーサーとレース場の事故処理班では、「車の事故」に対する経験値はどちらが高いだろう。言うまでもない。後者である。レーサーにとっては事故は例外であり、事故処理班にとってそれは日常なのだから、圧倒的に後者のほうが経験値が高いに決まっているのである。

「いやいや、術後に感染症を起こさせたら俺の右に出るものはいないよ。悪いけど、岩田先生より俺の方がぜんぜん術後感染症の経験数は多いね」

と、こんな奇特なコメントをおっしゃる外科医にはまだお目にかかったことがない。

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ