最近のトラックバック

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月

ワクチン政策は進むか

昨日はペニンシュラホテルで日米のワクチン政策を議論する会が行われた。米国のワクチン政策の開陳と、我が国の問題点が詳らかになり、予防接種法改正や20年遅れている我が国のワクチンを先進国並みに合わせること、J-ACIPの設立などかなり具体的な政策提言と議論が行われた。ほんの5年前には厚労官僚と話をしても「ワクチン?そんなの問題になってないでしょ?」とかしらっと言われたのを考えると隔世の感である。まあ、5年もかかったか、という気もするが。

本日のケース

clinical problem solvingより。結構手強かったですが、ちゃんとアプローチできた。勉強にもなりました。ダリエってだれ??ってこうやって中年まっしぐら。

http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMcps0708369

許容できる死かどうか

かつて、日本では発疹チフス、ジフテリア、マラリア、結核などが蔓延し、ひとがころころと死ぬ国であった。

そのような国は悲惨である。毎年カンボジアに行くが、カンボジアなどまさにそのような国である。あのような悲惨な国であって良い、と我々が望むのであればそれでもよいが、多くの日本人はそうは望まないだろう。

それが許容できないから今のような医療制度が出来たのだ。もし、自助努力で勝手に生きていけ、ということであれば国家の医療制度がある理由はない。国民があって国家があるので、その逆ではない。

予防接種は手段である。目的ではない。健康を獲るための、あるいは維持するための一つのツールに過ぎない。したがって、医療は公的だがワクチンは私的とか、その逆はビジョンのない単なる弥縫策となる。現行のアメリカみたいにワクチンは公的で医療は自助で、というねじれた判断は従ってビジョンを欠いているし、多くの国はそのようなダブルスタンダードなプランを採択しない。ワクチンも公的、医療も大多数は国の負担となっているのがほとんどの先進国のあり方だ。

風氏は

諸外国では予防接種に公費が投入されていると主張する人は、それらの国々では、日本の様に治療のために多額の公費を投じてこなかったということに、もっと注意を払うべきでしょう

というが、アメリカ以外の国は、治療についても公費を負担しているので、これは間違いだ。アメリカは(多くの人が勘違いしているように)グローバルスタンダードなのではなく「極端な例外」なのである。例えば、イギリスでは医療費の87.1%が公的資金、GDPの8.4%だ。日本では医療費の82.2%が公的資金、GDPの7.9% (WHO HPによる)。日本だけが突出して公費を投じているわけではない。

風氏の言い分は、自分の健康は自分で守れ、ようするに自分で勝手に生きていけ、というものである。ワクチンだって買いたい奴が買えばよい。

しかし、日本という国はそういうあり方を望んでこなかった(世界の多くの国同様に)。したがって、医療も皆保険、ワクチンも公費負担を行ったのである。もし国民の健康は国マターではない、という判断をするのなら、現行の破傷風とか日本脳炎とか、多くのワクチンはレゾンデートルを失ってしまう。

日本でこのような予防できる感染症を予防しましょう、というヴィジョンの元で現行の定期接種制度はある。では、日本脳炎やポリオは予防するが髄膜炎や子宮頚癌は予防しなくても良いんじゃないの?という論理的な根拠はどこにあるのだろう。そんなものはどこにもないはずだ。風氏の言い分が通るのなら、現行の予防接種制度も成立しなくなるし、医療制度もそうだ。

ワクチンで予防できる病気は全て徹底的に予防しましょうよ、とWHOも多くの国も考えている。これは、日本という国がどういう国でありたいのか、という態度の問題なのだよ。

確かに、病気を予防するのは医療費を下げるためではない。むしろ、長寿国家になれば医療費はもっと上がるだろう。公的医療を国が放棄すれば国の負担はなくなってしまう。でも、ほとんどの国も国民も、それは望んではいない。

アメリカ人の中には、このような健康は自己責任で、という主張をする人が多く、従って長くアメリカは国民皆保険が成立していない。が、アメリカのような国は例外的な存在であり、そのアメリカですら、小児や若い人のpreventable diseaseは徹底的に守る事についてはモラル的に賛同している。

子宮頚癌予防接種を受けるのは10歳くらいのころだ。髄膜炎のワクチンを受けるのは赤ん坊である。自助努力と言うよりも、親の努力に依存している。しかし、その時期の健康と教育は国が守るのが自然、というのをほとんどの国が採択している。日本だってその例外ではない。なにしろ、憲法が

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

と言っているんだから。「予防できる」子供が死ぬ病気を国がほったらかしておくのが、国民の自助努力に任せておくのが、この精神に合致するであろうか。

さて、「自分の健康は自助努力で守ればいいんだよ」という主張は、自分の脚で自立している人が言う台詞だ。税金で食わせてもらっている公務員がそのようなことをいうのは、自己のレゾンデートルを否定している不思議である。国民に食わせてもらっている公務員が「お前ら自分の力で勝手に生きろ」というのはたちの悪いジョーク以外の何者でもない。

多くの公務員は勘違いして、自分たちのおかげで国民が生きていけると思っている。そう言う側面は確かにある。しかし、実際には公務員の生きていく糧の原資は税金である。国民こそが公務員の雇用主なのである。その被雇用者が国民に対して「お前ら自分の力で生きていかんかい」と言ってはいるのである。

高齢者の死と若い人、とくに子供の死は全然違う。僕はそう思う。もちろんそうではないという意見があっても良いと思う。しかし、人の死に方がどうであっても等価であるのであれば、人が100%死んでしまう存在である以上、そこに力を振り向ける理由がなくなってしまう。殺人も、戦争による死も、交通事故死も等価であろうか。医療は価値の交換であると僕は主張しているが、多くの人の価値観はそのような死を超高齢者の肺炎と同価ととらえないのではないだろうか。

コストの問題(予防接種)

予防接種の効果について露骨に反論する人は日本ではそんなに多くない。海外の方が多いくらいだ。

しかし、先立つものがねえ、という議論になる。金がないからだせない、というのだ。

僕は財政の素人なので素朴な疑問が出てくるが、諸外国で負担できるワクチンの費用がなぜ日本のように相対的にはお金持ちな国でできないのだろうか。金がない、とはよく官僚の口にするところだが、ぜはなぜ他国ではでき、他ならぬ日本では出来ないのか。明快な回答を得たためしがない。

ワクチンのコストについての議論はあまりされないが、皆無ではない。
http://ameblo.jp/keneki/entry-10600382609.html
http://ameblo.jp/keneki/entry-10597907995.html
まあ、公務員をクビにしてワクチン費用を捻出するなんて過度な被害者意識が甚だしいのはおいておいて、僕はこのようなお金の効果について議論することはとても大事なことだと思う。お金の議論を無視してただただ何かを要求するのは現実的ではない。

ただし、計算の仕方にはもう少し工夫が要る。

一般に、医療のコストを評価するときは、一人の命が救われた、だけではなく、「何年の命が救われた」、という点が重要になる。それが小児だったり若い女性の命を奪う病気であれば、その予防効果は、たとえば高齢者の命を救った場合よりも大きな意義を持つ(という考え方もある)。

確かに、子宮頚癌ワクチン接種費用は一人の命を救うのには1300万円かもしれないが、これが「20年分の命を救う」となれば1年の命のコストが65万円となり、40年であれば30万ちょっととなる。これは、高いか、それとも安いか。「数ヶ月の余命」を伸ばすために、僕らはしばしばそれ以上の医療費を使っているのではないだろうか。

同時に、予防接種をしないためのコストも考えたい。子宮頚癌治療のコストはどうか。若い就労可能な女性の労働資源が失われるコストはどうか。そのケアをする旦那さんの失われた労働コストはどうか。彼らにコミットする医療者のコストはどうか(たいていの医療者は実際の医療費以上に働いているんです)。将来出産できるはずだった再生産機能としての女性が失われ、その生まれてくるはずだった子供がもたらすであっただろう労働の対価はどうか。

なによりも、女性に優しく、少子化対策を行うという観点からはどうだろう。国のビジョンにどこまで合致しているだろう。日本はどのような国になりたいのか。単なる金勘定だけではなく、そういう視点も大切である。

最後に心情的には、若い女性のアドバンスドな子宮頚癌の患者をみた医者なら、こんな病気が世の中にあること自体への強い嫌悪の情が当然浮かぶはずだ。

人間は死ぬ。必ず死ぬ。死ぬか、死なないかが問題なのではない(なぜなら僕らはいつか必ず死ぬからだ)。許容できる死かどうかが問題なのである。僕にとって若い女性の子宮頚癌の死亡は許容しがたい死である。たいていの人にとっても、それは同じなのではないだろうか。

同様に、小さい子供が髄膜炎で死ぬことが、許容できるか(それが自分自身の子供だった場合、だ)。あるいは生涯にわたる障害を背負っていくことが、そしてそれが回避可能だったことが既知なことが許容できるか。そのようなことが放置されている国家を僕らは許容できるか。このような問いの立て方が重要になるのである。

本日のJクラブ

セファゾリン1gをペースメーカーや除細動器を埋め込む手術の前に投与すると、SSIは有意に減少する。

 ブラジルからの研究。で二重盲検試験。649人の段階で感染率が0.63%対3.28%で、ここで研究終了。NNTが約38人。
 ペースメーカーや除細動器を埋め込む際には直前にセファゾリンを点滴で落とすと術後感染は減少する。血腫が出来ると感染のリスクが上がる。全身感染でも教科書よりも短めに治療されているが、その後どうなったかは不明。
 日本の場合は「術後も」抗菌薬がだらだら投与されているが、その価値を検討するには別の研究が必要になるだろう。

Julio Cesar de Oliveira et al. Efficacy of antibiotic prophylaxis before the implantation of pacemakers and cardioverter-defibrillators: results of a large, prospective, randomized, double-blinded, placebo-controlled trial. Circ Arrhythmia Electrophysiol. 2009;2:29-34

偽膜性腸炎の感染予防は個室管理した方が良い。空中を飛ぶCdiff

 下痢患者の感染管理は基本接触感染対策でよい、というのが僕らが教わったドグマで、個室管理は必ずしも必要ないとされていた。これにチャレンジしたのがこの論文。有症状のある患者のまわりの空気をどんどんサンプルしたら半数以上で空気からC. difficileを検出。環境中の培養と分子検査をして空中の者が患者由来であるかを確認。
 以上の結果から、下痢をしている最中は空中にはけっこうC. difficileが舞っているので、患者は個室管理をした方が良いのではないか、マスクも必要ではないか、、、というもの。リボタイプ27も見つかっているので、確かに怖いか。
 面白い論文だが、実際に菌がそこにいるというのと、対策が必要かというのは別なのでどう考えようか。

Best EL et al. The potential for airborne dispersal of Clostridium difficile from symptomatic patients. Clinical Infectious Diseases     2010;50(11):1450–1457

EDの薬を飲んでいる患者ではSTDが多い。

 アメリカの民間医療保険のデータでEDの薬が処方されている40歳以上の男性で保険請求の病名でのSTDを調べたもの。
 1997年から2006年で141万人以上をフォロー。そのうち3万人程度がED薬使用。10万人あたりSTDはED薬を処方される前でも処方された跡でもED薬を出されなかった群よりおおかった。STDにはHIV感染も含む。マサチューセッツでは年間40歳以上男性1万人に1人でSTDということか。

Sexually Transmitted Diseases Among Users of Erectile DysfunctionDrugs: Analysis of Claims Data. Ann Intern Med. 2010;153:1-7.

不明熱DVDでました。

岸本先生の膠原病と不明熱DVDがでました。本当、面白いですよ。

http://www.carenet.tv/products/detail.php?product_id=497&before_cid=22

今週のMGH

最近英語でやってますが、学生さんもついてきてます。プレゼンも前よりはうまくなった。

http://content.nejm.org/cgi/content/extract/359/3/294

見たことない病気で、疫学など勉強しました。

古人の跡を求めず

古人の跡を求めず、古人のもとめたるところをもとめよ

という芭蕉の言葉があるそうである。

ようやく日本にもこの言葉の意義が染み渡ってきたなと思う。

岩崎夏海の「もし高校野球の、、、」を読んだ。すごい本だ。ピーター・ドラッカーはこう言ってますよ、という月並みな解説書や引用書ではない。ドラッカーが「言いたかったこと」が本書にこめられ、それがメッセージになって著者自身の言葉となって表れている。表面的なアニメキャラや小説の筋など些末なところに気を取られていると、それが分からない。多分、すこし上の世代の「古人の跡を求める」ような学びしかない日本人には理解できない。たとえば、下の評者は本書の本質をまったく理解していない。本書は、ありがちな「こうやって生きれば成功する」というビジネス本とは全然異なる本だ。金持ちトーさんとかぞーさんとかと間違えてはいけないのだ。

http://book.asahi.com/aisare/TKY201002150249.html

古人の跡を求めず、の達人が内田樹さんだが、その内田さんがきちんと日本で評価されているのが今の時代だと思う。ようやく自分の言葉とは何か、分かってきたのである。感染症の世界でも「CDCではこう言っている」的な模倣の時代をようやく乗り越えつつある。CDCは何をしたいのか、その意図や真意を斟酌できるICNが少しずつだが増えつつある。少しずつではあるが、成熟してきているのである。



本日のJC

Trimethoprim-sulfamethoxazole-induced hyperkalemia in patients receiving inhibitors of the renin-angiotensin system: a population-based study

Archives IM 2010 vol. 170 (12) pp. 1045

短期のU先生。ACEI入っていてST使うとカリウム高まるリスクアップ。どうしてこんなスタディーに誰も気がつかなかったんだろう。6年生がレターを書くことに。がんばって世界デビューしてください。

Association of corticosteroid dose and route of administration with risk of treatment failure in acute exacerbation of chronic obstructive pulmonary disease

JAMA 2010 vol. 303 (23) pp. 2359-67

COPD急性増悪で経口ステロイドでも結構いけますよ。

Does this patient with diabetes have large-fiber peripheral neuropathy?

JAMA 2010 vol. 303 (15) pp. 1526-32

Rational Clinical Exam. ニューロパチーの評価は面倒くさい、という話。

A single-question screening test for drug use in primary care

Archives 2010 vol. 170 (13) pp. 1155-60

たった一言の質問で薬物使用がスクリーン出来る、、、というビジネス書のようなスタディー

結果から後出しじゃんけん

ワールドカップの準決勝でドイツがスペインに負けたとき、「ドイツが引きすぎていた。もっと積極的に攻めれば良かった」と難じたサッカー評論家は多い。

おかしな話だ。

当時、バルセロナ・スペインのようなパスサッカーに対抗する最良のレメディーは「引いて守ること」と言われていた。それが有効だったのをインテルのモウリーニョが示し、スイスが成功したからだ。実際、バルセロナ・スペインにガチンコの喧嘩を売ったチームはたいていボコボコにやられている。2009年のCL決勝のマンチェスター・ユナイテッドがその失敗を犯して痛い目に遭っている。

しかし、ドイツが負けた、という「結果」だけをみてその戦術を否定するのは、「じゃ、いままでのは何だったんだ」という話になろう。事実、もし「評論家」があの試合の監督になっていたとしたら、ほとんどの人はレーブと同じ戦術をとったはずだ。

過去から現在を説明するとはそういうことだ。過去の模倣でもって現況を打開しようと思えば、過去の成功例を模倣するよりほかない。それをしないというのであれば相当の冒険が必要になる。それがパラダイムシフトである。しかし、パラダイムシフトをメディアが強いるというのは非常に奇妙な話である。なぜならば、日本のメディアが過去のパターンの踏襲という型から抜け出したことは一度としてないからだ。日本のメディアにはパラダイムシフトは起こせない。テレビや新聞がつまらないのも、そのせいである。

ポッドキャストで「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの「マネジメント」を読んだら」を執筆した岩崎夏海さんの話を聞いた。非常に面白かった。彼はもともとテレビの放送作家をやっていたのだが、「未来にはこういう話が面白くなる」という世界観で番組を作ろうとして、上層部に否定されたので執筆者に転じた。テレビ界は「今成功していることを模倣すること」がすべての世界観だからである。そして高校野球のマネジャーが勘違いでドラッガーのマネジメントを語る、という奇妙な物語を作り、アニメ的なキャラを表紙に載せて本を書いた「過去の価値観、世界観」からすると邪道な本の作り方で、過去の世界観に引きずられている人にとってはひどい本ということになる。しかし、未来の世界観で本を作った岩崎氏の本はベストセラーになった。(もっとも、AKBなんとかとか、高校野球とかにまったく興味のない僕もこの本を「低く」とらえていたこと、その憶見があったことは反省して認めます)

僕も本を作るときは、表紙をものすごく気にする。医学書らしい表紙が退屈で嫌いなのである。しかし、それが理由で編集者に「医学書らしくない」といやがられることもある。これは、世界の見方を「過去に向かって」見ているか、「未来に向かって」見ているかの違いなのである。

未来に向けた視線は過去の否定とは違う。むしろ、未来に向かって視線を馳せているからこそ、過去の文化を大切に咀嚼する。能、文楽、落語、歌舞伎、古典小説を大事にする。そして、それらの作者が現代に生きていたら、どのような生き方をするかを考える。いま、ジジェクの「ポストモダンの共産主義」を面白く読んでいるが、マルクスがこういった、ではなく、マルクスが現代を見ていたらどういうだろう、という想像力が大事になってくるのだ。

わからないことは

 

参議院選挙の結果とメディアの報道について納得いかなかった点をすべて内田樹さんが解決してくださった。いつものことだが。

http://blog.tatsuru.com/2010/07/16_1531.php

宴の後

今回もワールドカップが終わった。やはりワールドカップはいい。最近はクラブチームも強くなっているけど、やはり日本ではチャンピオンズリーグは「他人の大会」であり、オタクの見るゲームだ。ワールドカップは世界全体が雰囲気をシェアできる点で素晴らしい。盛り上がりました。新しいチームも次々発掘される。チャンピオンズリーグが「常連のサロン」となっているなかで、ウルグアイみたいなチームの活躍が見れるのはとてもよい。

決勝戦は前半は「決勝戦にありがちな凡戦」だった。オランダはドイツの轍を踏むまいと、スペインに回されてペースを奪われないよう、厳しくチェックに行く作戦だったのだろう。しかし、気持ちが入りすぎ、入れ込みすぎで、余計なファウルとイエローカードの連発になってしまった。イエローカードが5枚になったとき、もうオランダはこれ以上厳しいチェックを入れることが出来なくなってしまった。

がゆえに、後半はスペインのパスサッカーに回されてしまった。イエローカードが遠因だ。でもそのおかげでオランダはカウンターサッカーに徹することが出来て後半は面白かった。遠因と言えば、前半にあれだけファウルをやってしまったので主審に悪印象を与えたのも裏目に出た。ほとんどファウルをしないでもボールを奪える守備上手のスペインと好対照だ。

レフリーはとてもよかったが、それでもいくつか明らかなミスもあった。本大会のオランダはメンタル面で非常に安定していたが、決勝では悪いクセが出てナーバスになってしまった。一方、スペインも「フィニッシュ下手」のためにシュートが枠に入らない。

ここでセスクが入って中盤の起点が増えた。守備の力を弱めてでも攻撃に出たタイミングが良かった。セスクという起点が生きて、イニエスタの決勝点になった。

74年の決勝は美しいプレーを信条とするオランダが、美しくなくても勝てばよいドイツに負けた。オランダは皮肉にも、この逆の運命になってしまった。あのときはベルティ・フォクツがいた。でもフォクツのようなプレーをしていたら現代であれば前半で退場処分だろう。ノビー・スタイルズ、クラウディオ・ジェンティーレのような「殺し屋」の生きる場所は、21世紀にはないのである。

珍しく朝刊を買って読む。消費税アップをあげたせいで民主党が負けたという分析は、ではなぜ自民が勝ったのかという説明は決してしない。僕にもそれなりの仮説はあるけど、そういう切り口では全然語らない。相変わらず新聞を読んでもよく分からない。

MACの臨床症状と患者

分母をきちんと規定するのは大事だよ、
という話をした。
「20100709170147.pdf」をダウンロード

アズトレオナム

医者でも滅多に勉強しないアザクタム。
「20100709170108.pdf」をダウンロード

βDグルカン

学生にしては深くつっこみました。理解の曖昧なところもご愛敬。「20100709165915.pdf」をダウンロード

クライフが勝利するWC

当たり前だが、サッカーとは実に相対的なスポーツだ。

 韓国を相手にあれだけ自由奔放に攻撃サッカーを見せつけたアルゼンチンだが、ドイツには全然通用しなかった。そのアルゼンチンやイングランドを手玉にとったドイツのパスサッカーはスペイン相手では実にもっさりとしているように見えた。タッチ数が少ないように見えたドイツでもスペイン選手に比べると数タッチ多い。まあ、じゃんけんと一緒で相性もあるから、一意的にスペイン>ドイツ>アルゼンチン>韓国とはいかないのかもしれないけれど。
 それ以上に素晴らしかったのは、スペインの守備力だ。相手からファウルをせずにボールをとるのが実に上手い。空中戦も強い。マークの受け渡しも素晴らしい。バルセロナからリオネル・メッシを引いたみたい、と揶揄されるスペイン代表だが、守備に関してはバルサよりずっとよいと思う。そのため、ドイツはエジル以外、ほとんど実力を見せられなかったのではないか。チャンスっぽいチャンスも一回くらいしかなかった。まあ前半は引いて守っていたせいもあるんだけれど。
 ただ、スペインはフィニッシュがもう一つだ。なんであんなに枠に入らないんだろ。決定力で言うと、オランダのほうがずっと上だ。
 オランダとしては、ドイツ相手に敵をとりたかったかもしれないが、まあ素晴らしい決勝のカードとなった。振り返ってみると、全体的には、この南アフリカ大会は実に良い大会になっている。それにしても決勝はどちらが勝ってもクライフの勝利ってことか。

 ウベ・ゼーラー、ゲルト・ミュラー、フランツ・ベッケンバウアー、オベラーツ(エジル見てると思い出すなあ)、ネッツアー、ベルント・シュスター、ルムネニゲ、リトバルスキ、ブッフバルト、メラー、ザマー、マリオ・バスラー、トーマス・ヘスラー、、、、好きな選手の多いドイツだが、どうもチームとしては好感がもてない。my favorite teamを次々と粉砕しているせいもあるだろう。70年のイングランドは良い試合だったからいいとして、あとは74年のオランダ。82,86のフランス。90年のアルゼンチン、イングランド。2010年のイングランド、アルゼンチンとイヤーな試合ばかりだ。アルゼンチン、イングランド、オランダが好きなファンにどうしてドイツが好きになれようか???
 あと、どうしてもドイツ代表にはチャームがない。魅力があったのは70年、72年のチームくらいで、あとは全然引きつけられない。マテウスとかカーンとか見ていても全然惹かれない。まあ単なる好みの問題だが。
 でも今年のドイツはチャームがあった。カサブランカやMにでていたピーター・ローレだっけ?そんな名前の俳優そっくりだ。エジルの目とか見ているとそう思う。でも、今年のドイツにはそういった「いやらしさ」がなかった。上手くて速くて爽快だったが、そういう意味では何が何でも勝っちゃうドイツらしさはなかったのかも。

本日のMGH

うーん。全然鑑別診断が出てこない。アテモノではないのでピンポイントで正解する必要はないけど、鑑別がでないのはこまる。学生は正解できなくてもやむを得ないが、IDフォロー全滅というのは情けない。

http://content.nejm.org/cgi/content/extract/349/12/1168

カンジダとスタチン

カンジダについてなにかあっと驚く論文を読んできて、と言ったら読んできた論文。何にでも効く魔法の薬(と言われることがある)スタチン。カンジダ血症にも???

「20100707120546.pdf」をダウンロード

カンジダの臨床的分類

そうそう、カンジダの分類って要するに薬の分類なのですね。よく要諦に気がつきました。

「20100707120440.pdf」をダウンロード

吐血と喀血の違い。吐血の原因、治療

大事な話。実は結構難しい。
「20100707120301.pdf」をダウンロード

本日のJC

Intravenous immunoglobulin in children with streptococcal toxic shock syndrome

CID 2009 vol. 49 (9) pp. 1369-76
学生さんが読んできた論文。小児のレンサ球菌のTSSには免疫グロブリンは効果がなくてお金がかかるだけ。propensity scoreにて。

Early vs Late Tracheotomy for Prevention of Pneumonia in Mechanically Ventilated Adult ICU Patients: A Randomized Controlled Trial

JAMA 2010 vol. 303 (15) pp. 1483-1489

VAPの増減に早期、晩期の気切は関係ないが、どうせ気切するなら早期の方がよさそう。

A trial of a 7-valent pneumococcal conjugate vaccine in HIV-infected adults

NEJM 2010 vol. 362 (9) pp. 812-22

マラウィでプレベナーは感染症を減らす、、だがとにかくたくさん死んでしまう。

それでも協会は間違っていた

岡田監督のサッカーはワールドカップ本戦ではとてもうまくいっていた。多くの評者は予想外の展開に驚いたわけだが、事前の試合ではまったく違ったチームだったのだから、びっくりするのも当然だ。

別にそれが「能ある鷹は爪を隠す」的な謀略に基づいていたわけではない。あくまで、その展開はまぐれ、偶然である。

岡田監督がまぐれ当たり、やぶれかぶれになった、というのではない。あれも通用せず、これも上手くいかずと失敗ばかりの日本代表で、さらにキーマンの中村の調子が上がらない中で、考えに考え抜いてとった戦略が上手くいったのである。上手くいかないから、そこしか道が見えなかったのである。でも、事前の試合で「上手くいかないでおこう」と狙ってやったわけではない。そういう意味では偶然の産物だ。今回のチームは。

偶然の産物だから岡田監督はだめだ、となじるつもりは毛頭ない。素晴らしかったのは、
1.批判され続けても投げずに改善を模索したこと。
2.自説に固執せずに、今あるリソースで最善のプランを考え続け、それに乗っかったこと。
3.そうこうしている間にも選手の心を折らず、チームの和を乱さず、コンディションを高めつづけたこと。

1番、2番は比較的どうということはない。国際的には監督が批判されるなんて日常茶飯事で、批判されるくらいで萎縮してしまうくらいなら代表監督の資格はない(萎縮するから、とういう理由でプロを甘やかすのが正当な教育法とは限らないのは、そのためだ。プロ教育ではちょっとやそっとではへこまない胆力が必要になる)。他人の意見に耳を傾け、柔軟に戦術変更を行うのも、このレベルでは当然と思う。

しかし、この3番が特に素晴らしかったと思う。2006年の最大の失敗はコンディション作りの失敗だった。2010年の敗戦国はコンディション作り、チームスピリット作り、選手の士気の向上に失敗した場合が多い。イングランド、フランス、カメルーン、イタリアなどなど。逆に上手くいっているチームがアルゼンチン、ドイツ、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジルなどのベスト8組や、チリ、韓国、メキシコなどである。この中でとくにアルゼンチンやメキシコは日本同様、準備段階で大苦戦してきた。内紛を起こして失速しがちなオランダもここを回避しているから今のところ上手くいっている。

チームや個人のコンディションや士気を下げなかった一点でも岡田監督は賞賛に値する。戦術やフォーメーション、選手選抜以前の一番大事な部分だし、ワールドクラスのサッカーチームでもなかなかうまくいかないところだ。

日本の評論家は個人の好みで選手の選抜やフォーメーションを論ずることが多い。俺の嫌いなやり方だから、この監督はだめだ、という論法だ。是非ではなく、好悪で論ずるやり方は小児的である。どちらかというと。僕の場合、好悪で言うと日本は別としてイングランド、アルゼンチンなどはいつも好きだし、イタリア、ドイツ、韓国などは好みでないチームだ。けれど、ドイツも韓国も(くやしながらも)良いサッカーをしている。ここは分けて考えなければならない。日本のサッカー評論家には成熟が必要だ。

さて、今回の岡田監督のチームのようなチーム作り、偶然に頼るチーム作りは二度とすべきではない。リスクが大きすぎる。結果オーライではダメだ。

なるほど、世の中にはネガティブな事象をバネにして大きく成長する人がいる。マラドーナは貧民街でのハングリーな環境でのサッカーで大選手になった。ネルソン・マンデラは何十年も刑務所に収監されてタフな政治家になった。ジャン・バルジャンは盗みを働いたのがきっかけで高潔な人物に成長する。

このような悪人正機説は「結果論」「後付の説明」では成り立つが、予定して計画的に行うことは不可能である。なぜなら、一人の成功者の下には死屍累々たる失敗例に満ちているからだ。そうではない、と断じる人物は自分の子供を貧民街に住ませ、窃盗を教え、監獄で長く過ごさせてみると良い。そういう選択肢を取る親はまあいないだろう。

僕も失敗や挫折を糧にしてきたが、それを狙ってやったわけではないし、もし当時に返っても繰り返すつもりは毛頭ない。

岡田監督の、そして日本代表選手の偉大なる努力を認めた上で、今回の成功は偶然の逆転劇であったことは間違いない。2014年にこのシナリオを繰り返そうと思うのは、元寇の神風を常に期待するくらい愚かなことだ。サッカー協会はそのことについて厳密に成果とプロセスを分断し、明日の一歩を踏みしめて欲しいとファンである僕は希望する。

百日咳血清診断の考え方

以前から百日咳の血清診断について質問を受けることが多いので、ここにまとめておく。出典は

石川、田中・青年および成人百日咳の診断は難しい 綜合臨床 2009;58:2081-2084

で、このタイトルからして意味深である。「難しい」と困難をそのまま吐露する日本の論文は希有なので、そう言う意味でもこの論文は貴重だ。

・培養検査は乳幼児で分離できることが多い。30−40%。青年・成人では見つかりにくい。
・血清学検査は、日本では菌体に対する凝集素価を測定しており、これは乳幼児の診断の指標を援用している。成人に使えるかどうかは不明。
・東浜株は血清型1,2、山口株は1,3である。山口株が流行株で東浜株がワクチン株なので、山口株のみが上がっている、東浜株より上がっていれば診断、、、という説もあるが、実証はされていない。また、1981年からは死菌ワクチンではないacellular vaccineになており、凝集抗体価がワクチン接種後も上がらないことが多い。また、ワクチンの抗体保持効果も10年程度ということで、青年期に抗体価を維持している可能性は低い。
・要するに、今の若者であれば東浜、山口(のどちらか?は)を気にする必要はあまりないと言うことだ。
・ちなみに死菌ワクチンの予防効果は高く、acellularは低い(ただし副作用が少ない)。これが世界的な百日咳増加の原因となっている、という意見もある。
・もひとつちなみに。アメリカがacellularを入れたのは1990年以降なので、この判断はアメリカよりも日本が早かった。日本がワクチン政策で世界の先鞭をつける希有な例だ。
・したがって、抗体価(シングル)で、どこをカットオフ値にするかは、分からない。160よりは320、320よりは640だと「可能性高いか、、、な?」という感じだ。
・海外では抗PT抗体が用いられることが多いが、これを日本の血清検査と比較検証した研究はほとんどないという。
・報告では、抗PT抗体で、94EU/ML以上を陽性、49-93は判定保留とする。あるいは100以上なら陽性とする、という意見もある。いずれも確定的なものではない。血清検査はむしろ疫学的に使用すべきで、臨床診断には役に立ちにくい、と書いている文献すらある。
・2008年の病原微生物検出情報で、百日咳診断の目安(案)(岡田ら)が提言されている。ここでは凝集素で40倍かペアで4倍以上、PT-IgGで94-100、あるいはペアで2倍以上を陽性とする案が出ている。ただし、検査が陰性でも「臨床診断」するという選択肢は(確定診断ではないが)残している。

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ