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レヴィナスの「倫理と無限」と内田樹さんの民主主義

私が言いたかったことは、次の一文に集約される。
「法理と現実のあいだの乖離を埋めることができるのは固有名を名乗る人間がその『生身』を供物として差し出す場合だけである。」

内田樹さんのブログが今まさにこのようにおっしゃっている。まるでどこかで見ていたみたい。

レヴィナスの本のなかで一番読みやすかろう「倫理と無限」を読んでいる。他者の責任に対する有責性がこれほど分かりやすく理解できたことはかつてなかった。いい心持ちの時に、いい本と出会えたものだ。自分が顔(あるいは名前)を見た人の責任に対する責任。相変わらずよく理解できていないが、胸にすっと落ちることは、落ちた。

日本における医療の問題(そしてその他の問題も、たぶん)の一番大きなところは、固有名を名乗る人間がその生身を差し出し、他者のもつ責任に対して責任をとる、という大人の態度をとれず、矜恃を示せないためである。繰り返すが、僕は本ブログでの匿名コメントを否定しない。ただ、それらのコメントは「素人さん」からの、観客席からの、外野からのコメントとして認識されるだけで、有責性を引き受けるプロの言葉とは認識しない、ただそれだけの話である。

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