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2010年10月

業務連絡(学生と研修医へ)

ティアニー先生の臨床入門 ティアニー先生の臨床入門

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「診断の神様」ティアニー先生ついに初神大です。大リーガーですが、超エース級、殿堂入り間違いなし。4,5,6年生と初期研修医は必須。内科の後期研修医はほぼ必須。指導医もたぶん必須。1−3年生もお奨め。外からも参加OKです。

「ティアニー先生の臨床入門」もとてもお奨め。うちのオフィスにもあるし、生協でも売っています。つまらない授業を何時間も聞くよりこの本読んだほうが絶対に価値が高いぜ。大学生になったら勉強の仕方は自分で工夫するのだ。非常に丁寧に基本的なアプローチを示しているので、初学者にはピッタリ。かといって、ちょっと手慣れた中級者も忘れかけた(上級者はとうに忘れ去った)基本を思い出させるためには有用で、ちょっとマニアックでアクロバティックだった「診断入門」とか生坂本とは(あれはあれでよいが)ひと味違うおもしろさを味わえます。最後のページでみなびっくりします。

ティアニー先生の診断入門 ティアニー先生の診断入門

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見逃し症例から学ぶ日常診療のピットフォール 見逃し症例から学ぶ日常診療のピットフォール

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ここ最近、日本はよい「大リーガー」が来てくれるので、逆に「ティアニー慣れ」というか、その本質をアプリシエイトできていないことがあってとても残念。ミシュラン読んでリストを暗記して美食家ぶってはだめで、自分の舌をきちんと鍛えようと思ったら、ちゃんと自分の舌で認識できるまで良いものをトライし続けなければ、、、、


<11月4日(木)-10日(水)  大リーガー:Dr.Lawrence Tierney Jr.>
・11/8(月)はお休みです!
・基本スケジュール
 朝&昼にケースカンファレンス、夕方症例出題者によるフォローレクチャー
 日によって若干異なります。詳細は当院ホームページで確認頂ければ幸いです。
 http://www.hosp.kobe-u.ac.jp/
 ☆トップページ、医療関係者の皆様への欄に近日中にアップされる予定です。
・学外・学内問わず、どの時間帯へのご参加も大歓迎です。
・当日カンファレンスの時間に会場にお越し下さい。
・当院でのカンファレンスは平日のみですが、11月6日(土)午後に神戸市内のホテルで
 内科学セミナーが予定されており、ティアニー先生のケースカンファレンスもあります。

 ☆神戸内科学セミナー
 11月6日(土)14時〜19時
 神戸メリケンパークオリエンタルホテル 4階「瑞天 東」

KKPのロールシャッハ

小林堅太郎のKKP、「ロールシャッハ」を観に行った。弟が誘ってくれて観に行ったんだけど、男二人なんて僕らだけじゃん。絶対みんなゲイのカップルと思ってるよ。まあ、いいけど。

内容はすばらしくて、、、、まあ、文章ではうまく説明できないから、これは見るよりほかないと思う。いや、ライブの演劇なんて久しぶりだ。大学の演劇部がやってたShow must go onを思い出した。劇団迷走神経、ってまだあるんだろうか。三谷幸喜の脚本を面白いと思った原点だが、流れはそんな感じですね。終わるとスタンディングオベーション。

あまりに面白かったので、「LENS」も買ってみた。こちらも面白かったが、僕は個人的にはロールシャッハのほうが好きだった。あくまで好みの問題か。あるいは、やっぱライブはライブが一番か、、、、また観に行きたいな。

小林賢太郎プロデュース公演 「LENS」 小林賢太郎プロデュース公演 「LENS」

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訂正、ウチダメモ

KSのドキシルの投与量は
20mg/m2じゃないかというご指摘を受けました。すみません、僕のチェックミスでした。訂正します。

他者との対話は最大の学び

機会あって、墨東病院の大西健児先生と中村ふくみ先生に寄生虫疾患について教えを乞う機会を得た。お二人は臨床寄生虫学のキングとクイーン(プリンセス?)である。素晴らしい時間だった。本当、勉強になる。

寄生虫学を勉強するのは難しい。教科書が少ない。しかも古い(なかなか改訂されない)。内容が難しく、臨床的なアプローチが難しい。執筆者が臨床家でないからである。寄生虫学をやっているのが基礎の先生が多いのが問題なのではない。我々臨床家が寄生虫学にコミットしてこなかったのがいけないのである。反省である。

お二人との対話はどんな寄生虫学テキストからの勉強やレクチャーよりも有益だった。ソクラテスの昔から対話とは、最大の勉強方法である。

対話を文字おこしし、これを追体験するのが対談本である。対談本で僕らは自分が門外漢である社会学、宗教学、哲学、脳科学などを勉強する。他領域のジャイアンツと直接対話をする機会は簡単に得られない(今月は、でもそのジャイアンツたちと対談です。やったぜ)。朝日カルチャースクールとかで対談を「傍聴」することも可能だが、時間的、金銭的に制約がある。対談本は容易にそれを可能にする。

僕自身、昔は対談が嫌いだったし、対談本が嫌いだった。なんとなく「しゃんしゃん」で進んでいく対談は欺瞞的に思えたし、対談本は「手抜き本」に見えたからだ。自分の短見、短慮を反省している。よく考えたら、プラトンの著書はみな「対談本」だ。岩波文庫から出ているから、なんとなく高級に見えるだけだ。

プロセスはどうでもよく、できた結果こそが大事なのである。時間をかけて作り上げた油絵が、書道や写真より優れているわけではない。手書きの小説がタイプした小説より優れているとは限らない。20年かけて作った映画の「大作」ががっかりでオオコケなことも珍しくない。もちろん、くだらない対談本はとても多いが、それは対談だからそうなのではなく、そのしゃべっている人がそうだっただけなのである。

そんなわけで、医学の世界でも容易に読めて理解しやすい対談本をもっと作りたい。専門家はともかく、門外漢はそのフィールドに時間やエネルギーを費やせない。簡単に勉強できるほうが良いに決まっている。守備範囲の広いプライマリ・ケア医にはとくに重宝するだろう。

しかし、医学書出版界は恐ろしいほど保守的である。多くの出版社は対談本を「手抜き」だからと認めない。晦渋な内容で読みにくくてわかりにくくて、しばしば間違っている教科書のほうが高級で偉いと勘違いしている。特に歴史の長い出版社ほどプロセスの積み重ねが重厚すぎて、そしてそれに依存しすぎて、「結果」よりも「プロセス」の積み重ねに陥りやすい。どの業界でもそうだが、経験の積み重ねを活かすも殺すも、経験そのものに対するメタ奈認識の有無なのである。経験そのものが自動的に暴走し出すと、ベテランのうまみよりも老害のほうが強くなる。

対談本、もっと作りたいなあ。

かっこいいとは

疲れた。出張に行くことの最大の苦痛は残務である。この時期書類が多いのもつらい。

しかし、思いの外まあまあ行けている。時差ぼけがあってカンファも大変だったが、そこまでひどくはない。時差ぼけは年齢が上がるごとにきつくなる。が、まだ頑張る。

帰宅して、実家から送られた島根和牛で焼き肉。島根和牛はうまくて安いのだよ、どうせ神戸牛なんて高すぎて手に入らないのです。岩田流は大根をベースに自己流の焼き肉のたれ。本日は大根、ニンニク、みりん、醤油、蜂蜜、マーマレード。経験とばくちの見事なコラボレーションだった。味噌汁と水菜のサラダ、ご飯もおいしかった。

食後はDVDで「紅の豚」を観る。最近は「キャタピラー」とか「告白」とか重要な、価値ある映画を観てきたが、こういうしんどい映画ばかりではやはりだめだ。映画はやはりエンターテイメントが一番、ロマン主義、センチメンタリズムが一番。宮崎映画最良の時期の映画だ。屁理屈言わずにこれを観るべきだ。ちょっと泣いた。

もう僕らは泣き寝入りしない

朝日の記事に対応して「医療報道を考える臨床医の会」が発足されました。僕も発起人のひとりっす。泣き寝入りはしない。意味もなく謝罪はしない。まっとうな理由であれば反省し、謝罪し、改善する。僕らは謝罪や反省を拒んでいるのではない。理不尽な謝罪や反省はまっとうな謝罪や反省の阻害剤なのである。朝日新聞も知性のかけらがあるなら理解しなさい。反省、謝罪は知性を否定しない。反省、謝罪の否定こそが知性の否定なのだ。


朝日新聞社に適切な医療報道を求めます

  医療報道を考える臨床医の会
  http://iryohodo.umin.jp/
   発起人代表 帝京大学ちば総合医療センター 小松恒彦

 私たちは、全国の病院・診療所に勤務し、患者さんと共に、日々臨床現場で診療を行っている医師です。朝日新聞社のがんワクチン報道に対し抗議し、当該記事の訂正・謝罪、同社のガバナンス(組織統治)体制の再構築を求め、署名募集を行います。

 去る2010年10月15日、朝日新聞朝刊1面に『「患者が出血」伝えず 臨床試験中のがん治療ワクチン 東大医科研、提供先に』と題する記事が掲載されました。記事には医学的誤り・事実誤認が多数含まれ、患者視点に欠けた医療不信を煽るものでした。記事報道を受け、当該臨床研究のみならず、他のがん臨床研究の停止という事態も生じました。

 10月20日には、患者会41団体が「がん臨床研究の適切な推進に関する声明文」を発表しました。声明は「臨床研究による有害事象などの報道について、一般国民に誤解を与えず、事実を分かりやすく伝える報道を行う」ことを求めるものでした。しかし10月21日の朝日新聞朝刊は、『がんワクチン臨床試験問題 患者団体「研究の適正化を」』と、患者会で問題とされたのが、報道ではなく臨床研究であるかのように重ねて歪曲を行いました。

 10月22日以降、医科学研究所清木元治所長、2学会(日本癌学会・日本がん免疫学会)、オンコセラピー・サイエンス社、そして日本医学会高久史麿会長から朝日新聞報道に対する抗議声明が出されました。抗議では、記事に事実誤認および捏造の疑いがあることが指摘されています。読売・毎日・日経・週刊現代の各紙誌がこの声明を報じましたが、朝日新聞は10月23日記事で同社広報部の「記事は確かな取材に基づくものです」とのコメントを記し、当該記事について真摯に検証する姿勢を見せておりません。

 以上の経過から、朝日新聞社は、信頼される言論報道機関としてのガバナンスに欠けていると判断せざるを得ません。

 私たちは、朝日新聞社に対して適切な医療報道を求め、以下の提言を行います。賛同いただける皆様からの署名も募集いたします。署名は、朝日新聞社の社長及び『報道と人権委員会』(社内第三者機関)に提出いたします。

       記

(1) 東大医科研がんペプチドワクチン記事の訂正・謝罪を行うこと
(2) 同記事の取材過程の検証を行い、再発防止策を立て、公表すること
(3) 今後、がん診療・研究など医療に関しては事実を分かりやすく冷静に伝えること

                   以上   

発起人一覧 (順不同)
 小松恒彦 帝京大学ちば総合医療センター 教授 (代表)
 成子 浩 成子クリニック 院長
 矢野秀朗 国立国際医療センター 医師
 濱木珠恵 都立墨東病院内科 科長
 満岡 渉 満岡内科 院長
 神津 仁 神津内科クリニック 院長
 山野嘉久 聖マリアンナ医科大学難病治療研究センター 教授
 岩田健太郎 神戸大学医学部附属病院 教授
 中村利仁 北海道大学大学院医学研究科 助教
 比留間 潔 比留間医院 院長
 谷岡芳人 大村市民病院 院長
 平岡 諦 健保連大阪中央病院 顧問
 竜 崇正 千葉県立がんセンター 前センター長
 森下竜一 大阪大学大学院医学系研究科 教授
 小鷹昌明 獨協医科大学神経内科 教授
 小原まみ子 亀田総合病院腎内分泌内科 部長
 中島利博 東京医科大学医学総合研究所 教授
 大森敏秀 大森胃腸科 院長
 鈴木博之 鈴木内科医院 院長
 吉永治彦 吉永医院 院長
 新家 眞 公立学校共済組合関東中央病院 院長
 和田豊郁 久留米大学病院情報部 部長
 千葉敏雄 国立成育医療研究センター 副センター長
 高見沢重隆 たかみざわ医院 院長
 長谷川 修 横浜市立大学医学部
 鈴木 真 亀田総合病院 部長
 加藤宣康 亀田総合病院 副院長
 黒川 衛 全国医師連盟 代表
 鈴木ゆめ 横浜市立大学付属病院 教授
 佐藤祐二 筑波記念病院血液内科 部長
 一色雄裕 筑波記念病院血液内科 医員
 田中浩明 大阪市立大学腫瘍外科 講師
 鈴木伸明 山口大学医学部消化器・腫瘍外科 助教
 杉浦史哲 近畿大学医学部外科 助教
 副島秀久 恩師財団済生会熊本病院 院長

署名活動に賛同いただける皆様からのご署名は、下記のサイトからお願い申し上げます。
http://iryohodo.umin.jp/

今週のMGH

うーむ、これも難しかった。正解の選択肢までは導けたが、ピンポイントに当てるのは大変。猫も病気になるのね。;

http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMcpc1007103

映画まとめ

行き

カナダに向かう途中、Coco Chanel & Igor Stravinskyを見る。あの有名な「春の祭典」の初演とか、シャネルとの関連とかシャネル5番の誕生とか、大変面白く見ました。良い映画です。スト ラビンスキーやってたのはマッツ・ミケルセンで、ボンドファンには二度美味しかったです。デンマーク人なのに(だから?)英語、フランス語、ロシア語OK なんですね。

その後見たのはKnight and Dayというトム・クルーズとキャメロン・ディアスの出る、しようもないハリウッドご都合主義アクションムービー。ハードでリアルな映画を見た後はこうい うどうしようもないお馬鹿映画が見たくなるのです。辛いものを食べた後に食パンにアイスクリームとバターと蜂蜜をかけて食べたくなるような感じ。しかし、 この何でもありのヒーロー男と頼りなくてドジばかりのヒロイン女の図式はハリウッドで長く政治的に正しくないと封印されてきましたが、本作のような露骨な バカ女を出す映画って、ギャグ?パロディー?それとも?

他、フランスの前衛映画とか「火星からの侵略」みたいな古い映画をトライしようと思ったが、眠かったり他のことがしたかったりであえなく断念。

帰り

「告白」を見る。もうこれで絶句してお腹いっぱい。他の映画は流せなかった。僕の感想としては黒澤の鉄板、「生きる」よりもずっと生きることの意味を深く問うている映画だと思う。必見といえば必見だが、かなり覚悟を決めて見ないと、見れません。

First answer to most good ideas is usually "no".

First answer to most good ideas is usually "no".

To get a different answer than "no" takes a tremendous effort.

Be respectful to others.

Never bring your colonialism.

You will never get the credit you deserve for getting it.

IDSA最終日は、グローバルヘルスに関するトピックを中心に参加する。最終日、日曜日ということもあって参加者は少ない。アメリカ人は国外のことに関心が低い人が多いので、それもあって参加者は少ない。日本人もほとんどいない。

朝のmeet the professorは僕のお気に入りだが、そのときジョンホプの先生が言っていたのが上のコメント。何十年もインドやアフリカでやっていくには、このような態度が必要になる。稲田先生がケニアで、僕らがカンボジアで、グレミリオン先生やティアニー先生が日本でやっているときも、同じようなアティチュードだと思う。

もやしもんで、樹教授が「君は急ぐ人だね。千里の道も一歩からという言葉を与えよう」と(詳細間違いあるかも)言っている。これは日本酒業界の改善に対する言葉だが、国際保健の要諦であり、感染管理業界の鉄則であり、医学を含むほとんど全ての業界における鉄則でもある。

「アメリカから帰ってきて、日本があまりに違うのでやりにくい」という相談を受けることがある。僕はこの悩みに答えるアンサーを持っていない。これは類化性能と別化性能の問題であり、それは恣意性の問題でもある。恣意性の問題は、自分で答えを見つけるより他にない。

先々週だったか、脳梗塞の患者を出先の総合診療外来でみたが、CTとろう、と思った時間からCTをとってERまで連れて行くまでほんの10分くらいしかかからなかったのに驚嘆した。それはCTへのアクセスの良さであり、スタッフのコミットメントでもある。

日本の医者はCTを撮りすぎると批判されるが、そしてそれは真実の一側面ではあると僕も思うのだが、かといってCTがないというのはもっと困る。CTがないとどのくらい困るかというと、これも観念的に考えるより、実際そういう場所で診療してみるのが一番だと思う。そこでは「結核性髄膜炎か、脳梗塞か、脳出血のどれか」がアセスメントとなるような世界である。

そういう場所(=シアヌーク病院)に身を置いてみると、日本とアメリカなど似たものどうしであることがよく分かる。ある二者が似ているか、似ていないかを判断するのは類化性能を強く働かせるか、別化性能を強く働かせるか、の恣意性の問題でしかない。どちらが良い、悪いの問題ではない。別化性能は学問のうえでは重要な能力だ。ワインテースティングでも役に立つ(もっとあればいいのに、、、涙)。アメリカに留学する人は別化性能が強いことがほとんどだ。アメリカと日本の細かい違いを繊細に(ときに神経質なくらいに)区別することができるからこそ留学なのであって、それなくして留学のインセンティブが生まれることは、ごくまれな例外を除いて、ない。しかし、同時に大事なのは「おおざっぱに言うとそんなに違いはないな」と腹をくくる類化性能である。両者のバランスが取れていないと、失調を起こす。

レヴィ=ストロースは「旅が嫌いだ」といいつつも、ブラジルを旅し「悲しき熱帯」を著した。類化性能と別化性能の話をしたのは折口信夫であり、それを紹介したのは中沢新一である。人類学者は類化性能と別化性能の違いと恣意性に意識的である。そのようなメタなものの見方ができる、自分を俯瞰できる態度があれば、日米の違いに過度に苦しむ必要はなくなる。それは、90年代に流行った(いまも?)自分探しとか、アイデンティティーとか、そういうどうでもよい言葉と決別することでもある。

「日本がアメリカのようではない」と嘆き、アメリカのようにしようとするのは、要するに植民地時代の帝国主義的精神と変わらない。それではだめだと看破したのがレヴィ=ストロースであった。日本の大学病院に勤務するのは、草一本生えない荒れ地を耕して農園にする開拓作業に近い。一人で開拓するのではない。みんなで開拓するのである。むち打って開拓する奴隷時代ではない。そのために大事なのは、聴くこと。まずは、聴くこと。聴くこととは、他者に対してrespectfulであるということである。基本、病院改善も医療の改革も患者のケアも、根本的な要諦は同じなのである。

First answer to most good ideas is usually "no”.

である。基本的な構造は同じ。基本的な悩みも同じ。解決方法も同じ。ほら、類化性能は役に立つ。

無駄、無駄、無駄

IDSAのケースディスカッションはいつ見ても面白い。良いケースが多い。かといってパネリストがティアニーのように爆発的に次元の違う人たちではないのも良い。鑑別診断は妥当だし、一緒に楽しむことができる。カッティング/エッジのリサーチマターは「へえ、そうなんですか」と追随するより他ないが、こと診断に関する限り、僕ら臨床屋はどんな学会に行っても萎縮する必要がない。こういうのを日本の学会でもやればよいのに、ととても思う。

日本の学会といえば、IDSAと時を同じくして化療学会、感染症学会の地方会や渡航医学会が行われている。短見だと思う。これは「日本か、アメリカか」というヘゲモニーの問題ではないのだ。ぶっちゃけ、IDSAのようなレベルの高さは日本の学会には見いだせない。このレベルの高さをぜひ、一人でも多くの日本人に体感してもらいたい。それがレベルアップを生むのである。アメリカの医療については批判すべき点も多々ある。しかしそれは、見てから初めて言えることなのだ。今回、IDSAに日本人の若手医師がたくさん参加していることは興味深く思ったが、逆に例年に比べて年寄りたちがあまりに少なかったことも興味深かった。日本の地方会とかに出ていたのかもしれない。

日本の学会はあきらかにIDSAより貧弱である。ならばなぜ地方会をバカみたいに何度も繰り返すのか。年に1回感染症学会、化療学会、臨床微生物学会と合同で(あるいは環境感染学会も一緒でいいが)総会をやればよいではないか。学会長をみだりに増やして喜んでいる場合ではない。演題も吟味して、いまより半分かそれ以下にすれば良いではないか。各学会は質の悪いポスターに満ちており、それが参加へのインセンティブをさらに下げている。自らが自らの質の低下を望むとは、どういう短見だろう。

リソースが少ないときに、なぜ無駄なことを望んでするのか。これは心理学的、社会学的には興味深いテーマであるが、現場の臨床屋としてはうっとうしいことこのうえない。地方会を乱発するよりは、せめてアジアの各国が日本の学会に参加して勉強したい、と思うような(ぼくらがIDSAの価値を位置付けするような)学会にすべきである。もっと広くて深い視野を持つべきである。

スタティックな

癌治療に関するワクチンに関して、朝日新聞の記事が波紋を呼んでいる。毎日新聞はウェブ上で

朝日新聞:がんワクチン記事に2学会が抗議 HPに掲載

 日本癌(がん)学会と日本がん免疫学会は22日、東京大医科学研究所が開発した「がんペプチドワクチン」の臨床試験に関する朝日新聞社の記事について、「大きな事実誤認に基づいて情報をゆがめた」などとして、記事の訂正や謝罪などを求める抗議声明を、癌学会のホームページ(HP)に掲載した。

という記事を出した。

 これが現在のマスメディア対応法である。かつてマスメディアの言葉の暴力に無力であった僕らは、簡単にカウンターアタックすることができる。もしその言葉が不当なものであれば、である。
 インターネット以前には、マスメディアの言葉の暴力に僕らはあまりにも無力であった。しかし、いまはホームページ上で、ブログも含めてどんな個人でもファイトバックできる。新聞社に抗議文なんて送っても仕方がない。黙殺されるか、冷笑されるか、たらい回しにされるか、いずれにしてもよいプロダクツを生まない。しかし、インターネットに「実は、、、」という情報を開陳すれば、マスメディアのクレディビリティに傷がつく。プロの医者が説明する「それ」と素人のジャーナリストが糾弾する「あれ」のどちらに説得力があるか、それは読者が判断する。場合によっては他社のマスメディアがこれに呼応する。多くの新聞社やテレビ局が「ホームページによると」「ブログによれば」とネット情報を情報のリソースにする。今回の毎日新聞のように「学会HPによれば」と記事を広めてくれる。
 マスメディアにとっては成長のチャンスである。プロにファイトバックされてもいいような強靱なデータとロジックがなければ、おいそれと記事にはできないからである。新聞記事やニュースは数週間もあれば忘れられる。なかったことにされてしまう。しかし、それを取り上げた批判のブログは理論的には未来永劫残り続ける。それは、僕らの論文がPubmedに記録されるのと同じである。これまでのようにしらんぷりを決めることができなくなったのである。

 MMRが自閉症の原因である、と主張する論文をウェークフィールドという消化器のドクターがランセットに発表した。これはPubmedに載り、未来永劫残り続ける、、、、と思いきやこの論文はねつ造であることが何年も経ってからすっぱ抜かれる。これが論文の厳しさである。何年も前の新聞記事の誤謬を追求する輩は、よほど暇人か酔狂な人物でなければやらないものだ。論文書きは100年先の人にも「おれはこんな文章を書いた」と胸を張って言えるような覚悟がいる。いまや新聞記者やテレビのアナウンサーにもそれにやや近い(まあ、まだ遠いか、、、)覚悟を求められているのである。このことは、日本のジャーナリズムが成熟する上でとてもよいことだ。

 その記事はおそらく今より「スタティックな」ものになる。しかし、僕らはセンセーショナルな記事に飽きている。スタティックな記事も良質なものであれば受け入れられる。それは、僕らがCGたっぷりのハリウッド映画や「来週に続く」とどぎつい展開で引っ張るマンガに飽き飽きしているのとパラレルである。スタティックなジャーナリズムであることを怖がる必要はない。センセーショナルな記事も毎日やっているとだれも驚かなくなるのである。

 僕はもう「記者会見」はしなくてよいと思っている。情報公開は施設のHPからやればよい。記者会見はジャーナリストのために行うので、施設のためには行われない。当たり前だ。適切な情報の伝播を記者会見は保証しない。僕らは何度あの定型的な頭を下げてフラッシュライトが飛び交う記者会見の映像と、そこから醸し出す「悪いことをした奴ら」のイメージに振り回されてきたことだろう。記者会見はやるのが当然、という常識をまず疑うべきだ。しなければならない根拠は、よくよく考えてみると、実に希薄なのである。「今の世の中こうなっている」という「物知り」の言うことを聞いてはならない。彼は決して未来のあるべき姿を教えてくれないのだから。

絶句、絶句

日本を離れている間も、日本は同じ日本ではない。いろいろなことが起きる。

 時差ぼけぼけ時間や移動時間を活用して「カチンの森」(みすず)を読んだ。絶句である。戦争で大量の人間をいとも簡単に殺すことも絶句なら、ナチスと当時のソ連の2つの全体主義の「近さ」がもたらす悲劇も絶句なら、それを見ていてずっと知らん顔をしていたイギリスとアメリカ、そしてゴルバチョフにも絶句である。チャーチルもルーズベルトもゴルバチョフも優秀な政治家だったかもしれないが、決して理想の政治家ではなく、ましてや尊敬に値する政治家では決してない。そこには政治のロジックはあるが正義のロジックは皆無である。

 もうひとつ読んでいるのが「京都の平熱」講談社で、こちらは最近はまっている鷲田さんの本で、京都の街を歩くとさらに面白さ倍増である。

カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺

カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺

著者:ヴィクトル・ザスラフスキー

カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺


京都の平熱 哲学者の都市案内



京都の平熱 哲学者の都市案内


著者:鷲田 清一




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久々のIDSA

久々にIDSAに来ている。何年ぶりだろ。

今年はバンクーバー。人に会うつもりでトロントに行き、それが思わずかなわず、仕方ないので紅葉を見てからバンクーバーへ。気温は低いが思いの外、寒くはない。

最近、こういう学術集会でのお勉強をしていなかったので、大変に勉強になっている。毎年来る必要はないけど、ときどき来て知識のブラッシュアップをしておくことは大切だと思った。

確かに、最近はウェブで学会のハイライトをやってくれるのでお金と時間をかけてアメリカの学会に行く意義は薄れている。驚愕の新事実が飛び出す可能性も小さい。しかし、ぼんやりと把握していたことをしっかりと理解し直したり、周辺知識を追加したりするには有用だ。インタラクティブセッションは特に面白い。たとえば、CLSIの基準変更のいきさつ(変更そのものではなく)を勉強したり、FDAのそれとの違いを学んだりするのは、こういう場でないと難しい。

世界で一番膝の整形手術が美味いのは、北アイルランドの整形外科医

というジョークが、僕がイギリスにいた1991年にはあった。そのこころは、当時IRAのリンチの仕方が膝を銃で撃ち抜くからで、膝の手術をもっともたくさんやっているのがアイリッシュの整形外科医というわけだ。

アナロジーとして、幸か不幸か、僕がいる神戸の診療現場では耐性HIVが問題になることがほぼ皆無である。耐性に悩まされているタフな現場でHIVをやっているひとがこの話題に強い。なので、ときどきこういう「お勉強の場」でブラッシュアップしておかないと忘れてしまう。最新のテクノロジーの勉強も含め、それはとても役に立った。生のポール・サックスも拝見できてよかった。知識が頭からあふれ出すようなタイプで、非常に賢い人だと思った。あと、曖昧さを受け入れる度量もあり、がちがちのガイドラインや研究結果主義者でないことも素晴らしい。研究をどっぷりやっているから「こそ」研究のキャビアをよく心得ているのだろう。マルチプルチョイスでも複数アンサー有り、というのをよく理解していた。先日TBLを勉強したアメリカのファクルティーがシングル/ベスト/アンサーにこだわっていた(それは医療の現場ではほぼ皆無である!)のと対照的だ。どこにいっても優秀なドクターは本当に優秀で、そうでないひとはそれなりに(ふるい)なのだ。

内科研修医時代の懐かしいアテンディングに再会したり、この「ばったりであって」も学会の魅力だ。一番いけていなかった研修医時代を知るアテンディングに、今もまだ「生きている」ことを知らせることには意味がある。そういえば日本人が多くなったなあ。僕より年下で大活躍している人がたくさんいて、本当に心強い。がんばって早く僕らを追い抜いて、のんびり引退させてくださいね。

ポスターもさらりと見たが、日本の学会よりはずっとレベルが高く(日本は演題を半分にして良いから、もっと質を確保すべきだ。都会の大学病院の初期研修医と同じロジックで失敗している)、かといって全然手が届かないほどべらぼうにすごいのは少なく、ほどよくエンカレッジしてくれる。研究も頑張りましょう、と言ってくれているようだ。日本からの発表も多く、亀田からは山藤、山本、そして藤井(聖マリで藤谷先生と)と3つも出していた。他にも京都とか和歌山とか、いろいろなところから出ているようだ。在アメリカの日本の先生たちも結構発表している。臨床研究をがんばろうという気運が僕らが研修医だった頃より高まっている。僕らが研修医の頃は、研究なんかやる研修医は少し軽蔑の対象だったが、こういう空気を先行する成功者が前例を打破することで払拭してきた。沖縄にいたころの清山先生とかが実例だし、筑波の徳田先生がよいロールモデルになっている。名郷先生の本も後押ししている。臨床か研究か、ではなく臨床も研究も、だ。「あれか、これか」のロジックはことごとく、あらゆるところで破綻しているように僕には思える。「あれも、これも」だ。

今年は国際学会(マイアミ)にポスターひとつだったので、来年もどこかに何かを出したいと思う。聖路加の古川先生みたいに毎年出すことをノルマにするのは、本当にすごいと感嘆する。真似できへん。

久々のIDSA

久々にIDSAに来ている。何年ぶりだろ。

今年はバンクーバー。人に会うつもりでトロントに行き、それが思わずかなわず、仕方ないので紅葉を見てからバンクーバーへ。気温は低いが思いの外、寒くはない。

最近、こういう学術集会でのお勉強をしていなかったので、大変に勉強になっている。毎年来る必要はないけど、ときどき来て知識のブラッシュアップをしておくことは大切だと思った。

確かに、最近はウェブで学会のハイライトをやってくれるのでお金と時間をかけてアメリカの学会に行く意義は薄れている。驚愕の新事実が飛び出す可能性も小さい。しかし、ぼんやりと把握していたことをしっかりと理解し直したり、周辺知識を追加したりするには有用だ。インタラクティブセッションは特に面白い。たとえば、CLSIの基準変更のいきさつ(変更そのものではなく)を勉強したり、FDAのそれとの違いを学んだりするのは、こういう場でないと難しい。

世界で一番膝の整形手術が美味いのは、北アイルランドの整形外科医

というジョークが、僕がイギリスにいた1991年にはあった。そのこころは、当時IRAのリンチの仕方が膝を銃で撃ち抜くからで、膝の手術をもっともたくさんやっているのがアイリッシュの整形外科医というわけだ。

アナロジーとして、幸か不幸か、僕がいる神戸の診療現場では耐性HIVが問題になることがほぼ皆無である。耐性に悩まされているタフな現場でHIVをやっているひとがこの話題に強い。なので、ときどきこういう「お勉強の場」でブラッシュアップしておかないと忘れてしまう。最新のテクノロジーの勉強も含め、それはとても役に立った。生のポール・サックスも拝見できてよかった。知識が頭からあふれ出すようなタイプで、非常に賢い人だと思った。あと、曖昧さを受け入れる度量もあり、がちがちのガイドラインや研究結果主義者でないことも素晴らしい。研究をどっぷりやっているから「こそ」研究のキャビアをよく心得ているのだろう。マルチプルチョイスでも複数アンサー有り、というのをよく理解していた。先日TBLを勉強したアメリカのファクルティーがシングル/ベスト/アンサーにこだわっていた(それは医療の現場ではほぼ皆無である!)のと対照的だ。どこにいっても優秀なドクターは本当に優秀で、そうでないひとはそれなりに(ふるい)なのだ。

内科研修医時代の懐かしいアテンディングに再会したり、この「ばったりであって」も学会の魅力だ。一番いけていなかった研修医時代を知るアテンディングに、今もまだ「生きている」ことを知らせることには意味がある。そういえば日本人が多くなったなあ。僕より年下で大活躍している人がたくさんいて、本当に心強い。がんばって早く僕らを追い抜いて、のんびり引退させてくださいね。

ポスターもさらりと見たが、日本の学会よりはずっとレベルが高く(日本は演題を半分にして良いから、もっと質を確保すべきだ。都会の大学病院の初期研修医と同じロジックで失敗している)、かといって全然手が届かないほどべらぼうにすごいのは少なく、ほどよくエンカレッジしてくれる。研究も頑張りましょう、と言ってくれているようだ。日本からの発表も多く、亀田からは山藤、山本、そして藤井(聖マリで藤谷先生と)と3つも出していた。他にも京都とか和歌山とか、いろいろなところから出ているようだ。在アメリカの日本の先生たちも結構発表している。臨床研究をがんばろうという気運が僕らが研修医だった頃より高まっている。僕らが研修医の頃は、研究なんかやる研修医は少し軽蔑の対象だったが、こういう空気を先行する成功者が前例を打破することで払拭してきた。沖縄にいたころの清山先生とかが実例だし、筑波の徳田先生がよいロールモデルになっている。名郷先生の本も後押ししている。臨床か研究か、ではなく臨床も研究も、だ。「あれか、これか」のロジックはことごとく、あらゆるところで破綻しているように僕には思える。「あれも、これも」だ。

今年は国際学会(マイアミ)にポスターひとつだったので、来年もどこかに何かを出したいと思う。聖路加の古川先生みたいに毎年出すことをノルマにするのは、本当にすごいと感嘆する。真似できへん。

翻訳の話

 海外だと時差ぼけが激しいので、夜中に目が覚めると原稿を書くか本を読む。今は翻訳をやっている。一所懸命訳す。
 翻訳は素晴らしい勉強方法である。翻訳対象(サブジェクト)の勉強になり、英語の勉強になり、そして日本語の勉強になる。一気に3つの勉強ができるという素晴らしい営為だ。
 この日本語の勉強である、という点を意識していない訳者がとても多いのが残念である。したがって、日本語に訳された医学書は(たぶん、哲学書も)本当にひどい日本語が多くて困る。自分で声に出して読んでみて、自然に聞こえるかどうかが大事である。翻訳とは一つの創作である、ということが分かっていないのである。だからこそ翻訳は快楽であるのに。
 訳した専門書を非専門家が読めない大きな理由は翻訳の稚拙さにあると僕は思う。外国では日常的に使われている語をわざわざ誰にも理解できない言葉に変化させる。学術界でしか通用しない言葉にしてしまうから、「俺たちだけの」本になる。こうしてアカデミズムの狭量さが発揮されるというわけだ。
 likelihoodは「らしさ」と和語に訳せば問題ないのに、なぜ「尤度」と普通の人には読めないし書けないし、意味も分からない言葉に直すのか。そのセンスを大いに疑う。strategyは常識的には戦略である。方略といわれて何のことか分かる一般人はいない(いれはそれは一般人ではない)。
 日本語は英語からは遠い言語である。だから、日本人が英語が苦手なのもある程度は仕方がない。日本人は語学力がない、というのはウソだと僕は思う。北京にいたとき、日本人の中国語習得力は他の国の人に全然劣っていなかった。漢字のできる日本人のアドバンテージがあり、その分中国語と日本語にある程度の「近さ」があったのだろう(言語学的な話ではありません)。ドイツ語をしゃべるイタリア人、英語をしゃべるドイツ人は多いが、日本語ぺらぺらな西洋人は(最近増えたけど)比較的まれである。ゲーテは英語を1ヶ月でマスターしたと言うが、日本語はそんなに簡単にマスターできなかったはずだ。あと、イギリス人やアメリカ人が語学苦手なのは(移民もとの言語を除く)ニーズが欠如していることから来る、単なる怠慢である。
 いま、ヘーゲルの「精神現象学」とカントの「実践理性批判」を英語版で読んでいる。英語の方が読みやすいと鷲田さんが書いていたのでだまされて読んでいる。まあ、正直言って英語だから楽になったと言うことはないが、少なくとも使用されている単語のほとんどは日常単語なので「単語」が分からないということはほとんどなく、辞書を引く必要もほとんどない。ペーパーバックの小説の方がよほど辞書を要する。
 DOVER版が出たのは1931年のことであり、基本その英語がそのまま今でも通用している。もちろん、その英語はやや古風で分かりづらいけれども、今でも読める翻訳であるのがすごい。ドイツ語から英語への変換はわりとオートマティックで変更の必要が小さいからだろう。
 これがドイツ語から日本語になると、一所懸命翻訳を工夫しなければならないから、どんどん改訳がでる。「良い翻訳」とか「悪い翻訳」とかがあるのは、いかに西洋語と日本語が離れており、その変換に工夫と技術と努力を要するかということだ。
 西洋語と日本語は基本的に言語構造が離れすぎているので、逐一単語を置き換えたのではよい訳にならない。意訳と誤訳は異なると思うが、その厳密な線の引き方は難しい。オリジナルな書き手の思いが伝わらなければ、いくら文法的に語彙的にOKでも良い訳とはいえないことは、間違いない。この真意を伝えるのは日本人には苦手な人が多い(形をまねるから)が、皆無ではない。古典落語を上手に現代の人にも伝える談志家元とか、昔のジャンプマンガの精神を伝える「BAKUMAN」なんかがそうである。形をみないで、本質をみる。
 良い翻訳を希求したい。「チャンドラーよりチャンドラーらしい」清水俊二の訳なんかは、僕の中では理想である。それは逐一訳ではないが、チャンドラーの意図をもっともよく伝えている好訳である。そういえば、小池朝男のコロンボも、ピーター・フォーク以上にコロンボらしいコロンボだった。小池の声の魅力もそうだが、my wifeを「うちのかみさん」と訳したライターの功績が大きいと思う。

具体的なパールとしては、

1.英語はそのまま日本語に直すとくどくなるので、省いても意味が分かる部分はとことん省く。彼が彼の彼に、、、みたいなのは、彼を1回だけ用いてあとは省略した方が日本語らしいし、全然使わなくてもかまわないことも多い。

2.漢字を減らし、和語を用いると分かりやすい。これも程度問題ですが。

3.原稿はPDFでもらうかスキャンした方が良い。僕は紙の本も好きだが、こと翻訳するときは邪魔でしょうがない。辞書もパソコン内のeijiroにしたほうが楽で、昔みたいに紙の辞書をちまちま引いていたときは隔世の感である。紙の辞書も個人的には愛着があるが、こと翻訳時には邪魔なだけである。

マックのスクリーン上に、テキストエディタ、原書のPDF、eijiro、ネットのブラウザがあれば、ほとんどの仕事は両手を離さずできる。

成熟しつつ

歴史の流れとは、おそらくは偶発的なものでありマルクスの言うような「必然的な」流れがあるわけではないと僕は思う(ただし、時間が作る歴史の「正体」は僕にはさっぱり分からないが)。

近代日本は、あくまで「後付けの」説明ではあるが、「ヒステリズム」の克服であったのではないか。と思う。日本とアメリカはヒステリックである、という点でよく似ている国であるが後者はまだこれを克服していない。しかし、日本は確実にヒステリズムの病魔から抜け出しつつある。小児から大人への成熟だと言い換えても良い。もっとも、これも後ろを振り返るとそう見える、という程度の意味なのでそこに歴史の必然とかのにおいを読み取るのはよくないのかもしれないが。

幕末の日本はおそらくはとてもヒステリックな時代だったのだろう。ちょっとした言動や出自で斬り殺されることは当時の日本なんかではよくあった話で、井伊直弼や佐久間象山、坂本龍馬らは実際そうやって殺されている。

関東大震災、日露戦争、日中戦争から太平洋戦争にかけて、このヒステリズムは蔓延していた。やはり世の中の空気であったのだろうと思う。

戦後、日本はその支配国にいわば去勢されたのだが、それでもそのヒステリズムは抜けていなかった。僕ら以前の時代だとそれは安保反対であったり学生運動だったりし、僕らの時代だと、それは例えば「受験戦争」という名前で発露した。

ヒステリズムはインターネット上でも発揮され、それは2chとかでの暴論となる。しかし、このころから逆説的に、そのインターネットそのものがヒステリズムを緩和するよい媒介になってきた。2chのヒステリーに同調する人はむしろマイノリティーなのである。メディアの流す情報が一面的な事実ではないことは多くの人が頭では理解していただろうが、それが体感されたのはインターネットがマスメディアを相対化したからである。これは、ソシュールやレヴィ・ストロースやデリダが相対化するよりもずっとパワフルで説得力のある相対化だった。

1990年代までは日本の感染症界は「日本が絶対正しい派」と「なんでもアメリカが正しい派」のヘゲモニー争いだった。それは時と共に前者が後者に取って代わられる図式であったが、そのアメリカが実はろくな感染症診療をやっていないということ(ガイドライン上の建前と本音の解離)もだんだん分かってきて価値は相対化されてきた。

医療や教育では絶対的な無謬が常識であったが、両者は白旗あげてカミングアウト、自分たちは万能の神ではないことを現在必死にアピールしている。おそらくは司法と行政がこれに続くであろう(そう願っている)。後ろ向きに見ると、確実に今の日本人は成熟しているのであり、ここ数年それが顕著なのはインターネットのおかげであると僕は思っている。そしてそのインターネットの一番パワフルな部分を活用して情報発信したのが内田樹さんであり、その発信される情報は5年くらい前までは一部の「ファン」の間でしか共有されていなかった。が、日本辺境論前後くらいからそれが普遍的に伝わり、共有されるようになっている。と僕は思っている。内田さんにみんなが追いついてきた、と思うのはそのためである。

医療の世界で用いられている言語は圧倒的に日本語と英語で、わずかに昔の世代のドイツ語や精神医学系のフランス語が生きているくらいである(揶揄しているわけではない。ドイツ語やフランス語で本が読めたらどんなに良いだろうとうらやましく思う)。多くの国では医学は英語オンリーで学ぶ。そのことが日本人医師の英語力の低さと関係しているとは思う。しかし、その一方で、日本語の医学書があることのすばらしさも僕はようやく理解できるようになった。そのことは、医学を「自分の言葉」で語ることができる、ということを意味している。ハリソンとかセシルで医学を勉強する場合、それは「その世界」が医学の全てであり、その文脈の外でものを考えることができない。日本語で医学を語り、その二重世界を生きている「辺境」の僕らだからこそ、ハリソンとは異なる文脈で医学を考えたり語ることができる(もちろん、これはハリソンを読んだら、、、の話で、単に日本語の本だけ読んでいれば単に狭量になるだけなんだけど)。聖路加の岡田正人先生がむかしおっしゃっていたと記憶しているけれど、英語しか読めないアメリカ人より、日本語も英語も読める日本人のほうがよっぽど世界に開けている。そのことを僕は最近まで理解できていなかったが、ようやく腑に落ちてきた。

韓国や中国はいまだにヒステリーの空気が大きな国である。韓国は医学の勉強を英語でやるそうだ。アメリカがインターネット時代に至ってもそのヒステリーを克服できないのは、「英語しかできない」ためではないかと(すくなくともそれが遠因の一つではないかと)思う。他者の言葉に耳を傾けにくいのである(英語しかできないから狭量なのか、狭量だから英語しか学ばないのか、という因果の順序はよく分からない。たぶん、どちらも相互的に働いているように思う)。韓国の医学については僕はほとんど知識がないけれど、韓国が英語で勉強している限り、逆説的ではあるが日本のほうがずっとアドバンテージが大きい。これはグローバリストの常識とは真逆なことを言っているのだけど、長期的にはそうなると思う。日本の医学は韓国やシンガポールやタイやマレーシアやタイに遅れをとっているが、急がば回れである。絶対に日本語という医学上のツールを放棄すべきではないと僕は思う。

繰り返すが、英語ができなくても良い、と言っているわけではない。医師たるもの、英語の文献が読めるくらいは「常識」であり、できないほうが非常識である。読める、とはジャーナルクラブに向けて「翻訳できる」という意味ではなく、日常診療で活用することを意味している。日本語という逃げ道がある中でなおかつ厳しく英語を勉強するのはつらいに決まっている。しかし、他に選択肢がない中で英語を勉強するよりもそれはずっと崇高で素晴らしい努力なのだ。だから、医師は死にものぐるいで英語を勉強すべきである。

日本語で医学をやることの世界的なアドバンテージは、それが「英語もできるよ」という部分を担保することによって「のみ」確保される。単に日本語だけであれば、それは鎖国的、閉鎖的、狭量でヒステリックな態度に過ぎない。英語か、日本語か、、ではない。英語も、日本語も、、である。正邪を語らず、二項対立に陥らず、安易にアメリカの法廷ドラマみたいな「Yes or no?」と言わないことが成熟である。日本はやはり少しずつではあるが成熟しつつあるのである(少なくとも、僕らの下の世代は)。

僕の意見は、「これからは英語だ」というダイハードなグローバリストにも、「日本には日本の伝統と文化が、、、」というダイハードなナショナリストにも受け入れられないと思うけど、特に僕より上の世代の人たちにもまったく受け入れられない可能性も高いけれど、それはそれでかまわない。Time will tell. 5年後に再会したとき、この話をもう一度しましょう。

成熟しつつある日本人

ウチダ本をがんがん読んでいる。

武道的思考 (筑摩選書)

      
武道的思考 (筑摩選書)

著者:内田 樹

武道的思考 (筑摩選書)

 武道的思考はコンピレーションなのですでに既読の内容が多く、サラサラ読めた。身体性については理解が乏しかったのだが、ようやく納得、という感じで読めてきた。この勢いでメルロ・ポンティまでいける、、、かなあ。

9条どうでしょう

      
9条どうでしょう

著者:内田 樹,平川 克美,小田嶋 隆,町山 智浩

9条どうでしょう

少し古い本だが、これが最近読んだ中で一番面白かった。「日本辺境論」の源流であり、しかもこちらのほうがよりリアルである。

たぶん、発刊当時は読者にあまり理解されず、ヒステリックに解釈された可能性が高い。あるいは装丁からして「いつものウチダ本」と勘違いされている可能性がある。非常にハードな本である。後半は正直うーん、であるが、前半のウチダ、町山部分は実に面白い。

内田樹さんがブレイクしていると言うよりは、ぼくはここ数年日本人がとても成熟しつつあるのだと思っている。内田さんが10−20年くらい先を走っていて、ようやく僕らが、追いついてきたのである。ようやく内田さんの本が面白く読めるように日本人が成長してきたのだ。

自分の頭で考える、複雑なものを複雑に考える、単純化しない、白黒はっきりつけようとしない、グローバル・スタンダードのような「手垢のついた」キャッチフレーズに安易に飛び込まない、かといってアホみたいにナショナリスティックにならない、子どもっぽくならない、、、これがウチダ本を読むために必要な態度である。20年前、みんな子どもだったときには(僕も子どもっぽかったが)、だれも見向きもしないような本である。5年前でも厳しかった。今、ようやくである。ちなみに、サッカーのほうも偶然か必然かここ数年で急速に成熟が見られるのは興味深い。

そうそう、最近、中学校で教師が生徒を怒鳴りつけているのを見た。ふざけた態度を取っていたので、まじめに叱っていたのだ。小学校で順位付きのリレーや騎馬戦が復活している(前から残ってたの?)。よいことだ。

ノーベル化学賞のニュースでも大騒ぎしていたのはメディアくらいで、周囲は誠にクールであった。これもよいことだ。もちろん、科学に勤しむ日本人が増えることはよいことだが、それが「日本人がノーベル賞を取ったから」という理由では困る。ノーベル賞は結果であって目的ではないからだ。目的と結果の取り違えも、近年ようやく減少してきた。

ヒステリック・アメリカンな小児病をようやく日本は乗り越え、大人の感覚が萌芽しようとしている。喜ばしい限りだ。医療も教育もぼこぼこにされてようやく自分の脚で立ち上がろう、自分の頭で乗り越えようという気分になってきたのだろう。あとは司法、行政かな。小児病の克服は。

「9条」の本と言うだけで嫌がられそうだが、本書は絶対に買いである。

Step beyond resident

そのレジデントノートに連載されている林先生のStep Beyond Residentの6巻がでた。とにかく膨大な情報量でいつも圧倒される。


      
ステップビヨンドレジデント 6 救急で必ず出合う疾患編 Pa

著者:林 寛之

 

漢方診療の論文

亀田時代に感染症を研修していた加島先生が漢方の勉強法を研修医向けに書いている。漢方については加島先生の方が師匠筋で、僕もよく教えてもらいました(漢方については万年「初期」研修医状態で困っています。そろそろ腰を据えて勉強しないと)。

http://www.yodosha.co.jp/rnote/book/9784758105064/index.html

ちなみにこの号は讃井先生たちのICU特集、徳田安春先生のインタビュー(背筋伸びますよ)、金城光代先生の関節痛のまとめなど盛りだくさん。レジデントノートって軽い感じがするけど、忙しい1年目にはこういうさらりと読めるもののほうがお奨め。論文読む暇があれば患者を見に行った方がよい。オーセンティックなNEJMとかばりばり読むのは2年目からでよいと僕は思う(その代わり、2−5年目くらいは死ぬほど論文を読みまくった方がよい)。

キューバ医療を見るアメリカ医師

世界でもっともコストパフォーマンスの高い医療を展開するキューバにアメリカ人医師が入り、Scienceにポリシーステートメントをまとめている。アメリカの禁輸措置廃止を訴える論文はキューバ人には好意的に受け止められ、アメリカ人からは賛否両論であったという。

アメリカ医療のコストがおそろしく高い割にはパフォーマンスは悪く、ちょうどかの国の車のように燃費が悪い。キューバの医師はハイテク医療ができないため、アメリカ人医師よりも病歴聴取や身体診察により丁寧である(アメリカ人医師が診察が上手でない、というのは僕の昔からの見解だが、そのことはSapira先生の教科書とかにも書いてある。身体診察の重要性が強調されればされることは、彼の地でそれが「できていない」証拠なのである)。午前は患者をみて、午後はフリータイムなので往診をしてみたりする。

http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/sci;328/5978/572?maxtoshow=&hits=10&RESULTFORMAT=&fulltext=Paul+K.+Drain&searchid=1&FIRSTINDEX=0&resourcetype=HWCIT

http://www.acphospitalist.org/archives/2010/09/cuba.htm

アメリカ人が外国の医療を語ることは希有なことだ。興味深く拝読した。

HIV感染の自然歴

こちらもビーコンになったもの。病気を診断するって本質的に難しいですね。そもそも病気ってなに?

「20101014131335.pdf」をダウンロード

抗HIV薬のまとめ

一介だめ出しを出されて直したもの。やっぱリターンマッチってよいですね。格段に(最初に合格した人たちより)よくなっていました。人間は挫折とそれを克服するという帰ってきたウルトラマン的図式のほうがより成長する。試験に落ちた傷もようやく癒えてきました(単なる言い訳だけど)「20101014124432.pdf」をダウンロード

ペースメーカー感染

これもよくまとまってます。
「20101014115359.pdf」をダウンロード

結核治療中にリンパ節が腫大したとき考えること

こういうのが難しいよね。教科書調べればすぐ分かるとは限らないが、とても臨床的。どうでもいいけど、5年のレポートのほうが6年の発表より質が高いのはどうして?

「20101014115103.pdf」をダウンロード

ブルセラ症について

鑑別にあがるが当たらない疾患トップ3.他はポルフィリア症とか。「20101014114937.pdf」をダウンロード

CFS

これも熱でけっこううちの外来に来ます。英語でまとめてくれました。えらい!!
「20101014114801.pdf」をダウンロード

抗結核薬と肝機能異常

対応の仕方は意外に難しい。

「20101014114530.pdf」をダウンロード

韓日戦

火曜日の韓日戦は互角の戦いで引き分けであった。

これを喜ぶべきか。僕はあまり喜べなかった。ようやく追いついたという感じで、前回2戦でボコボコにやられたリベンジは果たせていない。前の試合は本当にひどくて、あれが皮肉にも岡田監督が方針転換、WCで活躍するきっかけとなるのだから世の中は分からない。もちろん「よかった」と肯定的に評価する人の気持ちも分かるので、否定はしないけれど。

MOMは長谷部。本当に攻守にわたって効いていた。守備陣も安定していた。90分はらはらしないでも見ていられる試合ができたことは確かにプラス。けれど、では崩して相手をはらはらさせたかというとそうではなかった。交代選手もぱっとしなかった。香川も研究されるとうまくプレーできていない。相手にはパクチソンがいなかった、、、などむむむな点は多い。

もう少し高いところを目指したいが、若手のできが韓国の方がよいだけに、今後どうしたものか、、、、

五月雨的に

ここのところ考えていたことを次々

・6年生の個別実習発表。海外の留学体験記から、基礎研究の発表、朝から晩まで外科の先生のオペ時の姿を見てかっこいー、と思った感想とか、法律や医療システムに関する考察など多岐にわたってとても興味深かった。幼い発表も考察の未熟も目立ったけど、まあそれはご愛敬。本当に他領域の話っておもしろいです。

・映画館で映画を見るという僥倖を得て若松孝二監督の「キャタピラー」を観る。非常に怖い映画だったがその分、魂に迫るものがあった。以下ネタバレなので未見の方はご注意ください。
 もちろん、この映画は夫婦愛の映画ではない。反戦の映画ともちょっと違うように思う。人間の業みたいなもの、夫婦の関係と世間の関係のずれみたいなつらさが描かれているが、それが目的かというとそれも違うような。腕力で暴力を日本でも中国でもふるっていた男がその因果で手足を失う。腕がなくなると無力となり、妻に軽蔑されるにまでいたる。外では軍神とあがめまつられているのに、うちでは「軍神様」とさげすまれる。様をつけてさげすまれるほど、むごいさげすみ方はない。レイプした中国人のフラッシュバックは罪の意識ではない。むしろ、自分の行いがレイプのレイプ的なものであったことを、自分が「レイプされる」ことによって同期してしまったのだ。最後は自殺してしまうのだが、それは単に世界に絶望したのかもしれなければ、自分に絶望したのかもしれない。裁判にかけられるのを恐怖したのかもしれない。妻の顔はこのとき(象徴的に)とても晴れやかだ。

・僕は人事の時、履歴書を読まない。部下の出身高校など覚えていないことが多いし、最初から問わないことがほとんどだ。
 理由は簡単である。履歴書からは必要な情報が得られないからだ。必要な情報はただ一つ、こいつを雇って俺たちのチームのパフォーマンスが上がるかどうか、研修医ならその人物のパフォーマンスそのものがあがる可能性が十分にあるか、である。つまり、未来への可能性、ただそれだけである。
 過去の業績をみたって未来の予測はできない。過去にどんな人物だったかは興味がない。今と未来だけが大事なのである。
 しかし、日本では「昔の名前で出ている」人は多い。過去の業績だけが判断基準なことが多い。未来を基準にものを考える習慣を持たないからである。
 というわけで、僕は履歴書はさらりと見たふりをして、他に大事なものを注意深く見る(それが何かは企業秘密なので教えない)。しかし、多くの人が履歴書を穴があくようにみて、
「このひとの卒業は1997年の4月ではなく、3月ではないでしょうか」などとどうでもよい突っ込みを入れるのである。
 そんなことはあとでこっそり事務方に言って直してもらうのが大人の態度であり、全会の前で大きな声で言うことではない。電車の中で、「あなたチャックあいてますよ」と大声で指摘するのは、「正しい」が「間違った」態度である。
 どうしてこの国は「白髪の小児」がこんなに多いのだろう。僕より年長者の幼稚性がこの国の大事なところをむしばむこと、本当に大である。

・そのような幼稚性の発露の例に、コンプライアンス遵守過剰依存主義がある。コンプライアンス遵守は手段であり、目的ではない。しかし、過度の形式主義と「他人に揚げ足をとられたくない、批判されたくない」という基準でしか行動を起こせない空気、文脈を読めない無神経さ、そしてビジョンのなさが、この形式主義の末路たるコンプライアンス遵守神話を作ってしまった。それに加担しているのがマスメディアであり、官僚であり、その他大勢の「白髪の小児」である。考え方が、魂がどんどん矮小になっていく。

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

      
「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

著者:郷原 信郎

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)


・「おせっかい教育論」と「街場のマンガ論」を読む。内田本は頻回に出されるのでキャッチアップするのが大変である。しかし、大変おもしろいのでつい読んでしまう。平松大阪市長の言葉をはじめて聞く。興味深い。でも、僕は橋下知事もこっそり好きなので、困っちゃうなあ。どっちも仲良くしてくれるとうれしいが。内田先生、少女マンガ・ゲイマンガならよしむらふみがお奨めです。
 正しい病状詳記は「詳しくて長くてわかりにくいこと」である、と昔教えられた。シンプルで分かりやすい詳記は切られやすい。あれは臨床医が審査医にたてつくときは「このくらい苦労して文章を作らないと俺たちは言うこと聞きませんよ」という「どちらがボスかを誇示するための」手段に過ぎない。でなかったら、何度も同じ病状詳記を書かせる理由が分からない。見せしめなのである。このような品位を欠く態度を取っていくと、どんどん人として落ちていくと思うのだけれども、人間には自ら没落していくことを望んで行う奇妙な性質がときとしてあるのである。同様に、文科省は「長くて詳しい」シラバスを書かせないと承知しない。長くて詳しいシラバスやカリキュラムが教育の質を担保することなど例のないことなのだが。これも形式主義がもたらした教育の没落例である。
 僕は臨床屋で大学のことは全然知らないが、「大阪大学ってだめなところ」という偏見を勝手に抱いていた。たぶん、森嶋通夫の本が父親の本棚に並んでいて、幼少時からあれを読んで育ったせいだろう。でも、鷲田さんが総長をやっておいでと知ってこの偏見はいっきにひっくり返った。うらやましいぞ、大阪大学。

おせっかい教育論

      
おせっかい教育論

著者:鷲田清一,内田樹,釈徹宗,平松邦夫

おせっかい教育論

なぜ日本は行き詰まったか

      
なぜ日本は行き詰まったか

著者:森嶋 通夫

なぜ日本は行き詰まったか

街場のマンガ論

      
街場のマンガ論

著者:内田 樹

街場のマンガ論

本日もJクラブ

Gentamicin-collagen sponge for infection prophylaxis in colorectal surgery
NEJM 2010 vol. 363 (11) pp. 1038-49

大腸癌オペ時のゲンタマイシン・スポンジはむしろSSIを増やしてしまう。原因不明。

Neuromuscular blockers in early acute respiratory distress syndrome
NEJM 2010 vol. 363 (12) pp. 1107-16

初期ARDSに筋弛緩薬が有効。90日以内死亡率ではcrude mortalityは有意差なしでadjustすると有意差あり?二次アウトカムの評価もやや微妙。

Voriconazole versus amphotericin B for primary therapy of invasive aspergillosis
NEJM 2002 vol. 347 (6) pp. 408-15

IAに何を使うか、というクラシックなスタディー。アウトカムの解釈が問題なんだけど、読み手が不十分だったのでビーコンです。捲土重来に期待。



本日のJクラブ

The efficacy of probiotics in the treatment of irritable bowel syndrome: a systematic review
Gut 2010 vol. 59 (3) pp. 325-32

RCTを18集めた実質的にはメタ分析。製剤の違いをどう払拭するか。日本のスタディは必要。

Lymphatic filariasis and onchocerciasis
Lancet 2010 vol. 376 (9747) pp. 1175-85

フィラリアの成虫をどうすればよいのか悩んでいて、答えを教えてくれるのがこれ。Wolbachiaを殺すのにドキシを使って、あとはイベルメクチンを14年間か、、、、DECはオンコセルカがあると禁忌、、、というのはボードでよく出る質問。

Early versus standard antiretroviral therapy for HIV-infected adults in Haiti
NEJM 2010 vol. 363 (3) pp. 257-65

オープンラベルでの早期ARTの利益を見たスタディー。途上国でもアーリーHAARTが有効


人生相談の意味

 BAKUMANを読み直している。本当、この漫画は燃えてしまう。表現形は全然違うが、かつてのジャンプ漫画の魂がそのまま残っている。たいていは表現形ばかりまねして魂がなくなっちゃうものだが。

 日本の漫画はどんどんおもしろくなっている。昔の漫画もおもしろかったが、いろいろな意味で今の漫画の方が絶対に質が高い。新聞やテレビがつまらない言い訳として、価値観や選択肢の多様化で説明してはいけない根拠の一つだ。彼らは要するに、読者や視聴者を減らしてでも質を確保しようという覚悟がないだけなのだ。BAKUMANには、「分からない読者は分からなくてもよい」という良い意味での覚悟がある。

      
バクマン。 10 (ジャンプコミックス)


バクマン。 10 (ジャンプコミックス)

 先日、ある悩み事について内田樹さんに相談した。僕が家族以外の誰かに人生において誰かに相談するということは極めてまれなことだ。あ、事物のティーチングは別ですよ。例えば薬のことは薬理学のプロに教えを請う。書類の書き方は、書類の書き方に長けた人に頭を下げて、そのまま教えられたやり方をまねる。こういうときは教えられたとおりに忠実にやる。

 

僕の言っているのは人生相談の話だ。

 他人に相談して何かよいアイディアが出る、というのは幻想に過ぎない。だから、心の底では僕はワークショップなんかの価値はほとんどなく、自分一人で考えた方がずっと効率がよいと思っている(身も蓋もないけど)。

 ほとんどの人は現在の価値、今の価値、そして「自分の立場」でしかものを考えない。未来の価値、自分以外の立場も俯瞰してものを語ることができる人は極めて希有なことだ。しかし、たいてい決断に困ったときは未来について決断するときだ。そのとき、「俺の経験では」と言われても従来型のアイディアしか生まれてこないのである。もちろん、「俺の意見」が有用だったことはあるが、それは偶然そうだったのであって、他人のアドバイスを聞くことが何かの成果を保証することはない。

 対談は楽しい。あれは「俺の立場」「俺の意見」を素直に聞く場所だから。他者の言葉を他者の言葉として聞くところだから。「俺はそうは思わない」なんて野暮なことは対談では言わない。むしろ僕の持てない見解や知識や経験、「他者」を体感するのが対談の醍醐味だからだ。したがって、これは人生相談とは別のものである(結果的に影響を受けることはもちろんあるけど、それを「目的」としてはいけないのだ)。

 だから、逆に学生とか研修医に人生相談されても困ってしまう。「自分で決めるしかないよ。俺の経験は他人に役に立つとは限らない」と思ってしまう。それでは不親切なので、なんとなくお茶を濁したことは言うが、お茶を濁す程度の意味しかない。「俺はこうしてきた」とは言えるが、「おまえはこうするべきだ」とは言えない。「俺はこうしてきた」は「おまえがどうするべきか」について何の意味も与えない。そう僕は思う。まねだけはしない方がよいと思うけれど。

 それでもまれに、家族以外に相談したくなるほど壁にぶち当たることがあるのですね。内田さんはこれ以上ない、適切なアドバイスをくださいました。見ている方向が余人と全然違うのですね。

享楽の金曜日

 ずっとずっと忙しくストレスフルな毎日だったが、ようやくここ数日ゆったりしてきた。移動中、シカゴIDボードレビューを観る。最後に観たのが1999年のだったかな。レプトスピラは肺胞出血が多いなど、新しい情報を得て知識をリファインしていく。高いけれど、実際に行くよりは安上がりである。iphoneがあると気軽に移動中に見れるので便利。とにかく大量にあるので、いつになったら完遂できるのやら。

 勉強ばかりしていると疲れるので、移動したり家事をしながら落語。圓歌の「品川心中」、金馬の「藪入り」、可楽の「今戸焼、扇橋の「ねずみ」、圓生の「八五郎出世」をここ2週間ばかりで見る。この金馬の「藪入り」は本当に傑作中の傑作。

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 日本対アルゼンチンは日本の見事な勝利。ザッケローニ監督のデビュー戦は上出来だった。もちろん、相手のコンディション不足もあるが、かといってやる気が全然なかったわけでもない。アルゼンチンもチームの立て直しや監督問題で必死であり、決して手を抜いて良い試合ではない。アルゼンチンとはこれまで何度も対戦している。1992年、学生時代に友人宅で見て以来、WCも含めてずっと負け続けていた。負けが込むと人間が安く、低くなるし、負け癖がつく。負け癖がつくと、勝てる試合も勝てなくなる。こういう勝利体験は今後大きな意味を持ってくるだろう。ちなみに、アルゼンチンと言えばマラドーナだが、以下のドキュメンタリーはおもしろい。監督はクストリッツア。ジョージ・ベストとは違う反逆児マラドーナのイコンとして、アンチ・アメリカン、アンチ・イングリッシュの姿がよく分かる。

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 来週は東アジアン・ダービーの韓国戦である。相手も絶対に勝ちにくるだろうし、こちらもこないだホームで惨めにバカ負けした借りがある。ここで勝たないと岡田ジャパンの負の遺産が全部精算できない。絶対に勝つべし。

http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00101836.html

 ふとチャンネルをまわす(僕の世代はチャンネルを「まわす」が通じる最後の世代だ)と、「ルパン三世カリオストロの城」をやっている。金曜ロードショーってまだやっていたんだ。水野春郎で子どもの頃よく見たなあ(コロンボも)。あのころはテレビを観るのがとても楽しかった。今観るとカリ城もとても動画の質が悪い。しかし、この映画はそれを差し引いても傑作中の傑作である。僕の中では「カサブランカ」、「第三の男」、「用心棒」と並んでマイエバーベスト10に必ずランクインする。映画はやはりおもしろくなければ。

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昨日の診断学のレクチャーと本日のMGH

初期研修医と学生向けの診断学のレクチャーはこれがネタ。痛みを訴える患者の鑑別のアプローチを学んだ。


本日はO先生のケースプレゼン。教育的でした。ただ、徳田安春先生もご指摘でしたが呼吸数が記載されていなかったり、絨毯爆撃的に無駄な検査が多かったりで、MGHの基準から考えると、、、という気もした。

負けに不思議の負けなし

ワインエキスパートの試験というのを受けていたのだが、二次の口頭試問・デギュスタシオンが不合格。自己採点でギリギリの状態だったのでどきどきしていたので、ものすごくがっかりで平常心を保つのが困難なくらいだった。

ギリギリで失敗する心の負担は大きい。ドーハの悲劇を思い出す(大げさな)。

試験に失敗することは意外に(自分で言うな)多く、今までもUSMLEステップ2とか、ファイナンシャルプラナーの学科とか一度失敗している。今年はスペイン語検定に落ちていて、これで二つ目だ。連敗というのがいかに心の負担になるかどうかが分かる。負けが込むと人間そのものが落ち目になる(ような心持ちがする)。

しかし、「ドーハの悲劇」や「85年の国立の悲劇」が今冷静に見直してみると悲劇でも何でもなく、「必然的な負け」であったのと同様、負けるときはきっちり理由があるものだ。むしろまぐれで「ギリギリ」っぽくなっていたに過ぎない。今回勉強してみてつくづく思ったのは、ワインの世界は広大で、自分はそのことについてなにも分かっていないということだった。学科は6月から、テイスティングは1ヶ月程度の勉強だったが、片手間でなんとかなるほど甘い業界ではないのに片手間に勉強していれば、当然こうなる。この無能感を徹底的に体感できるのが異種格闘技戦のよいところだ。それと、独学というのがいかに困難な道であるかも、よく理解できた。

「やられたらやり返す」性格なので、来年までの1年間この広い世界をもう一度深く勉強しなおすことにしよう。今度はやっつけ仕事ではなく、ゆっくりと深く勉強したい、、、けどやることいっぱいあるから、それは無理か。

そういえば、その前に感染症専門医の更新試験が11年4月にあるのでこっちもやらないといけない。試験は年2つが限界だ(と3つも受けた今年強く思った)。来年は1年間語学の試験は封印だ。

アメリカの専門医試験の更新も、最近便利になって日本でも受験できるようになってとても助かる。ログインに問題があってパスワードを再発行してもらう。そしたら電話で、こんな風に説明された。

「ロバートのR,ジャイアンのG」

苦あれば楽ありである。

久しぶりの本日のJクラブ

夏休みだったので8月9月はジャーナルクラブはお休みしていた。で、再開したのだが、おそろしいくらい研修医は論文が読めなくなっている。普通、プロなら「オフ」の期間でも自主トレくらいするものだ。まだまだ甘い。

Sepsis in General Surgery Arch Surg 2010;145:695-

一般外科手術後の敗血症についての後ろ向きのスタディー。血培陽性で敗血症、臓器障害があればseptic shockと定義。36万人を調べて8350人に敗血症。2.3%。ショックは5977人。1.6%。比較の仕方がいちいちおかしな論文。緊急手術の場合は敗血症は多いが、オペ時に敗血症があったかは不明。30日死亡率は敗血症なしで1%、敗血症で5.4%、敗血症性ショックは33.7%、PEで9.1%、MIで32%。PEやMIよりも敗血症性ショック(この場合は臓器障害を伴う敗血症の意味だが)のほうが怖い、、、と結論づけてよいかは交絡因子が多すぎて不明。

A Phase III equivalence trial of azithromycin versus benzathine penicillin for treatment of early syphilis. JID 2010;201:1729-

外来でペニシリンが使えないときに梅毒に何を使うかは悩みどころ。HIV陰性の早期梅毒が対象。6ヶ月後のRPR4倍以下が治癒の定義。アジスロマイシン非劣性。

One hundred and twelve infected arthroplasties treated with “DAIR” (debridement, antibiotics and implant retention): antibiotic duration and outcome

人工関節感染の治療について112人を後ろ向きにレビュー。点滴抗菌薬は4週くらい。内服はだいたい12ヶ月。平均2.3年フォローして18%治療失敗。リスクを高めるのは関節鏡(オープン・サージェリーの方がよい)、黄色ぶ菌、人口関節置換を繰り返した場合がリスク。4ヶ月以内に経口抗菌薬とめるとよくない。4週間以上点滴、、、というのは必要ないかも。

ケニアの感想(岩手医大学生・後藤さん)

岩手医大4年の後藤志保里さんのケニア体験記です。許可を得てここに掲載しますね。

 今回学生としてILFARの活動に参加させていただきました。きっかけはすごく単純で、稲田先生が岩手医大に講演にいらっしゃったときに話を聞き、とても興味を持ったのが始まりでした。私が先生に声をかけて、学生としての参加を企画していただけ、実現したことであり、半年前からかなり楽しみにしていました。参加を終えた今考えてみると、何に一番興味を魅かれていたかはよく覚えていません。ただ、中心部から見るスラムの写真と、子供の笑顔を実際に見てみたい、無料診療とはどういったところでやるのか、ということを自分の眼で確かめたかっただけだった気がします。いざ行ってみて、想像以上に楽しめました。ですが反面見たくはない現実を知ることにもなりました。

 私は毎日簡易薬局で薬を詰める作業の手伝いをしていました。診察の終わった患者さんが処方箋を持って来るので、それを言われた通りに詰めて、現地のボランティアの人に渡し、飲み方を説明してもらうというものでした。薬といっても山のようにあるものではなく、種類も数も限られています。今回も含め先生方が少しずつ運んできて集めた薬でもあります。これらはこのキャンプの成果や活動報告を通じて、製薬会社からの寄付を募り無償提供されたものです。私たちが当たり前のように手にしている薬も、先生方の努力があって現地の人が手に入れることができているなんて、考えたこともありませんでした。今回初めてだったようですが、現地で生活している日本人の女の子も興味を持って手伝ってくれました。その子はスワヒリ語を学びたく、大学を休学して現地に1年ほど生活すると決め、半年ほど生活しています。とても流暢にスワヒリ語を話し、現地の人ともとても仲良くなっていました。私は英語しか話せず、それでもまったく何も話せないよりは良いのですが、やはり自分の国の言葉を話してもらえるといのは特別なことであるせいか、距離もあっという間に縮まり、その姿を見ていてとてもうらやましくなりました。

 薬局というのは四六時中忙しいわけではなく、たまにふとした時間が空くので、その時には現地の人との触れあえる時間があるのですが、次に参加する機会があったらぜひとも少しでもスワヒリ語を練習して話せるようになってみたいと思います。今回の研修を通してこのような現地の人たちとの交流をするのは、ちょっと旅行に出かけたぐらいではできない、貴重な体験だと思っています。この交流というのは現地の患者さんだけではなく、ボランティアの方々とについても言えることです。

 現地のボランティアをしてくれているのはHIV陽性の方も多く、後は自分の日ごろの仕事を休んでやってくれています。お小遣い程度のお給料は出ます。そこで現地の人の知恵、スラムの人たちが毎日必死に生きていることを感じます。毎日出欠の確認を取るのが3日目からの私の仕事の一つだったのですが、スラムの人たちはとても結束が強く、きちんと顔を見て確認しないと、仲間をいたこととして申告してしまうそうです。初日は全然名前も覚えられなくて、読み方もわからなくて、半信半疑でした。ですがその作業を通して、みんなの顔と名前を覚えることができ、そうなると自然と相手も打ち解けてきてくれ、話しかけてくれるようになりました。一回軽く自己紹介をしてしまうと、もう一度名前を聞くというのは勇気のいることであり、ケニアと日本の名前は違いすぎてお互いに違いすぎるため、なかなか覚えられませんでした。日本でもごくごく当たり前の名前を聞く、聞かれるということですが、現地の人に改めて名前を聞かれるということがあれほどまでに嬉しいとは思ってもいませんでした。“一人の日本人ボランティア”から、“私”を認識してくれようとした瞬間だったと思います。覚えられなくても、覚えられても、覚えてくれようとしたことがたまらなく嬉しかったです。その時から格段に話すことが楽しくなり、一日一日が貴重で、帰る日が近づいていくのが寂しく感じるようになってきました。最終日にはスクラブにサインやメッセージを書いてもらったり、写真を撮ってもらったりしました。メッセージなんて書く習慣がないためか、何を書けば良いかを悩み、I enjoy working with youや、I love you so much. Do you love me? などと書いてくれました。写真を撮るときも、記念に一枚という程度の社交辞令で撮ってくれた写真に写った顔と、私が仲良くなった人と撮った顔。あんなにくったくのない笑顔を私に向けてくれるようになるなんて思いもよらなかったです。

 私は写真がとても好きで、何枚も撮ったのですが、風景ではなく人を撮る良さのようなものが初めてわかりました。生き物は表情豊かで、見せる顔は撮影者次第なのだと。撮られ慣れている人懐っこい子はポージングまでしてくれます。この子たちが大きくなるにつれて、またHIVに直面するかもしれなくなるなどということは考えたくはありません。そのぐらい、警戒心なく、明るいかわいらしい笑顔を見せてくれるのです。

 HIVの診療所の下では親をなくした子供のために、昼食のみILFARで供給するということもしています。みんな血縁者の元で暮らしてはいるものの、そのおじ、おばにも養わなくてはならない家族がいて、よその子供にご飯を与える余裕も無いのです。そこで、ここに1日1回のご飯を食べに来ていると言っていました。そのため、キャンプのたびにやってくる私たちを含めた外国人には慣れているといいます。写真も撮られ慣れているようですが、そんな過酷な環境で私たちに笑顔を振りまいてくれるあの子たちは、何を考えているのか、私たちを誰だと思っているのか、少しは良い思い出として感じてくれているのか、私たちは何て恵まれて生活しているのだろうと考えさせられました。その子たちを含めたスラムの子供たちは、親に利用されていることもままあるそうです。

 薬局にいたときの話ですが、とても可愛い子に出会いました。ニコニコしていて人懐っこくて、あっという間に仲良くなりました。母親が小児科、内科、歯科を全部回ってから帰ろうとしたためか、ほぼ一日中いました。

 病院にくる人も全員が全員、具合が悪いわけではなく、悪いふりをしてくる人も多いという話を稲田先生に聞きました。特に頭痛や腰痛といった他人から見たら嘘か本当かわからない訴えに関してはどう判断したら良いか、明確なものはありません。ですが薬を欲しがって必死に訴えをしてくるそうです。みんなすごく欲しがるのは鎮痛剤や胃薬。大人が薬を転売するために、2日間も名前を変えて来るのは生きる術として仕方がない気もします。時として子供がそれに利用されてやってくるのはあまりにも見ていて辛かったです。別の親に連れられて、別の名前を名乗らされて、全く痛みがないのに演技をしているそうです。でも、子供はある意味正直で、会わなかったことにすることや、知らないふりをするなどということはできません。私たちとまたキャッキャと笑って遊んでいるのです。でも、隣にいるお母さんは、前日とは違う人でした。生きるというのは大変なことで、スラムで生きるというのは綺麗なことだけではなくて、私たちには目を背けたくなりことがあることも知りました。私の中でのあの小さい子の二日連続で会った時の笑顔が今でも忘れることができません。

 

これだけしか書かないと、一見みんなが誤魔化しているような聞こえ方ですが、実際は真菌・疥癬感染、咳、風邪、腹痛などの訴えを抱えて来ていました。普段病院にかかれない人にとって、この診療所は期間限定であってもとても貴重で、その印に、ものすごい長蛇の列が毎朝できていました。一日に見る患者さんは200人以上います。私は学生でもあり、薬局をやらなければならなかったため、診察にはほとんど携われなかったので、実際の診察についてはよくわかりませんが、いつかは私も診察できるようになりたいと強く思いました。ここでは地域医療よりさらに田舎での医療を行っているような気がします。検査もできず、薬も豊富にはなく、すべてが先生方の知識と勘に基づき、人とのふれあいを大切にしている、そんな医療なのではないかと感じました。私は地域医療に携わりたいので、そのような先生の姿勢を見ていて、とても心地の良い気分でした。どんなに利用している人がいるかもと思っても、感謝している人が大勢いると思えることが、何年間もこのキャンプを続けられ、またこのキャンプが大勢の先生方に支えられている理由なのではないでしょうか。最初にこのキャンプに参加するまでは、この活動も慈善活動のような、良いことをすることに意味があるような、そんなものかと思っていた気持もないわけではありません。ですが参加してみると、みんな一生懸命に毎日を生きていて、たまたまそれが先進国か、発展途上国かというだけで、こんなにも境遇が違ってしまうのならば、私たちはそれを還元することぐらいできるのではないかと思うようになりました。

 次に実際の設備や検査についても触れておきたいと思います。HIVの検査とは言ってもそんなに立派な検査器具を使うものではなく、簡易キットのようなもので測定をしています。それがいかに正確か、それよりも、何事もその場所に合った検査キットが必要です。このキットだと、検査を受けた次の日に結果がわかるそうです。検査は無料診療の際に希望すれば誰でも受けられます。この方法で行うと、日本でも産婦人科に行けば周りに知られることなく、周りにまぎれて性病の検査が誰にでも受けられるように、周りにばれることなくHIVの検査が受けられます。今回のキャンプを通し、検査を受けた100人以上の中から陽性と出た人は10人ほどで、そのうちの3人のみが新規の受診者で、残りはリピーターということでした。リピーターが全体の受診者の中でもとても多いという印象を受けました。

 女性はこの地域ではとても地位が低く、男性から迫られると拒むことはできません。また、身体を商売道具にしている人も多くいます。男性はどこでどのような関係を持ったか話すわけもなく、女性自身が仮に1人の男性としか関係を持っていなくとも、男性がウイルスを運んでくることもあります。そのため自分がいつ感染したか気が気ではなくて、毎年のように検査を受け、自分が無事か否かを確かめなくてはならないのです。そして陰性であれば今年は大丈夫とほっとし、また来年には不安になる。この繰返しだそうです。女性の検査が陽性であったら、パートナーはどのような反応をとるのか。半数ほどのカップルはきちんと相手も受け止めて、考えてくれるそうです。どんな場所でも治療を続けていくことはとても大変なことでもあり、まして薬の副作用などからも女性としての魅力が失われてしまうことは辛いことだと思います。一夫多妻が許される社会で、半数のカップルが相手の女性のことを考えてあげられるというのは私にとっても意外なほど多くの割合でした。

 フォローアップをしているときには、母体感染してしまった子も来ていたのですが、その子は5歳前からずっとHIVと向かい合わなくてはなりません。稲田先生はそういう子にはおもちゃをあげるなどして、少しでも楽しい思い出を作ってあげたいと言っていましたが、どんなに忙しくても、そういう細やかな配慮ができる人間でありたいと感じました。また、子供は親が連れてこないと診察には来られません。つまり、通うことを拒否してしまうことで、子供は治療されることなく過ごさなくてはならないのです。

 子供だけではなく、大人でも予約を入れていた日に診察にきちんと来ないことは普通のこととして存在します。2人のカウンセラーが、きちんと前日に確認をしても来ないのです。ここではみんなその日に生きていることに一生懸命で、明日の予約などというのは無いに等しいものだと言います。その人たちに治療の大切さを説き、明日の診察に来てもらうというのは想像もできないほど根気のいることではないでしょうか。ILFARで働くスタッフの何人かもHIV陽性だと書きました。稲田先生の配慮から、陽性者をあえてスタッフとしてカウンセラーやスワヒリ語・英語の通訳士として起用しているとのことです。

 中でもカウンセラーはとても難しい仕事で、CD4などの数値の下降の意味するところ、今後の治療方針、B肝の抗原の意味など、丁寧に誰にでもわかるように、治療に参加してもらえるように説明する必要があります。患者さんはもちろん、この2人のカウンセラーも全くの初心者です。先生はこの二人に満足のいく説明ができるように教えるのに大変苦労なさったと言っていました。スワヒリ語を完全には話せない私たちからすると、スワヒリで少し違ったことを言われても気づけません。また、それをいいことに意も介さないことを指示する人もいると聞きました。そんな中、一番の要の仕事を現地の人に任せるに至ったこと、その人と揺るぎない信頼関係を気付くまでというのは、私たちが考え、一言で言い表せるほど簡単なことではなく、いかにこのシステムを構築するまでに努力を要したかを考えさせられる点でもあります。

 

先生の数々の話を聞いていて、全くの異文化での信頼関係構築をすることの難しさ、裏切りを生きる術ととらえなくてはならない複雑な側面などを教えられた気がします。どんなに人が好きで救いたいと思うとは言え、耐えきれないほどの裏切りも多い社会では本当に何を信じたら良いかよくわからなくなります。それでも彼らを救いたい、私もいつかは診療がしてみたいと思わせられるのですから人間とは不思議なものです。

 

余談ではありますが、フリータイムをいただき、1日サファリと買い物に行きました。この5日間のキャンプが予想以上に印象的で、最初はすごく楽しみだったサファリも、今思うとあまりぱっとせず、今でも何を見ていたのか、夢だったのかという感覚です。買い物に関しても、思い出としては残りますが、いざ帰って広げてみたら、全く心が入っていなかったせいか、ほとんど人にあげるものはなく、母への旅行に行かせてもらったお礼の品ぐらいしかありませんでした。後付けの理由かもしれませんが、一番の楽しみのはずで行ったことが全く魅力的では無く感じるぐらい、私はこのキャンプを楽しんでいたのではないかと思います。人間頭が回らない時=興味があまりない時だと私は思っているので。

 

今回のキャンプで得た知識はあまり多くは無いのかもしれませんが、現地の人だけではなく、今回お世話になった日本からの先生方を含めた人とのつながり、地域医療のさらに根本のようなものを見、感じられたのではないかと思っています。世界中どこに行っても、私は今回感じたことを決して忘れることなく、最低限の医療も受けられないような人々を診てあげられる、そんな医師にないたいと思います。

久しぶりにタミフルの話

勝田先生のブログは本当に有用だが、最近タミフルの効果に対する中国のデータが発表された。BMJである。

http://blog.goo.ne.jp/tabibito12/e/82cf97412a59256fdd71afc3b35ffdc3?fm=rss

ただし、この論文の評価については僕は異なる見解を持っている。

実際の論文はこれ
http://www.bmj.com/content/341/bmj.c4779.full

まず、これは後向き研究なのでバイアスの問題がある。さらに重要なのが、アウトカムが「レントゲンで確認された肺炎像」とウイルス、熱の長さとぱっとしない。このポピュレーションでは誰一人死なず、ICUにも行かず、挿管もされなかった。ようするに皆元気になったのである。ハード・アウトカムとしては、いかにも弱い。

肺炎像は、レントゲンをとらなければ「肺炎」とは認識されない。12%にみられた肺炎像だが、細菌は検出されなかった「ウイルス性肺臓炎」であった。要するに肺炎を見つけても見つけなくても、やることは同じだったのである。

タミフルがウイルスの排出を抑えたり、熱を下げることは「すでに知られた事実」であり、目新しいことではない。

繰り返すが、インフルエンザに「タミフルを出すべきではない」と僕は主張しているわけではない。「どのように、どのインフルエンザに出すのがロジスティックス的にもっとも妥当か」と頭を悩ましているだけである。それは金の問題であり、副作用の問題であり、将来の耐性ウイルスの問題である(さらにいうと、検査の問題でもある)。

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