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五月雨的に

ここのところ考えていたことを次々

・6年生の個別実習発表。海外の留学体験記から、基礎研究の発表、朝から晩まで外科の先生のオペ時の姿を見てかっこいー、と思った感想とか、法律や医療システムに関する考察など多岐にわたってとても興味深かった。幼い発表も考察の未熟も目立ったけど、まあそれはご愛敬。本当に他領域の話っておもしろいです。

・映画館で映画を見るという僥倖を得て若松孝二監督の「キャタピラー」を観る。非常に怖い映画だったがその分、魂に迫るものがあった。以下ネタバレなので未見の方はご注意ください。
 もちろん、この映画は夫婦愛の映画ではない。反戦の映画ともちょっと違うように思う。人間の業みたいなもの、夫婦の関係と世間の関係のずれみたいなつらさが描かれているが、それが目的かというとそれも違うような。腕力で暴力を日本でも中国でもふるっていた男がその因果で手足を失う。腕がなくなると無力となり、妻に軽蔑されるにまでいたる。外では軍神とあがめまつられているのに、うちでは「軍神様」とさげすまれる。様をつけてさげすまれるほど、むごいさげすみ方はない。レイプした中国人のフラッシュバックは罪の意識ではない。むしろ、自分の行いがレイプのレイプ的なものであったことを、自分が「レイプされる」ことによって同期してしまったのだ。最後は自殺してしまうのだが、それは単に世界に絶望したのかもしれなければ、自分に絶望したのかもしれない。裁判にかけられるのを恐怖したのかもしれない。妻の顔はこのとき(象徴的に)とても晴れやかだ。

・僕は人事の時、履歴書を読まない。部下の出身高校など覚えていないことが多いし、最初から問わないことがほとんどだ。
 理由は簡単である。履歴書からは必要な情報が得られないからだ。必要な情報はただ一つ、こいつを雇って俺たちのチームのパフォーマンスが上がるかどうか、研修医ならその人物のパフォーマンスそのものがあがる可能性が十分にあるか、である。つまり、未来への可能性、ただそれだけである。
 過去の業績をみたって未来の予測はできない。過去にどんな人物だったかは興味がない。今と未来だけが大事なのである。
 しかし、日本では「昔の名前で出ている」人は多い。過去の業績だけが判断基準なことが多い。未来を基準にものを考える習慣を持たないからである。
 というわけで、僕は履歴書はさらりと見たふりをして、他に大事なものを注意深く見る(それが何かは企業秘密なので教えない)。しかし、多くの人が履歴書を穴があくようにみて、
「このひとの卒業は1997年の4月ではなく、3月ではないでしょうか」などとどうでもよい突っ込みを入れるのである。
 そんなことはあとでこっそり事務方に言って直してもらうのが大人の態度であり、全会の前で大きな声で言うことではない。電車の中で、「あなたチャックあいてますよ」と大声で指摘するのは、「正しい」が「間違った」態度である。
 どうしてこの国は「白髪の小児」がこんなに多いのだろう。僕より年長者の幼稚性がこの国の大事なところをむしばむこと、本当に大である。

・そのような幼稚性の発露の例に、コンプライアンス遵守過剰依存主義がある。コンプライアンス遵守は手段であり、目的ではない。しかし、過度の形式主義と「他人に揚げ足をとられたくない、批判されたくない」という基準でしか行動を起こせない空気、文脈を読めない無神経さ、そしてビジョンのなさが、この形式主義の末路たるコンプライアンス遵守神話を作ってしまった。それに加担しているのがマスメディアであり、官僚であり、その他大勢の「白髪の小児」である。考え方が、魂がどんどん矮小になっていく。

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

      
「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

著者:郷原 信郎

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)


・「おせっかい教育論」と「街場のマンガ論」を読む。内田本は頻回に出されるのでキャッチアップするのが大変である。しかし、大変おもしろいのでつい読んでしまう。平松大阪市長の言葉をはじめて聞く。興味深い。でも、僕は橋下知事もこっそり好きなので、困っちゃうなあ。どっちも仲良くしてくれるとうれしいが。内田先生、少女マンガ・ゲイマンガならよしむらふみがお奨めです。
 正しい病状詳記は「詳しくて長くてわかりにくいこと」である、と昔教えられた。シンプルで分かりやすい詳記は切られやすい。あれは臨床医が審査医にたてつくときは「このくらい苦労して文章を作らないと俺たちは言うこと聞きませんよ」という「どちらがボスかを誇示するための」手段に過ぎない。でなかったら、何度も同じ病状詳記を書かせる理由が分からない。見せしめなのである。このような品位を欠く態度を取っていくと、どんどん人として落ちていくと思うのだけれども、人間には自ら没落していくことを望んで行う奇妙な性質がときとしてあるのである。同様に、文科省は「長くて詳しい」シラバスを書かせないと承知しない。長くて詳しいシラバスやカリキュラムが教育の質を担保することなど例のないことなのだが。これも形式主義がもたらした教育の没落例である。
 僕は臨床屋で大学のことは全然知らないが、「大阪大学ってだめなところ」という偏見を勝手に抱いていた。たぶん、森嶋通夫の本が父親の本棚に並んでいて、幼少時からあれを読んで育ったせいだろう。でも、鷲田さんが総長をやっておいでと知ってこの偏見はいっきにひっくり返った。うらやましいぞ、大阪大学。

おせっかい教育論

      
おせっかい教育論

著者:鷲田清一,内田樹,釈徹宗,平松邦夫

おせっかい教育論

なぜ日本は行き詰まったか

      
なぜ日本は行き詰まったか

著者:森嶋 通夫

なぜ日本は行き詰まったか

街場のマンガ論

      
街場のマンガ論

著者:内田 樹

街場のマンガ論

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コメント

よし“なが”ふみですよ。

とても魅力的な記事でした。
また遊びにきます。
ありがとうございます。

よし“なが”ふみさんのマンガは、BL(Boys Love)マンガではあるけれど、「ゲイマンガ」とは、ちょっと違うと思う。

よしながふみさんの「西洋骨董洋菓子店」も悪くはないけど、ゲイマンガなら、古いものでは羅川真里茂さんの「ニューヨーク・ニューヨーク 」とか、最近なら、紺野けい子さんの「愛の言霊」とか、富士山ひょうたさんの「純情」などの方が色んな意味で面白い。

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