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他者との対話は最大の学び

機会あって、墨東病院の大西健児先生と中村ふくみ先生に寄生虫疾患について教えを乞う機会を得た。お二人は臨床寄生虫学のキングとクイーン(プリンセス?)である。素晴らしい時間だった。本当、勉強になる。

寄生虫学を勉強するのは難しい。教科書が少ない。しかも古い(なかなか改訂されない)。内容が難しく、臨床的なアプローチが難しい。執筆者が臨床家でないからである。寄生虫学をやっているのが基礎の先生が多いのが問題なのではない。我々臨床家が寄生虫学にコミットしてこなかったのがいけないのである。反省である。

お二人との対話はどんな寄生虫学テキストからの勉強やレクチャーよりも有益だった。ソクラテスの昔から対話とは、最大の勉強方法である。

対話を文字おこしし、これを追体験するのが対談本である。対談本で僕らは自分が門外漢である社会学、宗教学、哲学、脳科学などを勉強する。他領域のジャイアンツと直接対話をする機会は簡単に得られない(今月は、でもそのジャイアンツたちと対談です。やったぜ)。朝日カルチャースクールとかで対談を「傍聴」することも可能だが、時間的、金銭的に制約がある。対談本は容易にそれを可能にする。

僕自身、昔は対談が嫌いだったし、対談本が嫌いだった。なんとなく「しゃんしゃん」で進んでいく対談は欺瞞的に思えたし、対談本は「手抜き本」に見えたからだ。自分の短見、短慮を反省している。よく考えたら、プラトンの著書はみな「対談本」だ。岩波文庫から出ているから、なんとなく高級に見えるだけだ。

プロセスはどうでもよく、できた結果こそが大事なのである。時間をかけて作り上げた油絵が、書道や写真より優れているわけではない。手書きの小説がタイプした小説より優れているとは限らない。20年かけて作った映画の「大作」ががっかりでオオコケなことも珍しくない。もちろん、くだらない対談本はとても多いが、それは対談だからそうなのではなく、そのしゃべっている人がそうだっただけなのである。

そんなわけで、医学の世界でも容易に読めて理解しやすい対談本をもっと作りたい。専門家はともかく、門外漢はそのフィールドに時間やエネルギーを費やせない。簡単に勉強できるほうが良いに決まっている。守備範囲の広いプライマリ・ケア医にはとくに重宝するだろう。

しかし、医学書出版界は恐ろしいほど保守的である。多くの出版社は対談本を「手抜き」だからと認めない。晦渋な内容で読みにくくてわかりにくくて、しばしば間違っている教科書のほうが高級で偉いと勘違いしている。特に歴史の長い出版社ほどプロセスの積み重ねが重厚すぎて、そしてそれに依存しすぎて、「結果」よりも「プロセス」の積み重ねに陥りやすい。どの業界でもそうだが、経験の積み重ねを活かすも殺すも、経験そのものに対するメタ奈認識の有無なのである。経験そのものが自動的に暴走し出すと、ベテランのうまみよりも老害のほうが強くなる。

対談本、もっと作りたいなあ。

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