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想像力の欠如、知性の欠落(朝日新聞の「反論」に思う)

朝のニュースで、障害者の害はイメージの悪い感じだから、常用漢字に取り上げないよう圧力をかけている団体があると知った。常用漢字ではないために、テレビや新聞では「障がい者」となっているのだそうだ。(どうでもよいが、当用漢字と常用漢字の違いが分からなくて辞書で引いたが、やはりよく分からない。当用漢字表に載っているのが当用漢字で、常用漢字表に載っているのが常用漢字というトートロジーだ。その本質的な「意味」に至るとさっぱりである)

やれやれ、と思う

「海辺のカフカ」で「女性としての立場から、日本全国の文化公共施設の設備、使いやすさ、アクセスの公平性などを実地調査している」組織の二人連れの女性が香川県の小さな図書館を訪れる。そしてトイレが男女別でないこと、著者のインデックスが男女別で「男性が先で女性が後」になっていることを難じる。それに抗議する大島さんを「典型的な差別主体としての男性的男性である」と難じる。そして大島さんが実は「女性」であり、さらには男性としてのジェンダーと女性としてのセックスを持ち(性同一障害、村上春樹の表現のまま)、男性に対する同性愛者であると聞いて、口ごもって立ち去る。「典型的な差別主体」である自分自身に自覚的でないままに。

大島さんは言う。
「僕がそれより更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う<うつろな人間たち>だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めてふさいでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。つまり早い話、さっきの二人組のような人間のことだよ」

「ゲイだろうが、レズビアンだろうが、ストレートだろうが、フェミニストだろうが、ファシストの豚だろうが、コミュニストだろうが、ハレ・クリシュナだろうが、そんなことはべつにどうだっていい。どんな旗を揚げていようが、僕はまったくかまいはしない。僕が我慢できないのはそういううつろな連中なんだ」

「想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこには救いはない」

村上春樹同様、形式的には「間違っていない」ことをよりどころに根本的に間違っていることに無自覚な想像力の欠如、狭量さ、非寛容さを僕も嫌う。たとえば、がんワクチンにおける朝日新聞の報道だ。朝日新聞は新聞取材上のルールを守り、「有害事象」という言葉の意味を正しく使っているという根拠で自らの正しさを主張する。あたかもそれは、「障害者と書かずに、ちゃーんと障がい者と書いていますよ。私たちには何の落ち度もありませんよ」と主張するかのようだ。手続き上の表面上のルールはちゃんと守っていますよ。その辺は頭の良いプルーフリーディングのできる編集委員がちゃんと目を光らせていますよ。現場の記者の活きた記事だって我々がこのようにきちんと料理して政治的に正しい文章に直してあげますよ。コンプライアンスの遵守にかけては我々はプロなのです。素人の出る幕ではないんだよ、、、という声が聞こえてきそうである。

この問題の本質は、まっとうに患者のために医療に従事しようと努める医療者のまっとうな医療・研究行為を手続き上の揚げ足取りから読者が800万人にちょっと足りない「新聞の一面」にあげて難じるというプロとしてのディーセンシーのなさである。結婚式のスピーチで散々、新郎新婦を愚弄しておいて、「いえいえ、全然忌み言葉は使いませんでしたよ」と言い訳するようなものだ。

なんたる想像力の欠如、なんという知性の欠落であろう。

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コメント

おはようございます。
当直だったのに、朝のニュースはみて(きいて)いませんが・・・、
「障碍」は「碍」の字がむずかしい(当用漢字表にも常用漢字表にものってない)から「障害」になってるんだ、と勝手思い込んでました。

問題になった医科研の論文そのものをお読みになっておられますか?

臨床試験に参加する患者は、自分のデータが研究者たちに共有され、生かしてもらえると信じて、あまり効かないであろうことも覚悟のうえで臨床試験に参加しているのですよ。

類似した私見を行っているキャプティベーション・ネットワークレベルまで、情報を共有するのは当然のことのように思えますし、それを、「しなくていいのだ」と言い切ってしまう医科研や、それに追随する医療者のグループ、学会の動向には、その内容に多くの「うそ」が含まれていることや、あまりに上から目線であることも含め、時計の針が30年逆回りしたようで、うんざりしています。

朝日の記事に問題があるのはまちがいのないところですが、だからといって、医科研の研究のやり方が、「まっとうに患者のために医療に従事しようと努める医療者のまっとうな医療・研究行為」とは到底思えません。

論文を実際に読んでみるまでは、半信半疑でしたが、論文を読んでみて、それを、治療ではなくトライアルという文脈においてみて科学という目で判断し、また、タイムラインを整理してみましたが、医科研のこの件での研究の進め方・発表の仕方や医科研の擁護者たちの立論には、問題が多いと思います。

仮に、「まっとうに患者のために医療に従事しようと努め」ていたとしても、「まっとうな医療・研究行為」とは、私には、到底思えませんでした。

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