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2010年12月

ホメオパシー論争に関するRonzaの記事(推奨)

久保田裕さんの記事である。とてもよくできている。なぜ、よくできていると思うかというと、

1.署名記事である。
2.始めに結論ありきではなく、両論併記している。レメディーが危険、みたいな安易な(そして間違った)ホメオパシー「たたき」になっていない。
3.データの信頼度について価値判断をしている(ここにこんなデータがあると吟味もせずに投げ込んでいない)。
4.成功体験は当てにならないことを看破している。
5.情報が「言っていること」ではなく、情報が「示唆していること」をきちんと分析している。
6.断定口調ではなく、長い考察となっている(これは紙ベースの新聞では困難な方法)。
7.謝罪している(すばらしい!)。

是非読んでみてください。
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2010122800018.html

日本のジャーナリズムもまだ捨てたもんじゃないですね。朝日新聞社も立派な記者さんはたくさんいます。なのにーなーぜー(古い)。

HPVワクチン接種によりSLEになるか?因果関係と前後関係

Jeanさんよりコメントをいただきました。通常、僕は個人的な医療問題についてブログでお話することはありません(うまくいかないことが多いからです)。しかし、このお話は一般的な問題を含んでいるので、あえてここでお話します。

いただいたご質問は、

「子宮頸癌ワクチン摂取を契機にSLEを発症した女の子がいました。まれなケースでしょうけど。アジュバントとかが影響するのでしょうか」

でした。結論から申し上げると、

そのワクチン(アジュバント含む)がSLEの原因ではないと思います。少なくともその可能性は低いです。

では、その理由を説明します。

ワクチンを打った後、いろいろな病気にかかる人がいます。SLEのような自己免疫疾患というグループの病気になる人も知られています。いわゆる子宮頸癌ワクチンを打った後で、スティル病とか、ITPと呼ばれる自己免疫疾患になったという報告も出ています。

ワクチンを打った後病気になったりすることを「有害事象」と呼んでいます。問題は「有害事象」と「副作用」は同じではないということです。有害事象はワクチンを打った「後で」起きた病気(など)、副作用はワクチンを打った「から」起きた病気(など)を意味します。難しい言葉を使うと、前者は前後関係、後者は因果関係を表しています。

前後関係と、因果関係は違うものです。ここは大切な点です。

おもちを焼く。おもちがぷくーっと膨れる。これは因果関係です。おもちを焼いた「から」おもちはふくれたのです。そして、おもちを焼かなければおもちはふくれません。

おもちを焼く。郵便配達さんが年賀状を届けてくれる。これは前後関係です。おもちを焼いた「後で」年賀状が届いたのであって、おもちを焼いた「から」年賀状が届いたのではありません。仮におもちを焼かずにあんパンを食べていても年賀状は届いたのです。

前後関係と因果関係の違い、おわかりいただけたでしょうか。

さて、「子宮頸癌」ワクチンを打ったあとでSLEになった人のことは報告されています。が、おそらくそれはワクチンを打ったあとにSLEを発症した、つまり「前後関係」であり「因果関係」ではなさそうだと考えられています。どうしてそういうことが言えるのかというと、このワクチンを打った後でSLEになった人と、プラセボ(ワクチンに見せかけた偽ワクチン)を打った後でSLEになった人の数を比べてみたら、違いがなかったからです。英語ですけど、そういう論文が出ています。この論文でHPVと書いてあるのが「子宮頸癌ワクチン」のことです。

http://qbit.cc/blog/wp-content/uploads/2009/09/oil-adjuvant-safety-GSK.pdf

因果関係と前後関係はとても間違えやすいのです。僕たちはしばしば起こったことに「因果」を見つけようとします。ワクチンを打った後こんな病気になった、、、、という事例はたくさんありますが、その多くは「前後関係」でした。でも、親御さんにとって(あるいは本人にとって)はとてもショックな出来事なので、「これはワクチンのせい」とどうしても考えたくなってしまうのです。

さて、僕は先に

そのワクチン(アジュバント含む)がSLEの原因ではないと思います。少なくともその可能性は低いです。

と書きました。なんか歯に物のはさまったようなあいまいな言い方ですね。

というのは、副作用って難しいんです。今は分からなかったことが科学が進歩すると分かることがあります。今現在の科学では「子宮頸癌ワクチン」が原因でSLEになったりしないと僕は思いますが、「絶対に」ならないとは限りません。将来科学が進歩したら、そういう発見が起きるかもしれません。だから、僕は「可能性は低い」という腰がひけたような言い方しか出来ないんです。

さて、できるだけ簡単にご説明したつもりでしたが、ずいぶんとくどくどした、うっとうしい、回りくどい説明になりましたね。申し訳ありません。でも、医学について語るとき、僕らはこのような形でしか語ることが出来ないんです。

医学とか教育学とか、こうした複雑な人についての学問は、数学とか物理学みたいにクリアカットでないことが多いのです。分かりづらいのです。説明しづらいのです。どうがんばっても、そうなってしまいます。正しく伝えようとすればするほど、回りくどい言い方になってしまいます。

逆に言うと、新聞とかテレビで流されている医学の情報はとても分かりやすいですよね。「○○を飲むと健康になれる」とか「こうすれば癌にならない」とか、「このワクチンで副作用が多発した」みたいな断言的な口調です。

断言的な口調には要注意です。断言できっこないことを断言しているからです。残念ながら、テレビ番組の医学情報はほとんどでたらめか、おおげさか、まぎらわしい情報で、正確なところが伝わる番組はごくわずかです。医学における新聞記事もほとんどがでたらめか、おおげさか、まぎらわしいです。本屋さんに行って「健康、医療」のコーナーに行くとき、「癌にならないためのなんとか」みたいな本も、ほとんどでたらめか、、、、以下同文です。信じがたい話かもしれませんが、そうなのです。

テレビや新聞の人たちが、自分たちの語り口を変えようと自ら変わろうとしない限り(僕はそれ以外にテレビや新聞が生き残る道はないと思っていますが)、少なくとも医学に関する限り、もしJeanさんが正しい情報を得たいと思うのなら、テレビでみのもんたさんたちがしゃべっていることも、新聞の社説や記事で書かれていることも、いっさい当てにしないほうが、うまくいく可能性は高いです。

いずれにしても、SLEを発症したその方の治療がうまくいくことをお祈り申し上げます。

大学病院における初期研修医のダウンサイジングを

注・以下に述べる「大学病院」はある特定の大学病院のことで、必ずしも全ての大学病院に当てはまるわけではありません。「うちはそんなことないよ」という方は、さらっとスルーしてください。あと、ここに出てくる「50代、60代」も全ての50代、60代に当てはまると主張しているわけではありません。「俺は違うよ」とおっしゃる方は、やはりさらっとスルーをどうぞ。

研修医のマッチングが終わったとき、必ず話題になるのが、「民間病院」と「大学病院」どっちにたくさん研修医がマッチしたかという話題である。

まったく意味のない比較である。

そもそも両者は病院数が圧倒的に違うのである。比較母体が全く違う中で、両者を比較し、その数の多寡を競う理論的な根拠を教えて欲しい。あれは、民間病院側と、(むしろこちらの方が強いであろう)大学病院側のヘゲモニー争い、「俺の方が勝った」「おまえが負けた」という世界観の表層でしかなく、実質的にはなんの意味もない。

あの「俺が勝っておまえが負けて」という発想は実に昭和的だ。今の50代、60代を支配している(そろそろその世界観から抜けちゃっている賢明な諸氏もおいでですが)メンタリティーである。右肩上がりのメンタリティーである。白髪の小児のメンタリティーである。他者に対する優位という形でしか自己の向上をメジャーできないメンタリティーである。いい加減、研修関係緒会で今年は大学病院と民間病院どっちが勝った、というグラフを示すのはやめませんか、皆さん。

そもそも、数をそろえていればそれでよい、ということにはならない。むしろ大事なのは研修医の質であり、研修の質である。

データを見れば容易に理解できることであるが、質の高い研修を提供していると目される病院はその臨床規模が大学病院クラス(あるいはそれ以上)であっても、採用する研修医数は圧倒的に大学病院より少ないことがほとんどである。

では、大学病院はそのような病院をはるかに上回るような卒後教育上のリソースを持っているか。もちろん、答えはノーだ。質的にも量的にも、大学病院が初期研修医に提供できる教育リソースは、少なくとも良質な民間病院よりも圧倒的に劣る。

大学病院はダウンサイジングをしなければならない。初期研修医の採用数を減らさねばならない。そのリソースに見合っただけの研修医を採用し、彼らにもっと質の高い教育を提供しなければならない。数を稼ぐという「昭和的な」発想はそろそろ捨てるべきだ。

大学病院では指導医が足りないから、医局にスタッフを引き上げる。これが地域医療を荒廃させていると指摘させて久しい。研修医の採用数を減らせば、身の丈にあった教育が提供でき、その分、「引き上げねばならない」スタッフも減る。

もともと、大学病院における研修医は体のいい「雑用係」であった。雑用に教育的な意味があるかという問いはここでは議論しない(何をもって雑用とするかもここでは議論しない)。「教育をさせる」という意図ではなく、「雑用をさせるための人足」として研修医を見なしていたことそのものが問題なのだ。

ダウンサイズした研修医がもたらす「必要なマンパワーの枯渇」は他の医療職(クラークやナースエイドのような)を充填させれば良い。足りない分だけ補うのだから、「研修医がどこまで雑用をするか」という観念的な議論は消失する。指導医の消耗も減る。地域からの引き上げも減る。大学病院が小さなプライドを捨てて、ダウンサイジングという「非昭和的」価値観を受け入れれればよいだけの話だ。そもそも、雑用そのものも減らしていかねばならない。「コンプライアンス」「コンプライアンス」と手続きばかり気にしているとどんどん手続き的負担,burdenが増えていく。しかし、よくよく注意していくと、減らせるもの、減らすべきものはたくさんある。

初期研修医を後期研修医(ニアリーイコール医局員)への予備軍と見なしており、彼らの供給を減らしてはならぬ、という意見もある。しかしこれも物量的、右肩上がり的な昭和の発想である。疲弊し、消耗し、絶望した指導医を目の当たりに見て研修医がその医局の門をたたきたいと思うだろうか(そういうMな人ももちろんいますが)。そして、そのようなクールでニヒルな初期研修医の立ち居振る舞いを見ていて、学生は「ここに残りたい」と希求するだろうか。「数」はすでにチャーム(魅力)ではないのである。

初期研修医に提供すべきは優れた指導医である。活き活きとしたロールモデル、「俺もいつかはこんなになりたい」というロールモデルである。そのモデルを目指してがんばる研修医に学生はあこがれる。屋根瓦とは下方的な教育システムとして認識されがちだが、この「あんなふうになりたい」というあこがれの情は、一種の上方的な屋根瓦である。

「こんなところにはさすがに入りたくない」と学生や研修医に思わせてはだめなのである。

「こんなところ」かどうかは、医療機能評価も、そのエピゴーネンたる臨床研修何たらも教えてはくれない。そこにはメジャラブルな要素は全くなく、そして彼らはメジャラブルなものしか目に留めない。

優れた研修病院は、一歩足を踏み入れただけで、「ああ、ここは研修医にとって幸せな病院だな」と分かる。もちろん、分かる。そのくらいの感性がなくて指導医やってられるか。メジャラブルなものに拘泥するということは、要するに「おれはよい研修も良い研修医も察知する身体能力を持っていません」とカミングアウトするようなものである。異性に惚れるときにスコアリングシステムを使って相手を選ぶバカがどこにいる。

そのような「一歩足を踏み入れただけで分かるよい研修病院」を目指して、毎日どろどろぐずぐず現実のヌカルミをもがくのである。脚は泥水に突っ込んでいるが、決してまなざしを下げてはならないのである。見つめるのは常に夜空の星だからである。

こんなことを「沈む日本を愛せますか?」のダウンサイジングの議論を読んでいて思ったのだった。ああ、そうか。高橋源一郎さんとか内田樹さんとか、60年代のエートスを正当に継承している人たちもいるのだから、テレビの政局や新聞の社説を見て、50代、60代に絶望するのはまだ早いのですね。

多いとはどういうことか(子宮頸癌ワクチン副作用多発?)

よく誤解されるが、大小とか多少という数値評価の概念は主観的なものである。客観的な基準は存在しない。血圧が高いというのも、給料が安いというのも、内閣支持率が低いというのも(ときには下がったというのも)すべて主観的な判断である。だから、僕は新聞記者さんたちに「多いというなら、何をもって多いのか根拠を示してください」とお願いする。この問いに答えられるマスメディアのジャーナリストは、僕の知る限り希有である。そもそも、「根拠を示してください」という問いそのものに慣れていないように見受けられる。

我々は数字を使うと客観的で主観の入っていない言説をしているような錯覚に襲われる。

12月28日、読売新聞の記事、見出しは「子宮頸癌ワクチンで副作用、多発」である。

(引用)
 子宮頸(けい)がんワクチンの副作用として、気を失う例の多いことが、厚生労働省の調査でわかった。

(中略)昨年12月以降、推計40万人が接種を受けた が、10月末現在の副作用の報告は81人。最も多いのが失神・意識消失の21件で、失神寸前の状態になった例も2件あった。その他は発熱(11件)、注射 した部分の痛み(9件)、頭痛(7件)などだった。(引用終わり)

さて、「多発」、つまり発生が多いというからには、「多い」とはどのくらいのことか、と定義しなければならない。40万中の81は「多い」のか?多いというからには、何を根拠にそういうのか?「他のワクチンと比べて」そうなのか?その利益を凌駕するくらい多いのか?と考えるのが普通である。

もちろん、言い訳はできる。「頭痛や発熱よりは多かったじゃないですか」というのである。その小学生的な屁理屈を百マンボ譲って認めたとしても、「多発」というのは絶対的な言説であるから、どちらにしても見出しの正当性は担保されない。例えば、「読売新聞で「誤植」が多発」と言ったとして、「いやいや、捏造やデマや誤情報よりは多いでしょう」と言い訳したら、とてもいやな顔をするに決まっている(もちろん、僕はそんなイヤラシイことは言いません)。

もちろん、これは定型的な新聞記事である。このように書きなさいと先輩に教えられたプロトコル通りの記事であり、「コンプライアンス上は」なんの問題もない。手続き的には「正しい」記事である。これは新聞記事だけでなく、医療でも教育でも何にでも応用できるけど、「手続き的には間違ったことをしていません」という言説が、いかに人の知性を劣化させるかの証左なのである。

集中治療室における尿量 ケース・コントロール・スタディー(笑)

CHRISTMAS 2010: THE LIVES OF DOCTORS
Urine output on an intensive care unit: case-control study
BMJ 2010;341:c6761

P 集中治療室で働く研修医
E 研修医であること?
C 集中治療室の患者
O 尿量

医師の方が乏尿になりやすい(OR 1.99 CI 1.08-3.68, p=0.03)
死亡率は驚くほど低い(0%、0-18%)
委員会は安全性の観点からこの試験を途中で中断することを決定。

limitations: インを見ていない。カフェイン摂取も不明。

ポイント
1.研修医の尿量を計測したのはナース
2.一人の研修医は試験参加を拒否した

議論
なぜ、乏尿の研修医の死亡率が驚くほど少なかったかについて大まじめな議論が展開されている。

結論。患者の尿量をマネジするより自分の尿量をマネジするほうが大変。

ほんと、馬鹿馬鹿しいスタディーのほうが臨床試験のデザインの本質が分かる。

日本の医療者も顔しかめてばかりいないで、たまにはこのくらい楽しいことをしましょう。

低容量アスピリンが便潜血(免疫化学法)にもたらす影響

Low-Dose Aspirin Use and Performance of Immunochemical Fecal Occult Blood Tests
JAMA. 2010;304(22):2513-2520

低容量アスピリン使用者か否かで大腸内視鏡で癌を見つけて、便潜血の感度、特異度。アスピリン飲んでいると感度は上がり、特異度は変わらず。NPVは96%。PPVも変わらず(!)。とても興味深い。内視鏡前にアスピリンを止めなくてもよい、、、か(消化器内科医の間でも異論ありらしい)?

CDI(CDAD)のリスクと死亡の関係

The Effect of Hospital-Acquired Clostridium difficile Infection on In-Hospital Mortality
Arch Intern Med. 2010;170(20):1804-1810

統計・疫学の専門家がやるととても手の込んだデータになりますねえ。層別して、絶対リスク差はリスクが増すと増し、相対リスクはリスクが増すと減る(が確度が上がる)というのは面白い。同じ論文でCDIとCDAD(図のとこだけ)の用語が混在しているのも、作成過程が想像できて面白い。

他者の言葉を受け止める その2

では、反乱する情報の洪水の中で、いろいろな人がいろいろなことを言い、そのうえ「誰が」(どのようなバックグラウンドでどのようなコンテクストで)ものを言っているのか分からない場合、何を判断のよりどころにすべきか。

熟練したドクターに不明熱のDVDを面白かったよ、と言われると、ああこれは作って良かったなあ、と心から思う。ターゲット・オーディエンスにきっちりメッセージが届いたからだ。

感染症の教科書なんて一回も開いたことがないけど、BSLで回るから、とりあえず先生の「マンガ」だけ読んできました。分かりやすかっす。といわれるとこれも嬉しい。あなたのために、この本は書いたんだよ。

小学生が「頭が毒入りリンゴになったわかものと王国の話」を一気に読んで「面白かった。これ、また食べたら頭がリンゴになるの?」とか言われると本当に嬉しくなる。このコメント一つで、絵本のプロが「これ、子どもに意味分かるかなあ」とか「批評」されても全然気にならなくなる。意味なんて分からなくたっていいんだよ。

ターゲット・オーディエンス。この概念を「ヒョウロンカ」は忘れがちである。ついつい「自分の目線」で「自分の立場」で「自分の価値観」で語ってしまう。ターゲット・オーディエンスからのフィードバックは(ポジティブであれネガティブであれ)大変役に立つ。

コメントで教えていただいた大矢博子さんのKAGEROU評は、そういう意味では希有な「だれにとっての」という視点をきちんともったものだった。

http://www.namamono.com/blog/files/101216.html

今、竹中平蔵さんの「経済古典は役に立つ」を読んでいる。実に面白い。森嶋通夫ファンなので、久しぶりにアダム・スミス、マルサス、リカード、マルクスなどを振り返ってよいエクササイズになった。

内田樹さんにせよ、竹中さんにせよ(そして僭越ながら僕もそれを目指しているのだが)、歴史を「その時の目線」「その時の立場」で追体験しながら論じている。「今の目線」で「後付けの説明」を決してしない。アダム・スミスはなぜ当時「見えざる手」と言ったのか、とても分かりやすく理解できた。

竹中さんはケインジアンか否か、という「分類」による「立場」作りを批判する。政権内にいたときずいぶん苦労されたのだろう。言われるように(医師にも評判悪いが)竹中さんは政府はなんでもかんでも小さければよいと考えていたのではなさそうだ。そのような「小さい政府」vs「大きい政府」的な物語の切り方は多くの人が、そしてマスメディアが好んで使う話法だが、それでは問題は分からない。もちろん、予防接種もそうだ。

それにしても、思うに経済の古典を書く人って語り口が徹底的に演繹法である。こうなるからこうなるはずである、という話法である。そして初期入力値や予測の枠外にあった「不測の出来事」が未来に起きるために予測は外れるのであった。経済学、教育学、そして医学も演繹法的論法(だけ)では限界があるのだ。

他者の言葉をどう受け止めるか

 KAGEROUという本がAMAZONなどでものすごい批判を浴びているらしい。今日、本屋で手に取ったが強く食指を動かされなかったので購入しなかった。無論、読んでいるわけではないので「だめだ」と思ったわけでもない。

 面白いもので、本というのは読んだ後に初めてその評価が出来るわけで、買うときはその評価がないままに買うのである。無論、昔読んで読み返したくなって、、なんていうときもあるが。他人の評判、書評、直感を当てにしたり、ファンの新刊を買ったりするが基本的には「賭け」である。賭けである以上、百戦百勝というわけにはいかず(そういうのは賭けとは呼べない)、ときどき「はずれ」もある。学生の時にはもったいないからそれでもがんばって読むが、今はさらっとあきらめる。外れを恐れていては本などは買えない。

 新書など実用書なら本屋でぱらぱらめくれば大体「あたり」をつかめるが、小説ではそうは行かない。事実、KAGEROUもぱらぱらしたが、その時点でこれが良い小説かそうでないかは分かりようがなかった。

 AMAZONなどのコメントは愚にも付かないものが多い。匿名コメントの特徴である(もちろん、すべての匿名コメントがそうというわけではない。「特徴」とはその全てを網羅する必要はないのだ。「男ががさつだ」というのは男の特徴をよく言い表しているが、100%そうであるわけではなく、そこで揚げ足を取るのは単に小児的な態度である)。

 例えばそのなかに、「字数が少ないからけしからん」というものがある。実は、プロの出版者でも「字数の多さ」や「手間ひまの掛け方」で本を評価する向きがある。しかし、字数が多ければよいのなら、電話帳か何か買えばよいのである。O・ヘンリーよりはプルーストの方が圧倒的によいということになる(もちろん、そう考える人もたくさんいるでしょうね)。しかし、プルーストの小説がたとえ20世紀最大の作品であろうと、AMAZONを利用する大多数の読者はあの小説を読破できないだろう。表向きはどう言うかわからないが、心の底ではあの「失われた、、、」を「つまらない」と感じているはずだ。僕が大学生だったときそう感じたように。

 この数週間、チャンドラーの「リトル・シスター」(村上訳)、「百年の孤独」、「ねじまき鳥クロニクル」の1,2巻を読む。どれも偉大な小説だ。とても面白い。しかし、リトル・シスターは所見ではここまで細かくその良さが分からなかったし(最初は英語で読んだ)、賭けてもいいが(こんなところで賭けても仕方ないけど)5年前に「百年の孤独」を読んでも僕には何が面白いのかさっぱり理解できなかっただろう。「ねじまき鳥」に至っては、俺は何を読んでいたのかと思うくらい初見では何も何も理解していなかった。2010年の今再びこの小説を読んで、心を振り回され、魂を鷲掴みにされ、苦痛に顔がゆがみ、また涙が出る。本当にすごい小説である。本当にすごい小説である、と感じるのに僕は40年近くも無駄に生きていなければいけなかったのである。

 発表時点で、「他者」が何を言っているのか、それがほんとうにあてになるのだろうか。ストラビンスキーの「春の祭典」の初演のように。村上春樹だって30過ぎるまでは小説が書けず、その書いた最初の二作も著者本人には不満の残るものであった。KAGEROUが今後どのように評価されるのかは読んでいない僕には分かりようがないが、少なくとも「今」の評価が未来を保障しない、という普遍的事実は分かる。この喧騒をどうとも言い様がない。

 いずれにしても、この小説を書いた著者にはデビュー作である。数多くの「罵倒」が妥当なものであれ、不当なものであれ、彼に良い影響を与えるとは考えづらい。そういう意味では非建設的な匿名コメントたちである。社会もどの特定の個人もなんら益することはなく、ひたすらトイレットペーパーのように物質を浪費し、時間を浪費し、自分たちの溜飲を下げ、自己満足に浸るだけの空虚な行為である。自らの品性を下げる行為でもある。匿名であるからその名誉が泥にまみれない、ただそれだけの話である。とくに、そのようなコメンテーターがその一方で「人は褒めて育てねばならぬ」とか言っているのをきくと、さすがにその偽善ぶりに嘔気を感じる。

 インターネットが普及して、このような「評論」の数は天文学的に増えている。他者の言葉が増えている。他者の言葉はどう受け止めるべきか、その判断が難しい時代である。本を書いたりしていると、そのような「他者の言葉」がいろいろな方向から入ってくる。書いた当人はまさか本人が目にするとは思っていないだろうこともあるが、そこはインターネットであり、ふと目に付くこともあるのだ。ツイッターやフェイスブックでなされる一種の「陰口」も本人の目に留まる。一番簡単なのは、「鈍感」になることである。その言葉に痛痒を感じない鈍感な人間になるのが一番簡単である。今の時代、厚顔無恥であることが一番らくちんなのである(こうしてある種の人々は厚顔無恥を獲得していったものと想像される)。

 しかし、感受性をなくしては医者として生きていく資格がない。その言葉の突き刺す痛みを自覚する感受性を維持しながら、それでも倒れないこと。恐怖に震え、自らの無知と無力に絶望視、屈辱に歯がみし、憎悪を必死に押さえ込み、孤独を受け入れ、それでもクールにタフに生きていくこと。今くらいタフに生きることが困難な時代はない。今くらいタフに生きていくことの価値が高い時代もない。

コンサルテーション・スキルようやくアップ

コンサルテーション・スキルがようやく楽天やアマゾンにでてきました。ただ、イメージがまだついていません。来年は医学教育、医療倫理、タイムマネジメントについてももすこし深く考えてみたいです。タイムマネジメントについては今年は大きな発見がありました。月並みで定型的で凡庸でぱっとしませんが、「急がば回れ」でした。



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PEG時の点滴抗菌薬とSTのPEG注入はSSI予防に引き分け

Novel approach to antibiotic prophylaxis in percutaneous endoscopic gastrostomy (PEG): randomised controlled trial

BMJ 2010;340:c3115

脳梗塞後に弾性ストッキングは腿まで伸ばしたほうが近位DVT少ない

女性がつけても弾性ストッキング。

Thigh-Length Versus Below-Knee Stockings for Deep Venous Thrombosis Prophylaxis After Stroke: A Randomized Trial.

Ann Intern Med. 2010;153:553-562.

IGRAとHIV

アフリカでエリスポットをHIVにやったら?という話。対象者のCD4中央値は49。53%に肺結核あり(!!!)。培養陽性肺結核をスタンダードにすると感度73%、特異度54%。うーん。CD4あがってもあまり感度上がらず。

Role of interferon-gamma release assays in the diagnosis of pulmonary tuberculosis in patients with advanced HIV infection.

BMC Infectious Diseases 2010, 10:75

ウガンダだとあまりにぶっ飛んだデータなので、日本でスタディー。活動性結核をスタンダードにすると、感度83%、特異度99%。使ったのはQFT-G(QFT-2G)。ただ、コントロール群のCD4が高いので、偽陰性はでにくいというのが、問題。CD4が低いと判定不能も多い。ここではCD4との相関あり。

Performance of a Whole-Blood Interferon-Gamma Release Assay with Mycobacterium RD1-Specific Antigens among HIV-Infected Persons.

Clinical and Developmental Immunology Volume 2011, Article ID 325295, 6 pages

leflunomide for CMV

萌芽的な研究だがコストや副作用の問題でガンシクロビルが使えない患者にleflunomideを使うとよかったかも、というスタディー。leflunomideという免疫抑制剤がウイルスのアッセンブリを阻害。今後のスタディーに注目

A prospective evaluation of leflunomide therapy for cytomegalovirus disease in renal transplant recipients.

Transplantation Proceedings, 37, 4303–4305 (2005

Leflunomide Therapy for Cytomegalovirus Disease in Renal Allograft Recepients

Transplantation 2004

Use of leflunomide in an allogeneic bone marrow transplant recipient with refractory cytomegalovirus infection.

Bone Marrow Transplantation (2004) 34, 1071–1075

クランベリージュースUTI防がず、、CID

Cranberry Juice Fails to Prevent Recurrent Urinary Tract Infection: Results From a Randomized Placebo-Controlled Trial

Clinical Infectious Diseases 2011;52(1):23–30

スタディー・デザインが面白かった。クランベリージュースのプラセボ作ったり、、、食品で病気を治したり防ぐのは大変。

日本のトクホもどんくらいなものかは、これを見ると分かる。けっこう笑いがとれます。

日本内科学会雑誌 12月号 診療ガイドラインをめぐって

福井次矢先生の編集による特集です。僕も感染症について書いています。↓の本の総論的記述をまとめただけですけど(これをまとめてしゃべったのが去年の化療学会の教育講演です)。

日本と外国のガイドラインを比べるとどうか?というベタな企画だったのですが、そのまま書くとつまらないので、「日本と外国どっちがよいか」ではなく「よいガイドラインと呼ばれる条件はなにか」を主眼にしてまとめました。ぜひ読んでみてください。

対談で、福井先生が「今日の治療指針」も将来的には、エビデンスに基づいたものに、、、とコメントされてます。同意。僕も今年書いてみて驚いたのだけど、参照文献ゼロというのが執筆規定でした。今どきこんな編集でよいのか?と思います。電子版もあるのだから、リッチなテキスト、リッチな引用文献はポータビリティーに矛盾しないはずなのに、、、、この本を読んでいるドクターはとても多いので、その量に見合った質をもっと担保すべきだなあ。

感染症診療ガイドライン総まとめ Book 感染症診療ガイドライン総まとめ

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コンサルテーション・スキル 他科医師支援とチーム医療(新刊)

収穫の季節は続く(しつこい、、、)。

 コンサルテーション・スキルがようやく書籍となりました。ボーナスの大曲貴夫先生との対談も載っています。

 外来、検査、入院管理に加えてコンサルト。一所懸命仕事をしているのに、あの専門医はなぜプライマリケア医の怒りを買ってしまうのか。あっちのスペシャリストにどうして救急医が困惑しているのか。なぜあっちのドクターは執拗に研修医に避けられているのか。

 専門医がその専門性をフルに発揮し、チームの中で他科の医師に、そして患者にそのスペシャリティーが最大限に活かされるのか。具体的なスキルと理論が満載です。また、逆に専門医を呼ぶ立場に立ったドクターにも有益な情報がたくさん詰まっています。プレゼンスキルやタイムマネジメントにも、ぜひどうぞ。

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Dr岡田のワインクリニック

ケアネットで無料配信していることを教えてもらいました。それにしても岡田先生は相変わらず博覧強記で、しかも教えるのが上手ですね。「ブルゴーニュとバーガンディは日本とジャパンみたいなもの」、なんてとてもすてきです。コルドン・ブルーを卒業されていた、というのも初めて知りました。僕みたいな味音痴には、本当うらやましい限りです。パートナーの小笠原先生も相変わらずの聞き上手です。あの、「私は何も知らないので、これについて教えてください」と適切な問いを立てるのには、実は高い知性を要するのです。観てる人はほとんど気がついていないと思うけど。

その表現は差別的か

物を書いていると、「それは差別語だ」「差別的表現だ」と難じられることがある。

こういうとき、僕が感じるのは徹底的に圧倒的に、嫌悪と軽蔑の感情だけである。こういう半ちくなことを言われると、心底うんざりする。

僕が子供のころ、母親は小説をカセットテープに吹きこむボランティアをしていた。目が悪い人でも読書を楽しめるように、というものである。ところが、ある小説に「めくら」という言葉があって、そのボランティア団体はこれを別の言い方に変えるよう規定していた。昔の話だが、このように記憶している。

僕はその時それを聞いてあきれかえったものである。第一に、それは盲目の人間が「オリジナルな小説ではどのように表現されているか」知るチャンスを奪っている。知らぬは彼らだけであり、そこにラテラリティーが生じる。第二に、「めくら」という言葉が使われたその経緯や文脈を、目が見えない人間には斟酌して理解して判断する能力がない、と目の見える側が勝手に判断したことになる。要は、バカにしている。これくらい差別的な行為はない。

僕はある本で、テレビドラマのドクター・ハウスを紹介し、「彼はびっこをひいて」と書いた。これが問題視された。問題視した、ということは「びっこをひく」ことそのものに差別的な文脈をかぎとったからなのだろう。

腰椎穿刺をするときの有名な格言に「腰椎穿刺をしようかな、と迷ったときが腰椎穿刺をするときだ」というものがある。逡巡そのものがそのインディケーションなのである。同様に、「この表現は差別的なのではないか」と逡巡したことそのものが、その人に差別的な感情、意識が内包されていることを看破しているのだ。

僕にとって、「彼はびっこをひいて」という物言いは、「彼は頭をぼりぼり掻いて」とか「彼は懐に手を入れて」といった使い方と全く構造的に同じである。完全にニュートラルな表現だ。そこに差別的な匂いを嗅ぎ取る人だけが、それを問題視するのである。

僕は子供の時、自分の身体的特徴を嗤われ、いじめられた長い経験を持つから、身体的特徴を嗤われることがどのくらい人を傷つけるかよく承知している。人をあざ笑ったり、さげすんだり、身体的特徴を嗤うことには人一倍神経質だし、それを心の底から嫌う。

が、このような言葉の揚げ足取りをするのは多くの場合当事者ではない。「子供は差別的だから、子どもと表記しろ」とヒステリックに言ってくるのはほぼ100%大人だし、「びっこ」はけしからんと口角泡を飛ばして糾弾するのも、びっこを引いていない連中だ。彼らこそが自らの差別的意識、差別的感情に気がついていないのである。こんなやつらに四の五の言われる覚えはない。

愛情の有無はその相手をおとしめる表現を自然にでき、また許容できるかにかかっている。「火炎太鼓」で道具屋の妻が夫に「おまえさんはバカなんだからね」というとき、そこには夫に対するこれ以上ない慈しみ、愛情が込められている。「あなたは認知機能に若干の、慢性的な機能低下を認めています」なんて妻に言われたら、その夫婦はとうのむかしに終わっている。イギリス人がフランス人を「フロッグ・イーター」と読んではばからないのも、両者の信頼関係が強固であることを示している。日本人は朝鮮人をさして「いぬぐい」とは絶対に絶対に言わないのも、両者の間に全くといっていいほどの信頼関係が築けていないからなのだ。それさえあれば、どのような呼称も全く問題にはならないのである。このことは、「どう呼ぶべきか」と頭を悩ませる行為そのものの差別性を如実に示している。

海辺のカフカの、大島さんのせりふを再掲する。

「僕がそれより更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う<うつろな人間たち>だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めてふさいでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。つまり早い話、さっきの二人組のような人間のことだよ」

「ゲイだろうが、レズビアンだろうが、ストレートだろうが、フェミニストだろうが、ファシストの豚だろうが、コミュニストだろうが、ハレ・クリシュナだろうが、そんなことはべつにどうだっていい。どんな旗を揚げていようが、僕はまったくかまいはしない。僕が我慢できないのはそういううつろな連中なんだ」

「想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこには救いはない」

「現代霊性論」での、ある市が六曜の載ったカレンダーを全部回収した、という話を聞いたエピソードを聞いた時男内田樹さんのことばも再掲したい。

「僕はその新聞記事を読んだとき、かなり激怒しましたね。その抗議した市民に言ってやりたい。じゃあ、あなたはカレンダーに曜日が印刷されていることにも反対するのか、と。だって、七日に一日安息日を設けるというのは、ユダヤ=キリスト教の定めた戒律ですからね。その人が自分の家のカレンダーを「曜日のないカレンダー」にしているというのなら、話はわかる。子どもの通う学校や、自分の勤め先に「日曜日に休むのは宗教儀礼でおかしいじゃないか。教育やビジネスに宗教を持ち込んでいいのか」と主張して、日曜も休まず出勤して断固闘っているというのなら、話はわかる。でも、自分はそんなことしていないわけでしょう。自分が現実に生活している場所での宗教儀礼は見過ごしておいて、関係ない他人の宗教儀礼に文句をつけるというのでは、ものの理屈が通らないでしょ。僕、こういう半ちくなこと言う人間が虫酸が走るほど嫌いなんです」

東京でお仕事

東京で仕事をしたり、遊んだりしていた。浅草演芸ホールにいったりして命の洗濯をした。僕の知らない面白い芸人をたくさんみつけた。正蔵は、、、ファンの人はごめんなさい、絶望的なくらい下手だった。先代の正蔵はCDでしかしらないが、、、、うーん。そのとき、なぜか無性に鰻が食べたくなり、お店に行く。その後、「Best of 東京いい店、うまい店」という本を教えていただくと、そこにその店「小柳」があった。こういうのをシンクロニシティーというのだろうな。

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出張GIMカンファ@神戸

昨夜は酒見英太先生をお迎えして神戸大学版GIMカンファ。本当は京都GIMみたいなのを毎月やりたいのだけど、スペックが足りないのでこんな感じでときどき。うちで研修したF先生とF先生がプレゼン、どちらも期待にたがわぬ面白い内容で、とても勉強になった。二人ともありがとうございます。相変わらず酒見先生のコメントは勉強になります。こちらもありがとうございました。

神戸大もティアニー先生など巨大な大リーガーが来たり、勉強の環境はととのってきた。あとはそれを使うかどうか。勉強する機会もリソースもあるのに、それを使う人と使わない人との差が顕著になってきている。馬を水飲み場に連れて行くことは出来ても、、、というやつだ。勉強なんて自分でやるしかないんだから、

頭が毒入りリンゴ、書評

一般総合診療外来ではかぜ、かぜ、下痢、下痢と冬らしくなってきた。

「頭が毒リンゴになったわかものと王国の話」の書評が書かれている。ジュンク堂書店、大好きです。ありがとうございます。(ジュンク堂が好きなのは本当です。どこもだいたい品揃えはよいし、たくさん買ったら丈夫な袋をくれるし)

http://junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0112146528

今見たらアマゾンで絵本383位(瞬間風速ですが)。素人にしてはよくがんばっていると思います。感謝、感謝。ワクチンの本は全体で224位、新書では10位で(まあこちらも瞬間風速ですが)、こっちは自分の守備範囲、専門の本なので予想通りです。こちらもありがとうございます。思えば僕が生まれて最初に出した本が新書なので、久しぶりで感慨深いです。

でも今は感謝を込めてジュンク堂のリンクにしておきます。

http://junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0112189809 こっちがワクチンの本

http://junkudo.co.jp/detail.jsp?ID=0102807808 こっちは最初に出したバイオテロの本。僕はファンダメンタルな匿名批判者(ただしプロに限定)ですが、このときは事情あってペンネーム。あのときは形式的にも実際的にも精神的にもアマチュアだったということだと思います。

本日のMGH 29歳女性猫に噛まれて熱。猫も発症

これ、前にもやったことがあった。診断そのものは時間をかけず、動物由来の感染ネタが議論された。勉強になったなあ。

http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMcpc1007103

猫がなる感染症

猫が人に起こす感染症(本当はもっとあるけど、、、、)

猫はペストを発症するか?

薮入り(なんでここにこれが入るかというと、、、、それは言わぬが花)

猿が起こす感染症

日本にBウイルス(Cercopithecine herpesvirus 1)はあるか?

昨日のHIVカンファ

サックス先生の2010年のホットな研究がアップされている。短い時間でさらりと要約されている。本当にスマートな人ですね。

http://www.medscape.com/viewarticle/733775?src=mp&spon=1

サックス先生には言及してもらえなかったが、昨日のカンファで取り上げられたのは、CD4100−200でST予防は止めてもよいか?というもの。興味深い。

Mussini, Cristina et al. 2003. “Discontinuation of secondary prophylaxis for Pneumocystis carinii pneumonia in human immunodeficiency virus-infected patients: a randomized trial by the CIOP Study Group.” Clinical Infectious Diseases: An Official Publication of the Infectious Diseases Society of America 36:645-651. 


あと、エイズ学会のデータである大きな病院でPCPに対する治療で21日間STを完了できたのが2割しかなかったのが話題になった。古典的なスタディーでは「ドロップアウト」が2割。まあ、スタディー環境とリアルな環境は同列には扱えないが。

Hughes, W et al. 1993. “Comparison of atovaquone (566C80) with trimethoprim-sulfamethoxazole to treat Pneumocystis carinii pneumonia in patients with AIDS.” The New England Journal of Medicine 328:1521-1527. 

うちのデータもそろそろまとめなければ、、、という話でした。






CMV腸炎の診断と治療

これも難しいテーマをよくまとめてくれた。ごくろうさん。

「20101214115552.pdf」をダウンロード

テイコプラニンのまとめ

アメリカの教科書にはあまり書いていないテイコプラニン。よくできていたが、なぜローディングが必要か説明できたらさらによいと思い、あえて追加レポートもお願いした。とても上手にまとめてくれた。ご苦労様。

「20101214115428.pdf」をダウンロード

脾腫をきたす疾患

こいつも役に立つ、脾腫を起こす病気の分類

「20101214115300.pdf」をダウンロード

グラム陰性菌によるIE

これはわりと最近の論文のまとめ

「20101214115144.pdf」をダウンロード

腸チフスの臨床症状

これも知っておくと便利な腸チフスの臨床症状。非特異的な症状が多い。下痢は半数。咳とか鼻出血にも注意

「20101214114918.pdf」をダウンロード

Bacteroides属について

今回の学生はよくがんばった。これも臨床的にとても役に立つBacteroidesのまとめ

「20101214114626.pdf」をダウンロード

出張GIMのお知らせ

まえまえから京都GIMみたいなのを神戸でも、、と思っているのだが、リソースが足りずうまくいっていない。不定期ですが、以下のように再び酒見先生をお招きします。近隣の皆様、診断に至るエキサイティングなプロセスを一緒に高揚感を持って楽しみませんか。

  「ケースカンファレンス vol.2 ~冬の陣~」
  12月17日(金) 18:30〜20:30   
  ファシリテーター:酒見英太先生(京都洛和会音羽病院・総合診療部)
   会場:神戸大学病院 病棟2階 共通カンファレンスルーム 
 *症例2例、各ケース後に酒見先生によるミニレクチャーを予定

8月に開催しご好評頂きましたケースカンファレンスを再び開催できることになりました。
酒見先生にリードしていただきながら、フロアみんなで謎解きをしていきます。
(酒見先生は当日その場まで症例内容をご存じありません!)
現病歴やフィジカルから診断へ導いていく過程を楽しんで頂ければと思います。
 当日参加も歓迎です。お気軽にお問い合わせください。

神戸大学病院 堀米麻美

お問い合わせ:
神戸大学医学部附属病院 卒後臨床研修センター
E-mail:  sotugoアットーマークmed.kobe-u.ac.jp
TEL: 078-382-6980(土日祝を除く 8:30〜17:30)

奈良、鹿政談、顔見世興行

朝はラジオでストラビンスキーとブラームスを聴き、その後お仕事。

 本日は奈良でインフルエンザの話を技師さんに。基本的にスライドなしで検査やワクチンの話をした後、イナビルやラピアクタの最新情報を図に出して、説明。楽しんでいただけましたら幸いです。
 奈良はものすごくひさしぶりで、すっかり忘れていたが、とても広大な土地にお寺がぽつりぽつりとあって風情があってよい。近鉄に乗って景色を眺めながら、iphoneで六代目圓生の「鹿政談」を聞く。奈良に行って圓生の鹿政談とはわれながらナイスチョイスだ。
 午後は晴天の奈良から曇り空の京都へ。南座で顔見世興行。海老蔵から愛之助にタッチした「外郎売」、玉三郎のおかるが相変わらず美しい「仮名手本忠臣蔵七段目」、藤十郎がよかった「心中天網島河庄」、、、ただし心中物はちと苦手で、あと二つ演台がある中でギブアップして出てきました。

 落語、歌舞伎、能、狂言、文楽にもう少し造詣が深ければ人生もっと楽しかろうと思う。ジャズやクラシック音楽ももっとわかればよいと思う。ピアノが弾けたらさぞ人生の視野が変わると思う。英語がもっと読めたら、イタリア語ができたら、、、、欲望にはきりがない。

 そうそう、つきなみかもしれないが、「進撃の巨人」がめちゃくちゃ面白い。アマゾンを見ると絵が下手とか酷評している人もいるが、本当に短見である。実に工夫された絵で、構成も見事だ。もうはまりまくってしまった。

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あと、村上春樹がまたもチャンドラーを訳してしまった。さらさら読んでいたが、途中で文章の深さに気付いて反省、最初から読み直すことにする。チャンドラーを甘く見てはいけないのだった。装丁も美しい(少なくとも「さらば愛しき、、」よりずっとよい)。

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こちらもエキサイティングな「百年の孤独」。長くて深いので読了まで時間を要しそう。やれやれ、世の中は美しいもので満ちている。人生がいくつあっても足りやしない。

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新幹線の中で

ペースを変えるのはとても大切だ。同じことばかりをやっていると考えやセンスが硬直化してしまう。走っていれば止まる。まっすぐいっていれば、曲がってみる。下を見てみる。上を見てみる。変化が思い込みやしがみつき、我執に気付かせてくれる。

コンピューターの調子がずっと悪かったので思い切ってあれやこれやを一気に設定しなおした。なかなか大変だったが、パフォーマンスはものすごくよくなった。このとき、かわせみを使ってみた。ずっとATOKを使っていたのだが、設定変更で医学辞書が使えなくなったのをきっかけに「ちょっと使って見るか」と試してみた。前にも試用版を使ったことがあったのだが、そのときは変換があまりよくないなあと思っていたのですぐにATOKに戻った。ところがこれがとても使いやすい。ATOKはとても重く感じてしまう。文章書きがとても楽になったので、さらっと乗り換えることにした。

change of paceは大切だ。

昨日は三重に行って山田赤十字病院でお話し。いろいろなところから研修医がきてくださる。こういう地方の研修医って、なんというか、情報に飢えているというか、潤沢な環境で勉強できない渇望感が感じられてとてもよいです。一所懸命勉強している感じが伝わってくる。僕も田舎の学生だったので(そしてインターネットが不便だった当時、それは決定的で徹底的な渇望だった)、気持ちはよくわかる。

今日は東京で会議なので今新幹線。明日は奈良。ふう。

朝日新聞と青少年条例関係でいろいろ調べていて、普段あまり読まないtwitterをたくさん読む。個人的にはtwitterは苦手だが、内田さんや茂木さんのtwitterを読むのは楽しい。ただ、ここのところの朝日/青少年関係のツイートをたくさん読んですっかり食傷してしまった。なんというか、品位をかいた罵倒が多くて、一昔前のMLや掲示板みたいだ。とくに匿名のコメントがひどい。売り言葉に買い言葉で反応する実名のコメントもそれに引っ張られて品が落ちてくる。ああいうところから邪悪な空気、邪悪なオーラが立ち上る。それは伝染する。実名で、面と向かってでは絶対に言えないような暴言ががんがんでてくる。こっちに感染しないよう、暴言コメント集を遮断し、深呼吸してからもっとましなものを読むことにした。ガルシア・マルケスの「百年の孤独」。これで精神がすこしましになった。ここでもchange of paceだ。

僕も厳しいことを書くが、常に当人に面と向かっても言えるかどうか、は基準にしている。さきの「捏造」回答コメントも、朝日の記者さんの前でも面と向かって言うことはもちろん可能だ(実際、朝日の社員には言ってるし)。

ただ、こうとも思う。「捏造」うんぬんは本問題においては瑣末な部分だ。本質的な問題は、あの報道があのような文脈で一面を飾ったことで、情報ソースが実在するか否かは本質的な問題ではない。僕も局地戦に勝つことにこだわりすぎて大局が見えなくなっていたと思う。反省である。あんなテクニカルなレトリックで相手を言い負かしてもしようがない。

やはりこの問題は、静かにスルーしてしまうのが一番いいんじゃないかと思う。丁重にスルー。情報の寿命はどんどん短くなっている。ニュースの価値が減じている。新型インフルエンザ騒ぎを静めた一番の因子(の一つ)は芸能人が覚せい剤を使ったニュースだった。そのインフルエンザのニュースが消し去ったのは人気アイドルが酔って全裸になった話だった。尖閣諸島騒ぎで多くの日本人がかっとなったが別のニュースでほとんどの日本人はそのことを忘れてしまい、政治家の失言が騒ぎになっても北朝鮮のニュースがそれを消し去る。歌舞伎役者への暴行もおそらくは75日も持たない。だれもワールドカップのことなんて忘れている。その前の冬季オリンピックのことはもっと忘れている。3つ前の首相ってだれだったっけ?何もしなくても、ニュースの価値はどんどん下がっていく。

 

新幹線の中でたちどまり、少しペースを変えた中でそう考えてみた。

PISAについて考える。

PISAの結果について報道されている。日本の新聞は日本についてしか語らない。なぜ、上海の成績が急に良くなったのかもさっぱり分からない。日本はよくなった、しかしまだまだだ、、みたいな論調が多い。「あらたにす」をみると、日経、読売の社説は非常に定型的で、まあ、非常に凡庸な内容である。この社説を書いている論説委員たちの「考える力」を涵養することが最優先課題なのではと思う(こんなこと書くとまた名誉毀損とか言われるかなあ)。朝日の社説も多分に定型的であるが、まだましである。僕は読んでいないが、茂木さんのツイッターによると朝日の第二社会面はとてもよかったらしい。

http://twitter.com/kenichiromogi/statuses/12650123196628992
国際学力調査、英米の関心は低いという今朝の朝日新聞第二社会面の記事は秀逸。点数とか順位に一喜一憂すること自体がその国の知的レベルの低さを表す。アジア諸国は熱心なのだそうです。

NYタイムズを読むと、アメリカ人は少なくとも全然無関心ということはなく、自国の成績の悪さを問題視していることが分かる。ただ、こちらのほうが「なぜ上海の成績が良かったか」はよく理解できる。アメリカの新聞を読むとなぞが解け、日本の新聞を読むとなぞが深まる。

http://www.nytimes.com/2010/12/07/education/07education.html?_r=1&scp=1&sq=PISA&st=cse

僕は受験戦争時代の受験生なので、「急に成績を良くする」ためにはどうしたらよいか、よく理解する。何かを急にゲインするためには何かを失わなければならない。例えば、上海の生徒はアメリカのそれに比べて音楽とか運動に費やす時間が少ないと指摘されている。PISAの成績は評価の一つの側面ではあるが、すべてではない。あるものを得ようとすると、とくに急に得ようとすると当然失うものもある。

フィンランドは長くPISAで1位を得ていたが、それは結果であって目的ではない。フィンランドはPISA一位を目指して教育してきた訳ではない。今回の結果が出てもかの国の教育方針はびくともしないだろう。あのスコアで一喜一憂している日本の教育関係者っていったいなんなんだろう。フィンランドから学ぶとすれば教師の自律性である。教師が考える力を持たなくて、どうして生徒に考える力がつくだろう。教師に考えさせるということは、できるだけ文科省が教育現場に自律を与えることを意味する。つまり、文科省はできるだけ何もしない方がよいのである。PISAのスコアは(厳密にいうと順位は)少しは落ちるかもしれないが、そこはそもそも目指すところではないのである。

そんなわけで、僕は内田樹さんの見解に100%(またしても)賛成である。

http://blog.tatsuru.com/2010/12/09_1146.php

特に以下の文章に猛烈に共感を覚えるのである。

だいたい、つい先日までは多くのメディアはPISAのランキングを根拠に「フィンランドに学べ」と言っていたのではなかったか。
だったら、同じロジックで今回は「上海に学べ!」と社説に大書すべきではないのか。
けれども私が知る限り、PISAのスコアの発表の後に、「上海や韓国の成功事例に学ぼう」と呼号した社説は存在しない。
けれどもそう書かないと、これまでの議論との整合性がとれないのではないか。
「上海に学べ」と書けないのは彼らが畢竟するところ学力の優劣を「ナショナルな威信の問題」だと思っているからである。

「朝日新聞からの申入書」回答例

 僕は診療のとき、一つ一つの判断にゲーム理論(のようなもの)を取り入れている。ある決断を下したとき(例えば検査とか)その結果がどのようになってもまっとうな対応となっていること、を目指しているのだ。くだんの囚人のように。

さて、複数の医療者に「朝日新聞からの申し入れ書」が届いている。前にも書いたように、僕は喧嘩を好まないので、このような泥仕合的な経緯には好感をもてない。

朝日新聞社、医師らに抗議 東大医科研巡る記事(12/7)
http://www.asahi.com/health/clinical_study/101207_honbun.html
朝日新聞社からの申し入れ書(12/7)
http://www.asahi.com/health/clinical_study/101207_moushiire.html

 さて、僕がもし朝日新聞に回答する立場であれば、以下のようにお答えするであろう。

 朝日新聞様

 ご丁寧なお便り、痛み入ります。以下にお問い合わせについて回答申し上げます。

 私はプロの医療者として名誉というものをとても大切にしています。自分のそれも、もちろん他者の名誉も大切にします。したがって、朝日新聞というプロフェッショナルな報道媒介の名誉ももちろん尊重したいと思います。ですから、私の物言いがその名誉を傷つけるということになるとすれば、それは私の望むところではありません。

 あなたがたは「「極めて『捏造』の可能性が高い」「捏造と考えられる重大な事実」などと判断するのは極めて軽率かつ不適切です」とおっしゃいました。確かに、記事に捏造がないとしたらこの言説は軽率かつ不適切かもしれません。私はプロの医療者として自らの過ちがあれば率直に認め、謝罪するのが正しいあり方だと常々考えております。おそらくはあなたがたもまったく同じ思いであろうと拝察いたします。

 ですから、ぜひぜひお願いしたいのですが、「捏造」という私の言説が軽率かつ不適切であることを、根拠をもって具体的にお示しいただきたく存じます。確たる根拠があり、「捏造」という事実がないことが私の目に明らかになりましたら、自らの不明を恥じ入るとともに深く陳謝し、前言を撤回いたします。ただし、撤回するのは「捏造」の部分だけで、それ以外の部分についてはあなたがたから具体的な否定も反駁もありませんし、いまだバリッドな内容と存じますから、その主張はそのまま残したいと思います。

 さて、このようなことはないと思いますが、万が一あなたがたが「捏造ではない根拠」を具体的にお示しいただけない場合、その場合は皮肉にも「捏造」の疑惑は高まりこそすれ、少なくとも消失することは理論的にあり得ません。当事者が「確たる事実です」と主張するだけでは確たる事実とは一般社会では認められないことは、プロの報道者たるあなた方であれば当然ご存知のことでしょう。その場合は「捏造」という言葉を使うことが軽率とも不適切とも言いがたいことも、またそれを撤回する理論的な根拠もないことは、容易に即座にご理解いただけることと存じます。

 私の希望しているのは、医療におけるまっとうな信頼関係の構築です。医療者と患者、医療者とジャーナリストたちがまっとうな形での信頼関係を築き、維持し、そして向上していくことこそが日本の医療を改善していく最良の、ほとんど唯一の方法かと存じます。もちろん、この点について皆様にも異存はないでしょう。些末な周辺時ではなく、この趣旨、本旨に則り、皆様の真摯な対応を切に希望します。

追記 皆様は「大学関係者は各大学とも多数います」とおっしゃいます。私は科学の世界に身を置くので、言葉をとても大切にします(あなた方ももちろん、そうでしょう)。「多数」とはどのくらいの数でしょうか。何を根拠にその数が「多」と判断されるのでしょう。また、そもそも取材源が多いか少ないかという「多寡の問題」がその言説の正当性をどこまで担保するというのでしょう。「みんながそう言っている」ことが正しさの根拠とならないことは、我々の世界では常識であり、また多くの社会でもそうだと考えます。

予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える

というわけで、予防接種を再考しました。もしよかったら手にとって読んでみてください。今までのワクチン本が書かなかったような言葉で書いてみました(つもり)。発売は16日です。

ちなみに、この日曜日は近畿医学検査学会で「インフルエンザを考え直す」と題してお話しします。この本で取り上げているインフルエンザワクチンの話もします。治療薬の話もします。検査の話は??しましょうね、やはり。奈良とその周辺の皆さん、ぜひおいでくださいませ。

予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える Book 予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える

著者:岩田健太郎
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今週のMGH 60歳女性、左耳難聴と痛みが5ヶ月

今回は鑑別診断は挙げられましたが、バックにある根拠については難しかったです。勉強になりました。いやあ、難しい。皮膚科、眼科、耳鼻科などのいわゆるマイナー領域のケースはときどき勉強しておくことが大事だと思いました。

臨床試験について

少し、言い訳しておきます。

臨床試験、新薬の承認については過去にこのブログでも何度も議論している。日本にはもちろん、たくさんの問題がある。

今回の問題はそれとこれとは話が別なので、切り離しており、臨床試験のあり方については全然議論していない。それが大事ではない、という意味ではなく、あくまで別の問題として切り離して考えているからだ。

あと、がんワクチン、ペプチドワクチンについては完全に門外漢なのでこれもコメントしていない。門外漢がコメントするのが一番問題だからである。僕はしがない人間の感染症屋なので、口蹄疫とか鳥インフルエンザについてもほとんど語る言葉がない。知らないことは問題ではない。知らないことを知らないと言えることが大事だと思っているのです。僕が問題としているのは医療報道のあり方のみ。これだけがmy issueなのです。

戦わないで勝つ方法その2 記者会見のあり方

 人間にも組織にも情報公開の義務はあるが、記者会見の義務はない。両者は同じではない。僕は既存のマスメディアに対して記者会見をしなければならない、という前提そのものを疑っているが、「そうはいっても」とやらないと気が済まない人も多い。それで記者会見やって、「ちゃんと報道してくれない」と怒るのである。変な話だ。

 まあ、記者会見をやるにしても、やり方次第だ。自動的に無化してしまえばよいのである。記者会見では「現在調査中です」「それについては弁護士と協議中です」「事実を確認中です」のようなコメントを貫き、信頼できるジャーナリストだけに第二の会見を開く。ここで充分な情報提供を行うのである。

 これで事実上記者クラブを無力化したのが亀井静香である。僕は亀井氏について政治家としての評価なんてできないけれど(したくもないけど)、こういうケンカの仕方は上手だな、と感心した。戦わずして、勝つのだ。

http://www.j-cast.com/2009/10/06051134.html

ウェブ上に情報公開することも記者会見の有無にかかわらず大事である(これで誤報をかなりブロックできる)。ホリエモンなんて、インタビューそのものをYouTubeに公開するなんてアイディアを出している。これを言われたNHKは取材を断念したそうだ。

http://www.j-cast.com/2009/05/20041526.html

記者クラブにかかわらず、既得権益とは手放せないものである。だから、ここでもパッシングが有効なのだ。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090924/183116/

本日のJクラブ

Efficacy and safety of intravenous peramivir for treatment of seasonal influenza virus infection
AAC 2010 vol. 54 (11) pp. 4568-74

ペラミビルのスタディー。健康な成人に対して。プラセボより熱が下がりやすく、ウイルスが消えやすい。耐性機構は(たぶん)タミフルと同じだが、タミフル耐性ウイルスでの検討は無し。300と600で差はなし。4日後では症状はプラセボと同じ、5日後にはウイルスも同じ。副作用は消化器症状でタミフルと同じ。でも、下痢の頻度はプラセボの方が高い。最近、日本からの論文が英文誌に出るのはとてもよいことだ。もっと若い著者もたくさん臨床論文書いてほしいなあ。

Impact of the pneumococcal vaccine on long-term morbidity and mortality of adults at high risk for pneumonia
Clin Infect Dis 2010 vol. 51 (1) pp. 15-22

カナダのCAP患者で肺炎球菌ワクチンの効果を検証。adjustしたあと、死亡率は変わりなし。まあ、そうかなあ。Cox proportional hazard modelとpropensityの違い、だれか僕に教えてください。

Effect of high flow oxygen on mortality in chronic obstructive pulmonary disease patients in prehospital setting: randomised controlled trial
BMJ 2010 vol. 341 pp. c5462

COPD急性増悪を救急搬送するときはあまり酸素を出し過ぎない方が良いという有名なスタディー。死亡率半分以下に低下。SpO2は90前後で!救命士でプロトコルを守れない人が多かったのが興味深い。行動変容って難しいですね、という話。どうしてper protocolだと統計的有意差が出ないんだろう。Nのせい?いちおう設定した200には至っているが、intervension群が66人だから、、、かな?入院後にたくさんの患者が高流量酸素が入れられている。うーん。

Age at cancer diagnosis among persons with AIDS in the United States
Annals 2010 vol. 153 (7) pp. 452-60

アメリカのHIV/AIDSと癌のレジストリーでその関係を調べたもの。1996−2007。エイズがあっても癌になる年齢は変わりない。若い人が多いので、そう見えるだけ、、、発症率は前立腺癌と大腸癌、乳がんはエイズ患者の方が少ない。肝癌、肛門癌、肺癌、Hodgkinリンパ腫は多い。エイズになるとホジキンの2峰性がなくなるのも面白い。









「街場のメディア論」おすすめの文章

 僕もうっかりしていけなかったのだけど、「朝日新聞社」と「朝日新聞」はきちんと区別しなければならない。あいまいな文章が多かったので、反省して今後区別します。

 僕は今後「メディカル朝日」に文章を出すかどうか(言い換えれば「メディカル朝日」を「朝日新聞」と同じものと認識するか)、ここのところ長い時間をかけて編集さんと対話を重ねてきた。その結果、「メディカル朝日」の真摯な対応を得て今に至っている。詳細は公にはできないけれど、そういうことである。

 その「メディカル朝日」12月号にお奨め本の紹介欄があり、「街場のメディア論」を紹介している。この本を新聞者の雑誌で褒めても大丈夫なのかしら、と思ったら案外大丈夫だった。メディア・パッシングについては、今月出る『予防接種は「効く」のか? ワクチン嫌いを考える』(光文社新書)でも、その先に出る新著でも扱っています(もうすっかり冬だけど、収穫の季節は続く)。よかったら読んでやってください。

「街場のメディア論」 内田樹 光文社

 「正義の側に立つ」メディアに僕らが翻弄されるようになって久しい。しかし、「メディアがけしからん」と断罪しても意味がない。なぜなら、そのような「○○がけしからん」という語り口そのものが、メディアそのものの語り口であるからである。ミイラ取りがミイラになってはいけない。
 「自分が言わなくても誰かが代わりに言いそうなこと」よりは「自分がここで言わないと、たぶん誰も言わないこと」を選んで語る方がいい。我々はメディアのふわふわした言説にまず口をつぐむことから始めたい。そして自分の「ことば」を編み上げるのだ。

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この絵本で描きたかったこと?

本書のメッセージはなんですか?と聞かれて困ってしまう。

メッセージはあるようで、ない。ないようで、ある。

読み手が受けた印象そのものがメッセージ(として受け止められるもの)なので、各々好きなように読んでいただいて良いと思うんですね。社会風刺として読みたければ、それでよいし、ナンセンスな不条理ストーリーと感じたらそう読んでもよいんじゃないか。何かメッセージを出したくて絵本を描いたのではなくて、どうしても絵本が描きたかったから、他にやりようがなかったので描いたのでした。そこに見えるロールシャッハ的シルエットにメタファーを見いだしたい人は見いだしても良いし、そうでない場合はそうでなくても良いと思う。リンゴになるのがなぜいけないの?と問われれば、「そうだよね、なんでリンゴになるとダメなんだろ」と僕も不思議に思う。そこはうまく説明できないし、だから本文でも説明していないです。

 この絵本は、こういうメタファーを内意しており、こういうメッセージの本ですよ、と一言で言えれば何も苦労して絵本を作る必要はないのですね。僕が希望するのはだから、どのような受け止め方をされても良いから、一度手にとって開いてみてほしいな、、、、ただそれだけです。やっとアマゾンでも絵が入りました。

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ややこしいQFTの呼称

レジデントノートにクオンティフェロンについて書いたが、名称はややこしくてわかりにくい。

従来のQFT(QFT-2G)はESAT-6とCFP-10という2種類の抗原を用いて検査していた。近年、これに新たな抗原TB7.7を加え、検体処理実務も容易になったQFTゴールド(QFT-G)が発売された。両者をIGRAs(Interferon-Gamma Release Assays)とも呼ぶ。

 さらにややこしいことに、海外の文献に出ているQuantiFERON-TB Gold,
略してQFT-Gというのが日本におけるQFT-2Gのことである。QuantiFERON-TB Gold In-Tube test (QFT-GIT)というのが日本におけるQFT-Gである。なぜin-tubeというかというと、従来ウェル上で行っていた検査をすでに抗原の入ったチューブの中でやっているから、という分かりやすい理由のためである。米国ではこの他にT-SPOT.TB test (T-Spot)というIGRAも用いられていてややこしいことこの上ない。文献を吟味する際にこんがらがらないように注意しよう。以下の議論は日本での呼称を用いて行う。

日本の名称                 海外での名称
クオンティフェロン(R)TB-2G(QFT-2G)   QuantiFERON-TB Gold(QFT-G)
クオンティフェロン(R)TBゴールド(QFT-G)  QuantiFERON-TB Gold In-Tube test(QFT-GIT)

 さらにさらにややこしいことにこのQFT-G(QFT-GIT)にQFT 3Gという俗称がついて回っている。ネットで探すと公式な文書にもこの3Gが使われていることもあって、ますます分からない。日本ビーシージーに確認したが、これは正式名称ではない。どうも「あの」電話のイメージでついた名前だろうか(想像です)。あの電話に倣って、早く「4」を出すのが一番すっきりする方法(かな)。

というわけで、今度出るレジデントノートの原稿には一部間違い(本当は間違いではないのだけれど、間違いではないのか、と突っ込まれる恐れのある部分)がある。あらかじめご報告し、言い訳させてください。

メディア・パッシングについて(付記)

メディア・パッシングは別に新しいアイディアではない。

 例えば、村上春樹も日本のメディアの取材をほとんど受けないことで有名だ。その理由については以下に詳しい。ちなみに、村上春樹も新聞やテレビをほとんど使わないこともここに語られている。もちろん、そのことで村上春樹が社会から取り残されることはない。むしろ社会に先んじて新しい。彼の本が「今の」読者を魅了していること、日本だけでなく、外国の読者も魅了していること、すでに過去何十年も魅了し続けていること、おそらくあと何十年経っても魅了し続けるであろうことからも、それは明らかである。

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 僕自身、今年は新聞、雑誌などの取材は原則お断りしている。去年もお断りしたかったのだが、様々な事情でそうもいかなかった。会議の後で「コメント」を求められることもあるが、急いでいるのでと失礼させていただくのが常だ。Hibワクチン関係などで、取材者の目的が明確な場合のみ、セレクティブに例外的に お受けすることはあるが。ラジオの依頼はお受けすることが比較的多いが、テレビは基本的にお断りしている。ドクターGはいろろな都合故の例外中の例外で、本当はお断りしたかった。

 この問題は結構世界的な問題で、IDSAでも「How to talk to media」というワークショップがあった。時間が合わなかったので参加できなかったが、後で録音されたものを興味深く聴いた。アメリカのマスメディアも不景気やらなにやらで質の劣化が激しいらしい。その一方でIDSAもCDCも専門のコミュニケーション部門をもっていて、情報発信の方法を洗練させている。劣化しているといってもさすがに向こうの新聞記者はScienceやNEJMとかの論文はきちんとよむから、記者に電話して提灯記事を依頼する必要はない。もはやマスメディアを招いて情報発信するという古典的な(そしてややこっけいな「○大のなんとか教授の発表がサイエンスに載る予定」、、、的な)方法は取る必要がない。

 繰り返すが、問題はメディアが「間違える」ことにはない。間違いには修正を求めれば良いだけだ。不理解なら対話を求めれば良いだけだ。それがかなわないときは、「残念ながら話がかみ合いませんね」と丁重に取材をお断りする。そして本当に信頼できるジャーナリストとだけ、時間をかけて丁寧に対話をする。

 残念ながらそのようなことができるジャーナリストは日本のラージ・メディアでは希有になっている。またそのような、希有な信頼できるラージ・メディアのジャーナリストも、コンテンツの生殺与奪は信頼に値しない、目に見えない机の上の上司に握られている。これは構造的な問題なのである。茂木健一郎氏が提案するように記者のコピーライツを高め、構造改革を行わない限り、ラージ・メディアに明るい未来はない。

 

池田信夫氏も指摘しているが、日本のラージメディアが消えて亡くなるということはないだろう。ただただ、衰弱していき、没落はしていくが。今後も新聞を読まない人、テレビを観ない人は増えていく。テレビの視聴時間は変わっていないように見えるが、ずっとテレビばかり観ているのは実は高齢者である。新聞を読むのも高齢者。つまりは時間の問題である。

 もともと日本人のテレビ依存は強かったので、視聴時間が減っているのは好ましいことだと僕は思う。新聞を読まないと世界からおいて行かれるということもない。イギリス人もフランス人も、アメリカ人も、日本人ほど新聞なんて読んでいないのである。もっと読むべき大切なものはたくさんある。

本日は関西デー

いやあ、本当に良い午後だった。

 ヴィッセル神戸は見事にアウェーで浦和に快勝。京都は残留こそできなかったが神戸をプッシュしてFC東京に勝利、ここで神戸の残留が決まった。ガンバ、セレッソ共にACL参加が決定である。僕はJリーグチームの熱心なサポーターではないけれど、とてもよい午後を過ごさせていただいたのだった。それにしても、スポーツにおけるメンタルな意味って本当に大きい。今年はワールドカップでもそう感じたが(もうWCがあったことを忘れてしまいそうなくらいな一年ですが)、サッカーは多分にメンタルスポーツである。

 ときに、横浜ベイスターズの経営状態が非常に良くないという話を聞く。巨人が全国的な人気を保持できないこと。全国規模でテレビを見るというのがもうプロ野球という媒介では期待できないことを考えると、野球ももっと地域密着にしてJリーグのように入れ替え戦をやったほうが質を高めるには良いだろう。企業の宣伝という不健全なチーム運営では持続的成長は望めないだろう。

重要な提案(朝日記事に対して)

みなさんに、提案がある。

 朝日新聞と医療者の泥仕合が続いている。日本の医療報道の質は全体的に低い。朝日だけが悪いわけではない。問題は、見当違いな記事を書くことそのものよりも、それに対する反省が全くないことである。手続き的に問題がないのだから、記事には問題がありません、などとはプロが絶対に口に出してはいけない言葉である。
 読者が減り、新聞記者を整理し、広告収入が減少している朝日新聞社であるが、それでも読者数は700万人以上いる。苦情にも慣れっこで、医者が数十人集まって苦情を述べても、署名を集めても痛くもかゆくもないだろう。反省を促すのに失敗し、糾弾も通用しない。裁判の話も出ているようだが、そもそも僕は医療者がリベンジによって苦痛に対応することをスタイリッシュだとは考えない。裁判にたとえ勝ったとしても、それは局地戦に勝って大局を失うのと同じだと思う。

 医療者は、対立構造を作ること無しに、スマートに勝たねばならない。戦わずして勝つのが一番のやり方だと思う。

 そこで、提案。
1.今、朝日新聞を購読している人は、やめましょう。

ただし、700万人以上の購読者のいる朝日新聞の読者が少し減ったくらい、蚊が刺した程度のものである。だから、1はあくまで前振りである。

2.医療者は朝日新聞社からの取材依頼をすべて断りましょう。

 こっちはインパクトがある。そもそも東大医科研の問題のきっかけは朝日新聞社の取材に医療者が安易に応じてしまったことにある。

 医療者が一切協力しない医療記事は、すでに医療記事ではなくなる。朝日新聞社はインタビューをしても真摯な記事を書かないこと、それに対して反省しないことがよく理解できた。そんな新聞社の取材に応じる義理は僕らにはない。すべての医師会、学術団体、その他医療者が朝日新聞社の取材には応じず、記者会見にも呼ばなければ、朝日新聞社から医療記事は(まともなのは)消失する。情報発信は他社か自らウェブで行えばよい。マスメディアを使わないと情報発信できない時代はとうに終わっている。朝日をバッシングしてもルサンチマンが残るだけだ。必要なのはバッシングではなく、パッシングである。医療者がコミットせず、朝日から医療記事が消失すれば、変な記事を書いたと僕らが立腹する理由はなくなるんじゃないか。ま、僕だったらこういう戦い方をするけどね。

このブログ、もちろん転載してくれてよいです。

新聞の効用と普通の生き方と、時を越える言葉

朝からプチ大掃除をしている。思えば、社会人になって以来まともな年末年始を過ごしていない。人間としての節度と常識を身にしみさせるため、今年はちゃんと大掃除をし、車を洗い、おせちを作り、年賀状を(期限内に)書き、年越しそばを食べ、さすがに紅白を見る気にはなれないが、そのまま定型的に自堕落な正月を迎えたい。あくまで希望だけど。

片付けものをしていたら、良いものを見つけた。2009年4−5月の旧聞に属する新聞である。新聞を最近すっかり読まなくなったが、新聞の素晴らしい効能を見つけた。1年くらい寝かして読むのである。鳩山さんが民主党の党首になっている。阪神はぱっとせず、鹿島アントラーズが頑張っている。新聞のほとんどを新型インフルエンザが占めている。いろいろな記事がいろいろなことを言っている。僕もコメントしている。まあまあ妥当なコメントもあるし、「なんでこんなこと言っちゃったんだろ」という見当違いなコメントもある(反省)。

もちろん、見当違いなのは2010年暮れという未来から振り返るから「見当違い」と言えるので、2009年5月の段階で何が見当違いで何が的を得たコメントかは誰にも分からない。全ては後付けの説明である。それでも、と僕は思う。未来から振り返ってもそんなに恥ずかしくないコメントができるとよい。

トクヴィルの「アメリカの民主主義」は恐ろしい本で、1840年に書かれているのに今のアメリカの姿をそのまま描写したような新しさである。内田樹さんのブログがすごいと思うのは、何年も前に書かれた文章が本になっても全然文章が古くないことである。内田さんは過去も未来も射程に入れた文章の書き方をする。「今しか通用しない」文章は書かない。

僕は原稿の締め切りをだいたい数ヶ月前倒しで書くので(僕のタイムマネジメントの要諦です、これが)、ゲラが送られてくるまで結構時間が経つ。この寝かせる時間が長いほど、文章をうまく校正できる。寝不足でハイテンションに書き殴った文章も、数ヶ月後にクールな頭で読み直すと、また違う見方ができるからだ。そして、数ヶ月前に書いた文章を読み直してもほとんど直すところがない場合、それは割と自分では良くできた文章だと思う。

今は世界的にメディア不況でアメリカでも新聞記者がリストラにあったりしてたいへんなんだそうだ。昔は長いこと時間をかけて取材していたNYタイムズの記者も今ではやっつけ仕事で文章を書き殴らなくてはならない。アメリカ/メディアの日本化が起きているのである。医療の世界でも少しそうであるが、、、そんななか1年前の新聞記事を読む。社説を読む。リアルタイムで読むよりもたくさんの含蓄がそこにはある。時の雰囲気で気がつかなかった違和感が露わになる。ぜひ、と僕は思う。新聞記者も自分の書いたものを数年寝かせて読み直す習慣を付けるとよい。

毒入りリンゴの絵

絵本、「頭が毒入りリンゴになったわかものと王国」の絵はこんな感じです。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4498048008.html

アマゾンでも楽天でも「絵なし」でしたが、紀伊国屋にはありました。絵のない絵本なんて誰が買うの?(涙)

長谷川穂積とトミーズのあんパン、それと

たまには神戸の話をしましょう。

少し旧聞に属しているが、長谷川穂積、すごかったですね(そっちか)。敗戦後、階級アップ、お母様の逝去と大変なプレッシャーのなかでの戦いでした。内容には本人も納得してないでしょうが、今回は結果を出すのが大切だったのでしょう。おめでとうございます。街でよく見かけるそうですが、僕はまだ見たことありません。ちなみに、日テレの中継はよかったです。僕は亀田兄弟のようなヒールなボクサーも割と好きですが、TBSの下品な中継は大嫌い。

トミーズのあん食パン。神戸はパンの街で、街を歩くと美味しいパンのにおいがする。トミーズの食パンはあんこ入り。ずしりという重量感と落ち着いたあんこでとても美味しいです。あんこの本でお奨めだったので買ってみました。店を見つけるのが少し大変です。阪急三宮駅の口腔内粘膜みたいな所にあります(なんだそれ)。お取り寄せあり。

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ヴィッセル神戸、、、、、がんばってください。

56歳男性、咳と皮疹

MGHケース。診断そのものは楽勝だが、アプローチとしては教育的で学生にはとてもよいケース。

http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMcpc1003888

頭が毒入りリンゴになったわかものと王国の話

秋は収穫の季節である、その2.

1年以上かかりましたが、絵本を書きました。いやいや、本当に世に出せるとは思いませんでした。こどもから大人まで、ぜひ手にとって読んで欲しいと思います。すてきな絵を描いてくださった土井由紀子さんに感謝、感謝です。

収穫の季節は続く。

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海辺のカフカと想像力

「海辺のカフカ」を読んでいる。2002年にこの本が出たとき読んでいるから、再読になる。あのとき買ったのか、誰かに借りたのだか覚えていない。しかし、ほとんど記憶に残っていないので通俗的なエンターテイメントとして流してしまったのだと思う。2002年というと僕の中では精神的な転機の年、と自分では思っていたのだが、それでもこの小説がフックするほど言葉についての成熟度が足りなかった、端的に言うと未熟であったとつくづく思う

すごい小説だ。

ちょうど、先週能楽堂で観世流の能を観ており、シンクロニシティーを感じてしまう。清経、三井寺、融と観て、近江の景色の美しさや幽玄というものを想像する。源氏物語や雨月物語の時代の、エジソン以前の、電気のない時代の暗闇の、まだ現(うつつ)と夢、実体と幽体の区別があいまいだった時代を想像する。

そう、2002年の僕は全くと言って良いほど想像力のない人間であった。だから本を読んでも、どんな言葉を耳にしてもそれがうまくフックしない。ちょうど大島さんの言う「うつろな」人間であったのだ。高校生の頃は学校をサボってまで読書にふけっていたのに、あのころは本を読むということがなんなのかさっぱり分かっていなかった。あのときの読書時間は、今から考えると、全くのゼロ、いや余計な衒学がついたことを考えると、マイナスと言っても良い。15歳という時期が何を意味するか、本当はよく分かっていたはずなのに、2002年に「海辺のカフカ」を全く理解できていなかったという事実。

このことを、素晴らしく思う。

どんなうつろな人間であっても、いつかは言葉がフックする想像力を醸造することができるのである。才能やセンスがないと自分を貶め、諦める必要は必ずしもない。むしろ想像力は他者によって得られる属性であり、自分がいくら歯を食いしばって頑張ってもどこがどうということはない。ただただ、他者に自らの全てを委託し、寄り添うこと。言葉を素直に、そのまま受け取ること。自分の頭を使ってよく考えること。ただし、思い込まないこと。仮説を立てること。肯定的な仮説を。自分本位ではないが、肯定的な仮説を。

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