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他者の言葉をどう受け止めるか

 KAGEROUという本がAMAZONなどでものすごい批判を浴びているらしい。今日、本屋で手に取ったが強く食指を動かされなかったので購入しなかった。無論、読んでいるわけではないので「だめだ」と思ったわけでもない。

 面白いもので、本というのは読んだ後に初めてその評価が出来るわけで、買うときはその評価がないままに買うのである。無論、昔読んで読み返したくなって、、なんていうときもあるが。他人の評判、書評、直感を当てにしたり、ファンの新刊を買ったりするが基本的には「賭け」である。賭けである以上、百戦百勝というわけにはいかず(そういうのは賭けとは呼べない)、ときどき「はずれ」もある。学生の時にはもったいないからそれでもがんばって読むが、今はさらっとあきらめる。外れを恐れていては本などは買えない。

 新書など実用書なら本屋でぱらぱらめくれば大体「あたり」をつかめるが、小説ではそうは行かない。事実、KAGEROUもぱらぱらしたが、その時点でこれが良い小説かそうでないかは分かりようがなかった。

 AMAZONなどのコメントは愚にも付かないものが多い。匿名コメントの特徴である(もちろん、すべての匿名コメントがそうというわけではない。「特徴」とはその全てを網羅する必要はないのだ。「男ががさつだ」というのは男の特徴をよく言い表しているが、100%そうであるわけではなく、そこで揚げ足を取るのは単に小児的な態度である)。

 例えばそのなかに、「字数が少ないからけしからん」というものがある。実は、プロの出版者でも「字数の多さ」や「手間ひまの掛け方」で本を評価する向きがある。しかし、字数が多ければよいのなら、電話帳か何か買えばよいのである。O・ヘンリーよりはプルーストの方が圧倒的によいということになる(もちろん、そう考える人もたくさんいるでしょうね)。しかし、プルーストの小説がたとえ20世紀最大の作品であろうと、AMAZONを利用する大多数の読者はあの小説を読破できないだろう。表向きはどう言うかわからないが、心の底ではあの「失われた、、、」を「つまらない」と感じているはずだ。僕が大学生だったときそう感じたように。

 この数週間、チャンドラーの「リトル・シスター」(村上訳)、「百年の孤独」、「ねじまき鳥クロニクル」の1,2巻を読む。どれも偉大な小説だ。とても面白い。しかし、リトル・シスターは所見ではここまで細かくその良さが分からなかったし(最初は英語で読んだ)、賭けてもいいが(こんなところで賭けても仕方ないけど)5年前に「百年の孤独」を読んでも僕には何が面白いのかさっぱり理解できなかっただろう。「ねじまき鳥」に至っては、俺は何を読んでいたのかと思うくらい初見では何も何も理解していなかった。2010年の今再びこの小説を読んで、心を振り回され、魂を鷲掴みにされ、苦痛に顔がゆがみ、また涙が出る。本当にすごい小説である。本当にすごい小説である、と感じるのに僕は40年近くも無駄に生きていなければいけなかったのである。

 発表時点で、「他者」が何を言っているのか、それがほんとうにあてになるのだろうか。ストラビンスキーの「春の祭典」の初演のように。村上春樹だって30過ぎるまでは小説が書けず、その書いた最初の二作も著者本人には不満の残るものであった。KAGEROUが今後どのように評価されるのかは読んでいない僕には分かりようがないが、少なくとも「今」の評価が未来を保障しない、という普遍的事実は分かる。この喧騒をどうとも言い様がない。

 いずれにしても、この小説を書いた著者にはデビュー作である。数多くの「罵倒」が妥当なものであれ、不当なものであれ、彼に良い影響を与えるとは考えづらい。そういう意味では非建設的な匿名コメントたちである。社会もどの特定の個人もなんら益することはなく、ひたすらトイレットペーパーのように物質を浪費し、時間を浪費し、自分たちの溜飲を下げ、自己満足に浸るだけの空虚な行為である。自らの品性を下げる行為でもある。匿名であるからその名誉が泥にまみれない、ただそれだけの話である。とくに、そのようなコメンテーターがその一方で「人は褒めて育てねばならぬ」とか言っているのをきくと、さすがにその偽善ぶりに嘔気を感じる。

 インターネットが普及して、このような「評論」の数は天文学的に増えている。他者の言葉が増えている。他者の言葉はどう受け止めるべきか、その判断が難しい時代である。本を書いたりしていると、そのような「他者の言葉」がいろいろな方向から入ってくる。書いた当人はまさか本人が目にするとは思っていないだろうこともあるが、そこはインターネットであり、ふと目に付くこともあるのだ。ツイッターやフェイスブックでなされる一種の「陰口」も本人の目に留まる。一番簡単なのは、「鈍感」になることである。その言葉に痛痒を感じない鈍感な人間になるのが一番簡単である。今の時代、厚顔無恥であることが一番らくちんなのである(こうしてある種の人々は厚顔無恥を獲得していったものと想像される)。

 しかし、感受性をなくしては医者として生きていく資格がない。その言葉の突き刺す痛みを自覚する感受性を維持しながら、それでも倒れないこと。恐怖に震え、自らの無知と無力に絶望視、屈辱に歯がみし、憎悪を必死に押さえ込み、孤独を受け入れ、それでもクールにタフに生きていくこと。今くらいタフに生きることが困難な時代はない。今くらいタフに生きていくことの価値が高い時代もない。

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コメント

「本、映画、その他」カテゴリーでついついコメント(駄文)を寄せてしまうタッチと申します。「KAGEROU」は未読なのですが(買って読もうにも近所の本屋で売り切れです)、信頼する書評家の大矢博子さん曰く、「悪くないじゃん。けっこうなもんじゃん、これ。正直、コアな読書好きには物足りないだろう。でも普段は読書の習慣がなくて「水嶋ヒロの本だから」という理由で買ったってな層には、まさにうってつけじゃないかと。とっつきやすい。わかりやすい。するする読める。メッセージはストレートだけれど、展開にはちょっとした仕掛けもある。ストーリーもキャラクタも無理に背伸びせず奇を衒わず、力の届く範囲内で堅実に書いたことが功を奏している感じ。(中略)。敢えて著者のイメージからはかけ離れた「くたびれた中年サラリーマン、二言目には親父ギャグ」というキャラを持って来たってだけで、なんかね、「ほう」という気がしたのだった。文芸作品として絶賛とか激賞とかってレベルではない。(中略)。それにしてもネガティブな意見を言ってる人(しかも出版業界以外の人)って、過去のポプラ社小説大賞受賞作を読んでるのかな?「削除ボーイズ0326」や「Rocker」と比較して、あまりにレベルが違うとなれば議論の余地もあるだろうが、だいたいこの賞は若い人向けのストレートにメッセージが伝わるような間口の広い作品が受賞してるんだから。そんな賞の主旨に合ってるんだよ(後略)(「KAGEROU騒ぎ」http://www.namamono.com/blog/index.htmlより)」とのことです。蛇足ですが、大矢博子さんの日記は「日本一面白い」(森博嗣)と評判です。
「失われた〜」は、光文社古典新訳文庫と岩波文庫から競うように新訳が出版されてますね。読み比べに忙しい毎日です!?。

クリスマスですねxmas
私自身は仏教徒ですが、クリスマスを描いた映画やドラマには感動ものが多いので、心が温まります。

「しかし、感受性をなくしては医者として生きていく資格がない。その言葉の突き刺す痛みを自覚する感受性を維持しながら、それでも倒れないこと。恐怖に震え、自らの無知と無力に絶望視、屈辱に歯がみし、憎悪を必死に押さえ込み、孤独を受け入れ、それでもクールにタフに生きていくこと。今くらいタフに生きることが困難な時代はない。今くらいタフに生きていくことの価値が高い時代もない。」

岩田先生らしいお言葉だとおもいました。
「それでもクールにタフに生きていかなければ」と、自分を追い込み、そこでもがき苦しむ人も多いと思いますが、「タフに生きることに価値を見出す」ことで、苦しみが、「希望を持った前向きな努力」に変わるような気がします。

私はまだまだ若輩で未熟で、先生と同じような理解ができるかは分かりませんが、いつか、先生おすすめの本も読んでみたいと思います。

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